今日は山に来てて、仕事で出た廃材を使って掘っ立て小屋の拡張を行おうとしている。これは自分のやりたいことであり、楽しいと思っていることで、何不自由ないわけだが、そんなとき、時々エアポケットに落ちたかのように、虚脱感に襲われることがある。この感じ、一体なんだろう?
誰かに強制されているわけではない、仕事につながるが趣味に近い、自分のペースでできる、完璧に楽しいと思える条件。それなのに、あーめんどくさい、ダルいなぁと思ってしまう。
もしかしたら、今日2時前に起きて、サッカー観戦するという不規則なリズムがもたらしたものなのかもしれない。自分は、少しでも生活リズムが狂うと、調子が悪くなってくる。とはいえ、たまにこの感じはやってくる。
『暇と退屈の倫理学』で、ハイデガーのパーティの件がどこかの章で書いてあって、それと似ているのかもしれないと思う。楽しいパーティに参加して気心の知れた友人と食事を楽しんでいる。なのに、ふと退屈だなと思ってしまう瞬間がある。その退屈さをハイデガーが分析していたと思うのだが、分析内容を忘れてしまった。本を読んだ数年前は、「そんなことあるか?」と思ったものだが、今ではそれが共感できる。年をとるとはこういうものなのかもしれない。
ABEMAの番組に、パチンコをやりながら軽バンで全国を放浪する中年おじさんが出ていた。本当に好きなことをしながら、放浪する車上生活。番組では無職と紹介されていたが、実際は投資家で、生活費は投資の利益とパチンコで勝ったお金で賄っているという。番組の出演者から、将来の不安などはないのかと聞かれていたが、「まったくない」と答えていた。うらやましがられていた。
これだと思うんだよな、結局のところ。何をしてても楽しめる能力、不安を感じない性格。これは天性のものなのか、後天的に獲得できるものなのか。
隣の家の人は独身で、会社を退職して年金暮らし?をしている。外出している姿をほとんど見ない。一体何をやっているんだろうと思う。うらやましいとは思わないが、家に引きこもって時間をつぶせる能力があるのはすごいなぁと思う。
中島らもが、教養の定義を、金を使わなくても暇をつぶせる能力と言っていたが、本当にそのとおりだなと思う。

