風邪の効用について ―脱構築の解説―

 この前、山に行ってチェンソーで木を玉切りしていたら、なんか身体がだるいなーと思って、次第にふしぶしが痛くなり、ついには悪寒が全身を走った。

 あーこりゃ風邪ひいたなーと思っていたら、次の日今度は数年ぶりに下痢になった。一日に十数回トイレに駆け込んだ。

 

 下痢を起こしている間、僕の大腸は目まぐるしく動いていた。

 ピー、ぎゅるぎゅるwww、グゥーブー、いろんな音を奏でては、彼は下痢便を僕の肛門に送り込むのだった。

 普段、僕は大腸の動きを感じることはないし、意識することもないのだが、このときばかりは猛烈な大腸の活動をつぶさに感じ取った。

 

 下痢を起こしている間、僕は便意の「手前」を感じることができた。

 日常においては便意の手前なんて分からないが、下痢を起こしている間、大腸の動きがよく分かったので、彼が肛門に下痢便をセットするまでのプロセスを把握できた。だから、脳みそが肛門の「放て!」の指令を受け取るまでに、「あーまた来るぞ!!」と構えることができたのである。

 

 しかし布団を出て寒い中トイレに向かうのは難儀である。

 10分前に行ったのに次の便意が襲ってきたときは憂鬱になる。

 あーどうしよう、便意を無視するか、それとも行っとくか。

  

 下痢になったときはオナラをこくことは許されない。以前オナラだと思ってこいたら下痢便だったときがあったからである。僕の肛門は年間365セーブを誇るプロであるが、下痢が敵の場合は失点することもある。

 

 肛門「お前は誰だ!名を名乗れ!」

 下痢「はい、オナラです!」

 肛門「よし、通れ!」

 ぼく「うわぁ!!!!!!」

 

 以前、こんなやりとりをしたことがあって、僕はえらい目にあった。

 このことを思い出して僕は布団を抜け出してトイレに向かうのだった。。。

 

 

 今回の経験で、人間の身体って不思議だなぁとつくづく思った。

 風邪をひいて身体が弱っているにも関わらず、大腸はいつもより活発に動いていたからである。

 ん?しかし身体が弱っているなら、大腸は働かなくなるはずでは?

 この矛盾を考えるために、前提を疑う必要がある。

 

 そもそも風邪というものについて考えてみる。

 くしゃみ、のどの痛み、鼻水、頭痛、発熱など。

 これらが風邪の症状だけど、これらの反応ってなぜ起こるかといえば、体内に入った風邪ウイルスをくしゃみや鼻水によって体外に出そうとしたり、発熱することで死滅させようとしたりするためだ。頭やのどの痛みは、「今ウイルスと闘っているのだから動き回って余計な体力を使うな」という身体からのメッセージだろう。

 つまり、風邪をひくということは、いつもより身体が活発になっているといえるわけだ。風邪をひくということは身体が弱っていると解釈されるが、そうではなくてむしろちゃんと機能していると解釈されるべきなのだ。

 だってもし風邪ウイルスが体内に入ってきているのに身体が何の反応を示さなければ、ウイルスは体内で増殖し宿主は死に至るからだ。

 

 さてそうなると、われわれが風邪にかかったときとっている行為の意味が変わってくる。

 

 われわれは風邪をひけば風邪薬をのむ。

 薬をのめば、くしゃみや鼻水、頭痛、熱などの症状は軽減され、楽になる。

 しかしこれは本当に薬なのか?

 薬がやっていることは、身体がウイルスに対してとっている行動を押さえつけているからだ。

 薬は、つまり毒である。

 わざわざプラトンを持ち出さなくても、薬と毒は表裏一体であることが簡単に分かる。

 

 

 このように考えると、風邪をひいたときは、薬をのまずに安静にして身体とウイルスの決闘をゆっくり拝見しておくのがよろしい。ま、現代社会がそれを許さないわけですが。

 

 

風邪の効用 (ちくま文庫)

風邪の効用 (ちくま文庫)