matsudama’s blog

いっしょに哲学しませんか?

AIとBIはいかに人間を変えるのか

 

AIとBIはいかに人間を変えるのか (NewsPicks Book)
 

 

AIとBIはいかに人間を変えるのか。

 

AIとは人工知能のこと。

BIとはベーシックインカムのこと。

 

本の構成

1章 人工知能について

2章 ベーシックインカムについて

3章 人工知能ベーシックインカム

 

1章、2章で、それぞれの基本的な知識を学ぶことができる。

 

人工知能については、テレビやら本やらであれこれ取り上げられていることと同じようなことが書かれている。

 

ベーシックインカムについて

 

 ベーシックインカムについては、最近注目され始めたけど人工知能ほどではない。

 この本でベーシックインカムについての基本的なことが学べる。

 だから、ベーシックインカムについて知りたい人にはおススメ。

 

ベーシックインカムをおおざっぱに説明すれば、全国民に、生活できる最低限のお金を給付する仕組みのこと

 

生活保護と違って、金持ち貧乏関係なく給付する。

年金と違って、年齢に関係なく給付する。

 

ベーシックインカムの考え自体は古くからあるのだけど、それが最近実験としていろいろな自治体で導入されているので注目を浴びるようになった。

 

また、いろいろな思想を持つ人たちに支持されているのも、注目を浴びる理由の一つ。

 

コミュニタリアン 国民一人一人が平等であるべきで、平等に利益を得られる共同体

共同体主義)  が望ましいとする立場

 

リバタリアン   国家の介入はなるべく少ないのがいいとする立場

自由主義

 

ネオリベラリスト 経済資源の分配は、政府ではなく市場に任せるべきという立場

新自由主義

 

それぞれまったく違う立場だけど、いずれの立場の人でもベーシックインカムを採用すべきと言う。

 コミュニタリアンベーシックインカムを導入すべきと主張するのは分かる。ベーシックインカムは平等にお金を給付する制度なのだから。

 

 リバタリアンベーシックインカムを支持するのは、ベーシックインカムは政府の仕事を減らす=政府の介入を少なくするから。

たとえば生活保護は受給資格を認めるかどうかに多くの労力を必要とする。

役場の人間は、申請する人の生活実態やら収入やらいろいろと調べ、適正かどうか判断しなければならない。じつにめんどくさい作業だ。

でもベーシックインカムなら、そんな余計な仕事を必要としない。

これがリバタリアンが支持する理由。

 

 ネオリベラリストがベーシックインカムを支持するのは、給付されたお金の使い道は国民が自由できる=市場に分配機能があるとみなせるから。年金などの社会保障制度だと政府がお金を分配することになるが、ベーシックインカムなら国民が自由に使える分、お金は市場が分配するようになる。

この点がネオリベラリストの理念と一致する。

 

 

 フィンランドやオランダのユトレヒト、カナダのオンタリオ州で社会的な実験が行われたのだが、予想を裏切る結果が出た。

 

 ベーシックインカムは生活できるだけのお金を給付するのだから、誰も働かなくなると予想された。

しかし実験の結果、労働意欲は失われなかったという。

そして給付されたお金は、個人の勉強や食料の調達など自己の生活に活かす目的で使われた。

 

いいことづくめのようだが、ベーシックインカムが実際に制度として導入されている自治体はない。

 

官僚が自らの仕事がなくなると思っていることと、財源への懸念といった理由、そして「働かざる者食うべからず」という通念があること。

 これらが導入がためらわせている理由だと筆者は述べる。

 

AI+BIで社会はどうなるか

 多くの人が知っていることだが、これから数十年のうちに人工知能が多くの仕事を人間から奪っていくと言われている。

 

 だからこそ、ベーシックインカムを導入すべきだと筆者は言う。

 ベーシックインカムで国民の生活を保障する。働かなくても食っていけるようにする。

 これからは、食うために仕事をするのではなく、豊かに生きるために仕事をする時代だ!

 実験段階ではベーシックインカムで労働意欲が損なわれることはないと示されている。

 

 今までは「働かざる物食うべからず」だったが、これからは「働かなくとも、食ってよし」の時代だと筆者は言う。

 

感想

 僕はニートなので、ぜひともベーシックインカムを導入してほしいと思っている。だから筆者と同じようにベーシックインカムを導入することに賛成だ。

 

 しかし筆者の考えには同意できない。

 仮にベーシックインカムを日本の制度に組み込んだとしても、おそらく日本人は今までと同じマインドで働くと思う。

 日本人は豊かに生きるために働くことはできないだろうと僕は考える。

 

 筆者は、ベーシックインカムを導入するとしたら月に8万の給付をすればいいと言っている。

 僕なんかは8万あれば十分なんだけど、他の日本人は「8万なんてとても足りない」と嘆くだろう。絶対。

 

 8万もらっても不安で不安でしかたなくて、相変わらず必死になって働くのが日本人だ。

 これが仮に10万とか15万でも、多くの日本人は将来を悲観して必死に働くと思う。

 

 だからベーシックインカムを導入しても、失敗する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あぁ、やっぱり自分もゆとり世代なんだと認識した

 僕は今27歳で、ゆとり教育を受けてきた世代にあたる。

 

 メディアなどではゆとり世代をテーマにしたドラマがあったし、ゆとり世代をバカにした記事などがよくある。

 そういうのを見ても、「ゆとり世代といってもいろんな個性を持つ人がいるわけだし、一括りにできないでしょ」とか「ゆとり世代のなかでも自分自身はべつだ」という感覚があった。

 

 そういうふうに思っているので、世間が「ゆとりが~」と言っても「まぁ自分には関係ない話だ」と思っていた。

 

 芸術家とのやりとり

 僕は今75歳の芸術家のもとに居候しているのだが、僕の師匠?である芸術家からいろんなことを言われる。

 

「君は非常に無口だ。まったく表現しないし、感情の起伏がない」

 

「私らのころは、もっと人と議論してぶつかりあっていたものだ。でも君らの世代はあまりそういうことをしてこなかったのかな?」

 

「君は融通がきかんな。言われたことはきっちりやるんだが、それ以外のことをやろ

 うとしない」

 

 「私なんかは言われていないことでも勝手にやってしまった。勝手にやって怒られてもそれで終いで、べつに何ともない。むしろ感謝されたよ」

 

 僕はこういうことを師匠である芸術家からよく指摘される。

 

 師匠はよく世代の話をするのだが、

 

「君があまり表現しなかったり人とぶつかり合わないのは、君自信の個性なのかな、それとも君ら世代の問題なのかな?」と聞かれる。

 

それに対して、僕は「うーん、よく分かりません。僕の個性なんじゃないですかね。」と答えていた。

 

 僕は、今まで日常のなかで世代を意識することがほとんどなかったし、世代の特徴なんて、あってないようなものだと思っている。

 

 ゆとり世代のなかの自分というものを考えたことはなく、自分は自分だと思っているので、君ら世代の問題なのかと言われても、なんだかよく分からなかった。

 

 

ゆとり世代が電話を取り次がない衝撃理由

 

 今日ヤフーニュースを読んでいたら、こんな記事があった。

headlines.yahoo.co.jp

 

 記事では、企業幹部による座談会が掲載されていて、ゆとり世代が話題にされていた。ゆとり世代の社員はどんな特徴があるのかについて話していた。

 

【小売】よく言えば優等生なんだが、失敗を怖がる点では共通しているよね。昔は若いうちは失敗して成長するのだという懐の深い企業文化があった。でも今は中学・高校時代から教育現場でも失敗はよくないという雰囲気になっている。とにかく失敗したくないと思っている。

 【サービス】それでいて教えてもらっていないことを勝手にやって失敗することもある。しかし、叱られることを極端に嫌がる。「教えてもらっていませんから」と平気で言う。僕らの時代はそんなことを言えば先輩社員から「ふざけんじゃないよ、おまえうまくやれよ、わからなかったらちゃんと聞きに来いよ」と叱られたものだ。

 【製薬】昔の人に比べてストレス耐性が低くなっている。失敗すると誰でも落ち込むが、回復するのに時間がかかり、回復する力も相対的に弱いね。やはり失敗はよくないという教育を受けてきているからだろう。

   

【サービス】じつは経営幹部が集まって重要な会議をしていたんだが、ゆとりに「会議中は誰も中にいれるな、電話もつなぐな」と言っておいた。そうしたら社長が緊急の要件で会議室にいる役員を呼べと電話してきたが、ゆとりは「今、会議中です」と断ったらしい(笑)。当然、社長は、俺は社長なのにどうして電話をつながないんだと怒ったらしい。

 後で聞いた役員が、ゆとりに「どうして社長の電話をつながなかったんだ」と叱った。それに対してゆとりは「誰にもつなぐなと言っていましたよね」と言う。それを聞いて「バカヤロー、社長は違うだろ」と言うと「そんなことは聞いていません。社長の場合だけはつなげ、とは言っていませんでしたよ」と切り返したらしい(笑)。

【小売】普通は、社長から連絡が入っています、というメモぐらいは入れるけどね。でもそんなことも言っておかないといけないんだろうね。

 【広告】臨機応変に対応ができない。だけど、命令にちゃんと従っているのは間違いない。もし、ゆとりが「誰も入れるな、電話もつなぐなというあなたの命令に従順に従いました。どうしてあなたは怒るんですか」と言ってきたら、こっちも何も言えない。こんな話はいくらでもあるよ。

 

 今まで芸術家に「君の個性か、それとも君ら世代の問題か」と訊かれてもよく分からなかったのが、この記事を読んで「あぁ、こりゃ世代の問題だ」と納得した。

 

 僕は今までゆとり世代の特徴を話題にされてもしっくり来なかったが、ようやく認識したのだった。

 

ゆとり世代の特徴

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オウチーノ総研の調査より

 

 よく分かる。

 自分は打たれ弱いし、失敗を恐れる。

 仕事よりプライベートのほうがはるかに大事と思っている。

 

 どうしてこういう特徴があるんだろうと考えていた時、次の記事を読んでこれも一つの要因だと思った。

 
www.orangeitems.com

 

彼ら、LINEやインスタで、抽象的につながってる。そして同調できないと見るや、ぶち切られる。いや、我々の時代にもありましたよ。「無視」といういじめ。あれはつらいですよね。ただあの時は、大人に見えやすかったのですが今は違う。表面上は仲良くしていて教師からは普通に見えてて、実は裏でLINEグループをはじかれていたりする。仲良く会話しているのに、LINEではめちゃくちゃ悪口を言ってる。そんな社会形成を高校生までに経験しているんです。
スマホ禁止、なんていっても家では使いますから、無意味。むしろスマホ持っていない人は仲間にすら入れない。
だから、入学式時点で、そんな同調圧力と戦ってきた彼らが、黒スーツ一色なのを誰もとがめることができないと思います。

 

 ゆとり世代が学校に通っていたとき、それはちょうどケータイやスマホが一気に普及していたころだった。

 こういった機器の普及に伴って、いじめは裏で行われるようになった。

 

 同調圧力を内在化した僕たちは、勝手に動くことができなくなっている。

 表向きは仲良くしていても、裏で何を言われているのか分からないから。

 上のグラフにある失敗を恐れたり、スマホに依存したり、積極的に行動しないという特徴は、僕たちが同調圧力を内在化しているところから来ていると思う。

 

まとめ

今までゆとり世代のことなんてあまり意識しなかったけど、芸術家に指摘された僕の特徴を改めて見直してみると、僕の個性でもあるが、同時にそれは世代に影響されたものでもあると認識した。

 

そう考えると、教育の力は想像以上に大きいのだと理解した。

 

また、僕たちはケータイやスマホ、インターネットが社会に浸透した時代の世代でもあるので、テクノロジーも世代の特徴に大きく関与していることも改めて認識した。

 

ゆとり世代より下の世代は、僕たちの頃よりはるかにテクノロジーの影響を受けている。AIなんかは特にそうだ。

 

 これから社会に出てくる子どもたちは一体どんな特徴を持っているのだろう?

 楽しみでもあるし、恐ろしくもある。

 

 

気が狂うほどまともな日常

 今日も芸術家の手伝いで山に行く。

 

 手伝いの途中トイレへ行き、用を足してトイレから出るとウグイスの鳴き声が聞こえてきた。

 

 その場で立ち止まり、春の心地よい風に吹かれながらウグイスの鳴き声を聞いていると、なんだかとても穏やかな気分になってきた。

 

 ゆっくり呼吸をしながら、「自分はどうしてこんなにせかせかしているのだろう?」と思い始めた。

 

 豊かな自然に囲まれてゆっくりしていると、都会のあわただしさに揉まれていることがばからしくなってくる。

 

 それでも、都会へ戻るとそのことも忘れ、いつのまにかせかせかしてくる。

 

 自然のリズムに身をまかせていると、あわただしく過ぎ去っていく世界のほうがおかしいのか、それともそのように思う自分の感覚がおかしいのか分からなくなる。

 

 BUMP OF CHICKENの『ギルド』の一節に、「それもすべて、気が狂うほどまともな日常」とあるが、本当にそのとおりだと思った。

 

BUMP OF CHICKEN

BUMP OF CHICKEN "人形劇ギルド" [DVD]

 

 

副業を始めたら案の定、灰色の男たちがやってきた

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 三月にニートになった。

 ニートといえども、お金がなければ生きていけない。

 しかし満員電車に揺られて会社に行くのは絶対に嫌なので、いろいろな副業を掛け合わせて収入を得ることにした。

 

 まずよく聞く副業を探した。

 

1 いろいろな副業 

 

並び屋⇒行列に並んでいるだけでお金がもらえる仕事

 

 僕は関西に住んでいるので仕事はあると思ったんだが、大阪や神戸あたりですら並び屋の仕事はない。

 これ、東京あたりしか仕事がないんじゃないか?いや、東京でもあまりないんじゃないか。

 おいしい仕事やなと思っていたのに・・・。

 

クラウドワークス⇒ネット上で完結する仕事

 

 僕には技術がないので初心者でもできる仕事を探した。

 アンケートに答えるとかリライトの仕事をした。今のところ月3000円くらいのレベル。だめだこりゃ。

 

治験⇒自分を薬の実験台にする仕事

 

 これは割りがいい。三日で8000円入ってきた。ただ、関西には案件が少ない。ほとんどが東京に集中している。

 

覆面調査員⇒お店の清潔度とか接客を調査する仕事

 

https://www2.ms-r.com/MSR/MonitorNew/index.asp

 けっこう調査項目があってわずらわしい。でも報酬と合わせればタダ飯が食える上にお金になる。副業としてはいい。

 

ポイントサイト⇒アンケートやらなんやら答えるサイト

 

 一番おススメされているモッピーに登録した

http://pc.moppy.jp/entry/invite.php?invite=VnwYe1ba

▼ さあ!今すぐお小遣い貯めちゃおう ▼
モッピー!お金がたまるポイントサイト

 

ゲームしたり、アンケートに答えるだけでポイントがもらえるのはいい。

しかも、こうやって登録したり、バナーを貼るだけでポイントがもらえる。

今なら会員登録しただけで1100ポイントもらえるらしい。うらやましいですな。

 

しかし僕はこのサイトを通じていろいろなポイントサイトに会員登録してしまった。

僕のブックマークはポイントサイトだらけになっている。

 

2 灰色の男たちがやってきた

 

 以前ブログで書いた僕の危惧は当たってしまった。

 

matsudama.hatenablog.com

 

 副業を始めることで、プライベートと仕事が混濁する。

 灰色の男とは、ミヒャエル・エンデが書いた児童文学『モモ』に出てくる時間どろぼうのこと。

モモ (岩波少年文庫(127))

モモ (岩波少年文庫(127))

 

 

 時間どろぼうは人々に「今時間を貯蓄すれば将来もっとたくさんの時間が手に入る」ともちかけ、時間を奪っていく。

 そうして時間を奪われた人たちは、せかせかし忙しい毎日を送るようになる。

 何に対してもイライラし始める。

 

 副業を始めたら、僕もせかせかし始めた。

 僕の膨大な時間のなかに、灰色の男が侵入してきたのである。

 せっかくニートになって時間がたくさん手に入ったのに、お金は必要だと思って副業を始めたらお金のことばかり考え始めた。

 それでいろいろなポイントサイトを堂々巡りし、わずかばかりのポイントをせこせこと稼いでいる。あぁ全然儲からんなぁと思いながら。

 

 

 あかんなぁ。

 これならアルバイトをしているほうがよっぽどいい。

 

 ニートになったのだから、もっとゆっくり穏やかに生きたい。

 お金は必要だが、お金の奴隷になってはいけない。

 

 

トレード

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僕は芸術家の家に居候している。

芸術家は自宅とはべつに山にアトリエをかまえている(写真のやつ)。

 

月末に光熱費として二万払っている。

それで自由に家やアトリエを使わせてもらっている。

僕は哲学者なので作品制作はしないが。

 

今日は芸術家にくっついて山へ行った。

今月27日が「国際彫刻day」ということで、作品制作をしている山を開放するのだ。

その準備に追われている。

 

僕は山で畑がしたかったのでくっついていったのだが、芸術家は準備を優先して手伝ってほしいということで、準備のほうを手伝った。

しかし、芸術家がいろいろと忘れ物をしたせいで、準備がすすまなかった。

 

結局畑はほとんどできず帰ってきた。

 

最近金欠になってきたので、芸術家に「トレード」を申し出た。

彼は快く了承してくれた。

 

彼は、トレードという概念が好きだ。

トレードというのは、金銭を介さない交換のこと。

僕は、山での手伝いと光熱費を「トレード」してほしいと頼んだ。

 

山仕事は今までボランティアで手伝っていて、正直あまりやる気が出なかったが、光熱費のかわりに手伝うことになったのでちゃんと手伝おうという気分になった。

 

トレードというのは、田舎の「おすそわけ」みたいなものだろうか。

僕のおばあちゃんは、向かいの家の庭をよく掃除してあげてた。

そしたら、そのお返しに向かいの家の人は高級なおかしをくれた。

 

おすそわけは金銭を介さない交換のことだけど、お金が絡んでこないとなんとなく心持が変わってくる。

うまい具合に言えないが。

 

トレードを文化人類学の観点から考えてみると面白いかもしれない。

 

 

 

「自信がある」と「自分を信じる」の違い

 学生時代、日本を自転車で放浪していると、宮城の松島で一人の女の子と出会った。

 彼女も旅をしていて、歩いて東北地方を一周している最中とのことだった。歩いて東北を旅するとかどんだけタフなんやと思ったが、彼女は歩いて旅をするのが好きらしくいろいろなところを歩いてまわっていると話していた。

 

 ある日の夕方に松島の公園で出会ったのだけど、なんだかんだで意気投合していっしょにご飯をつくって、その後松島のキレイな景色を眺めながら(遠くで鮮やかな雷が轟いていたのを思い出す)何時間も話していた。

 

 僕も彼女も旅をしている最中だったので、旅の話をしたり、あるいは人生観について話したりしていた。とても楽しかった。

 

 これはもう何年も前の話なんだけど、今さら思い出してこうやって書いているのは、彼女の話していたことで心の片隅にずっと残っていたものが今ようやく、なんとなくだけど分かってきたような気がするからだ。

 

 彼女は「私には自信はないのだけど、自分のことは信じている」と話した。

 僕は「それはどう違うの?」と尋ねた。

 

 彼女は「うまく説明できない」と言ったような気がする。

 あるいは、どう違うのかちゃんと説明してくれたかもしれない。

 だけど当時の僕にはその違いが明確に分からなかった。

 だからこそ、心の片隅に引っかかって、時折「どう違うのだろう」と考えながら今に至っている。

 

 この違いについて考えたり考えなかったりしながら、何年もたって今ようやく、なんとなくだけど分かってきた。うまく説明できないかもしれないけど、言葉にしてみる。

 

 「自信がある」というのは、要素に関して言えることだと思う。

 

 ルックスに自信があるとか、英語力に自信があるとか、自分に付随する何らかの要素あるいは属性、能力といった、そういうものに対する自信。

 

 自信があるとはそういう、自分という存在を細切れにしていって見出される何らかの要素に対して、評価できる場合や、誇れるときに自信があると表現されるのではないか。

 

 

 一方、「自分を信じる」というのは、自分という存在に対する全幅の信頼を表現する時に使うような感じがある。

 

 要素ではなく、全体。自分という存在まるごとにたいする信頼。

 

 自分にある要素とか能力を全部寄せ集めたら、理論上は全体になるんだろうけど、そういう要素を全部かき集めても自分全体にはならないように思う。

 

 ルックスやら学歴やら、経済力やら、すべての要素や能力に自信がある人でも、その人が自分を信じているかといったら必ずしもそうではないと思う。

 

 反対に、自分には誇るべきところがなくて自信がなくても、自分を信じることができる人はいる。

 だから彼女は、「自信はないけど、自分のことを信じている」と話したのではないかな。あくまで推測だけど。

 

 自信があることと、自分を信じることは、別次元の問題だ。

 だからこそ、自信があっても自分を信じられない人はたぶんいるだろうし(会ったことがないから分からないけど)、自信がなくても自分を信じられる人はいる。

 

 最近になって「自信がある」と「自分を信じる」の違いが自分なりに分かり始めてきたのは、自分の置かれている環境と自分自身に対して考えることが増えてきたからなのかもしれない。

 

 僕は今ニートだ。

 まぁ副業をぽつぽつして少ない収入はあるけど、とても生活に足るほどの金額ではない。ついでに奨学金をあと90万円も返済しなければならない。

 

 まぁでもどうにかなるやろと思っている。

 客観的に考えれば「そんなわけないやろ」となるんだろうけど。

 これは僕が鈍感でアホだからなのだろうか。うーん、それは分からない。

 

 どうにかなる根拠なんて何一つないのだが、それでもどうにかなると思っている。

 

 それは、自分を信じているからだと思う。

 僕はルックスが優れているわけでもないし、ニートだから経済力もない。

 学歴はあるけど、英語が話せるわけでもないし、お金になる技術もない。

 

 僕は基本的に自分に自信がない。

 人に対して「これだけは誰にも負けない」と誇れることが何一つとしてない。

 「もっと自分に自信を持ちなさい」と言われることがたまにあるし、「もう少し自分に自信を持てたらなぁ」と思うこともある。

 だけどやっぱり自信を持てない。

 

 それでも、自分のことを信じている。

 

 今までは大学とか会社といった組織に属して守られていたから気づかなかったけど、そこから離れて自分が丸裸になると、自分というものがよく分かるようになってきた。

 

 組織から離れて自分の足だけで立ってみると、意外なことにそれほど不安を感じなかった。

 

 何がどう影響して自分のことを信じるようになったかはよく分からない。

 幼いころから自分の心の声に従って今まで生きてきたのが理由かもしれない。

 親や教師などの言うことに何も考えず従ってきた部分はあるけど、大事なことは自分の心の声を聴いて判断した。

 それで何とかなっているのだから、自分を信じられるのかもしれない。

 

 心の声とか書くとスピリチュアルな感じがして好きではないけど、自分の深い底のほうから生れる気持ちを大事にすれば自分を信じることができるのではないかな。

 

 すくなくとも、人生の岐路や大事な地点で、他人ではなく自分の判断で物事を決める習慣があれば、その人は自分を信じられるようになると思う。

 

 

 松島で出会った彼女とは文字どおり一期一会で、連絡先も交換していない。

 この先も出会うことがないかもしれないけど、彼女には感謝している。

 いろいろな気づきを与えてくれたから。ありがとう!

 

 

 

 

ネット断捨離した結果

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 毎日パソコンをしていると、いつの間にか頭がずぅんと重くなってくる。食べ過ぎてお腹がいっぱいになるように、情報が次々に入ってくると頭がいっぱいになる。

 そうなるとなんだか鬱々とした気持ちになってきてネガティブになる。

 

 こんなとき、よっぽど意志の強い人ならパソコンやスマホに触れないようにできるのだろうが、自分はついついパソコンを立ち上げてしまう。

 

 だから、強制的にパソコンから自分を引き離すことにした。

 

 幸いなことに、僕はネットのつながらない環境を持っている。

 僕がお世話になっている芸術家は、家とはべつに山にアトリエを持っている。

 そのアトリエはネットがつながらない。だからそこに一泊二日の予定で行ってきた。

 

 一日目

 その日は芸術家と一緒に山作業をした。

 夕方芸術家だけ家に帰り、僕はアトリエに残った。

 アトリエは生活できるような仕様にはなっていないが、冷蔵庫や炊飯器、オーブンなど最低限の家電があり、水道も使えるので、寝泊まりくらいはできる。

 

 日が暮れて、災害用ラジオを聴きながらごはんをつくる。

 僕はスマホを持っていないので、情報源はこのラジオのみ。ラジオも調子が悪いのか、雑音しか入ってこないのでしばらくして消した。

 人里から少し離れたところにあるアトリエなので、冷蔵庫の音くらいしか聞こえない。もう少し時期が進めば、冬眠から目覚めた動物たちの鳴き声が聞こえてくるのだけど。

 

 家から持ってきた細井和喜蔵の『工場』を読むのだけど、山仕事で疲れたせいか7時すぎにはうつらうつらしてきた。

 夢うつつのなか、ボっ―としていたら10時になった。

 持ってきたボディーシートで身体をふき、歯を磨いた。

 その後、ソファーに寝袋を敷いて眠りにつく。

 

二日目

起きたら9時40分だった。

12時間近く寝ていたようだ。

たくさん夢を視た。もう忘れたけど。

 

朝は畑仕事をした。

畑仕事をしていたら、たけのこが生えていたので収穫。まだ小さかったけど、大きくなるのを待っていたらイノシシに食われてしまう。

 

昼になりごはんを食べ、髪を切る。

僕は自分の髪は自分で切る。セルフカットを始めて、もう五年になる。器用ではないが慣れれば自分で切れるようになるものだ。

 

部屋の掃除をし、自転車で家まで帰ってきた。

 

結果

たった一泊二日のネット断捨離だけで、すごくスッキリした気分になった。

 

パソコンやスマホを長時間触るのは、明らかに身体にとって毒だ。

デジタルデトックスという言葉もあるし、ぼくたちはなるべくならパソコンやスマホを触らずに生活を送るべきなのだ。

 

まぁそんなわけにはいかないから辛いわけだけど。

 

でもたった一泊二日のネット断捨離でスッキリするのだから、多くの人が試してみる価値はあると思う。