軽トラキャビン⑦ 壁を張る

 今日は壁を張り塗装しました。

 まず4mm合板を屋根の寸法に合わせてノコギリでカット。

 今日は雨が夕方が降るとの予報だったので、カットしたらすぐに水性アクリルシリコン樹脂で塗装しました。

 

  塗装に使ったのはこれ。

 セールス中なのかどうか知らないけど、アマゾンにて50%OFF、送料無料で2155円と安かったので購入。ホームセンターだと3150円だったのでかなりお得。

 

 最初、ローラーで塗ってたんだけど、うまく塗れないからハケにした。

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 こうして見ると、ムラがある。

 もう一回塗ろうと思う。

 

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骨組みをつくるとき合板のことを考慮に入れず、等間隔で組んだので、合板と合板のあいだにすき間ができた。屋根も同様にすき間が空いたので、今度合板と合板のあいだに木を入れて補強する。

 

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 ミリ単位で計算して設計図を組んだが、骨組みがゆがんだりし、それに合わせて合板をカットしたので、合板の寸法が骨組みに合っていない。まぁ初めて作っているのだからこんなものなのかもしれない。

 

 今回学習したこと。

・車に載せた状態で塗装すると、ペンキが窓に付着して困る

youtubeでは一人で作っている人が多いけど初心者には大変

 今回仲間に合板を持ってもらって骨組みに合わせて墨をひいた。ビスをうつときももってもらった。

・骨組みだけのとき前後左右にかなりぐらついたが、合板を張っていくごとに強度が増していった。側面を張り終えると前後に揺れることがなくなった。前面上部だけ張った状態でも横にあまりぶれなくなった。

 

 今度前面に網戸を張る。

 後面はアクリル板を入れた扉を入れる。

 

 12月までには完成できそう。

googleは今後、製薬会社に転身するだろう

ガルヴァーニが開発を目指すのは、体内の神経信号をモニタリングできる埋め込み式の小型機器だ。さらに、こうした機器を使用することにより、関節炎や糖尿病、ぜんそくなど多くの慢性疾患に見られるインパルス(活動電位)の不整や変化といった問題にも対処できるようになるかもしれない。慢性疾患によって引き起こされる神経系信号の異常を、電気インパルスを使って修正するわけだ。 

完成すれば、この生体電子工学機器は、錠剤と同じほどのサイズになり、体内に埋め込まれることになるだろう。一度限りの手術で効果が何十年も続き、定期的な投薬治療の必要がなくなる可能性もある。ただし、機器に動力を供給し続け、体内で何年もの間、確実に機能できるようにしなければならない、という課題もガルヴァーニは抱えている。

 

wired.jp

 

 今、ユヴァル・ノア・ハラリの21 Lessons 21世紀の人類のための21の思考を読んでいる。この本の「自由」という章で、アルゴリズムと自由の関係が述べられている。

 

 私たちは自分の感情に従って行動しているし、理性によって物事を判断していると思っている。私たちは私たちが自分の意志で決断できていると思う時、自分が自由だと感じる。

 ユヴァル・ノア・ハラリは、近い将来、自分の感情や意志よりもアルゴリズムを信頼し、アルゴリズムの決定を優先するようになるかもしれないと述べている。

 

 現実では実際にそれがすでに起きている。

 たしか名古屋のタクシー会社だったと思うが、AIを使った運行サービスを開始したという。

 どこに、何時に行けば、客を効率的に拾うことができるか。

ベテランはこれまで、自分の経験によってそれを判断し、新人よりも客を効率的に拾い利益をあげていた。AIの導入にベテランは懐疑的だったが、いざ導入してみると、ベテランの勘よりもAIのほうがはるかに効率的に客を拾うのだった。

 

 google創薬ベンチャーを立ち上げたし、多くの製薬会社に投資を行っている。

 この動きは今後さらに加速していくだろう。

 冒頭にあるように、googleはバイオ電子薬を発明し医療に貢献しようとしている。錠剤ほどの電子薬を体内に投下することで、さまざまな疾患を治療する。あるいは、がん細胞化しそうな細胞を未然に切除するなどの予防も行うようになるだろう。そのような未来が実現されれば、医師や病院などが今後不必要になるかもしれない。

 

 ここだけみれば、googleはすばらしい事業を行っていると思うかもしれない。

 しかしこれは表向きの理由だと僕は思う。なぜgoogleは製薬会社に投資するのか。

 

アルゴリズムをバイオメトリックセンサーに接続すれば、アルゴリズムはそれぞれの場面が心拍や血圧や脳活動にどう影響したかを知ることができる。たとえば私たちがタランティーノの『パルプ・フィクション』を観ているときに、男性間の性的暴行の場面でほんのかすかな興奮を覚えたことや、ヴィンセントが誤ってマーヴィンの頭部を撃ってしまう場面ではやましそうに笑ったこと、ビッグ・カフナ・バーガーについてのジョークがわからなかったのに、間抜けに思われたくなかったので笑ったことに、アルゴリズムは気づくかもしれない。『21 Lessons』P79

 

  googleが本当にやろうとしていることは、これまでと同様にデータを集めて利益を得ることだ。ただし、これからは私たちの体内に文字どおりダイレクトに侵入してデータを集める。

 電子薬は病気の治療や予防を名目として使用されるだろう。だがしかし、それは個人のデータの収集としても使われる。どんなときに喜び、どんなときに悲しみ、どんなときに興奮したか。心拍、血圧、脳活動のバイオデータを収集し、個人の嗜好に沿った商品が広告としてあなたの目の前に表示されるだろう。友人や恋人、家族の誰よりも電子薬、すなわちgoogleはあなたを理解している。あるいは、監視している。

 

 それはジョージ・オーウェル一九八四年 (ハヤカワepi文庫よりもさらにディストピアである。

 『1984年』では、テレスクリーンと呼ばれる双方向のテレビによって行動が監視されている。生活はすべて監視されている。だがしかし、主人公のウィンストン・スミスはひそかに日記をつけ思考犯罪を犯している。恋人のジュリアは表向きは党の方針を熱心に信奉しているように見せかけて、じつはその方針に疑問を抱き、ウィンストンと交流を重ねる。

 

 電子薬が完成すれば、ウィンストンやジュリアのようなことはもはやできないだろう。

 『1984年』では、生活が監視されているとはいえ、死角があった。「テレビ」は、「遠い」を意味する「テレ」と「見る」を意味する「ヴィーシオ―」というラテン語に由来する。つまり、テレビは遠くから観ているものだ。電子薬は違う。それは私たちを内側から観ている。

 

 犯罪を犯したウィンストンは拘束され、拷問をうけることになる。そこで党の方針に反対する思考は矯正され、党を愛するようにさえなる。

 電子薬が完成すれば、わざわざ拷問して矯正する必要はなくなる。私たちが気づかぬ間もなく、血流や脳の電子回路を「治療」という名目で矯正するだろうから。電子薬はだから警察でもあり、精神病院でもある。

 

 データや情報が金になるこの時代で、googleはすでに覇権を握っているといってよいが、今後人間の身体からダイレクトに情報を得ることでGAFAと呼ばれる四天王から頭一つ抜け出すかもしれない。googleが未来のビッグブラザーになる可能性は十分にある。

 

 

 

生産性のある趣味とは?

 父の趣味はパチンコである。母はそれを嫌っている。

 

 父は最近コロナのせいで会社を解雇されたにもかかわらず、相変わらずパチンコに通い散財している。毎週だか、毎月だか、1000円もするパチンコ雑誌を購入し、研究?しているにもかかわらずパチンコ業界に搾取されている。母によれば、父の預金通帳はマイナス残高になっているらしい。パチンコでサラ金数百万の借金もし母に家を追い出された経験があるにもかかわらず、「好きだから」パチンコ通いをやめられない。もはや依存症である。

 

 

 生産性のある趣味にしたらいいのに。そんなことをふと思う。

 しかし、はて?、疑問に思う。

 生産性のある趣味とは?

 

 

 よく雑誌やネット記事で、女の子にもてる趣味特集とか受けのいい趣味とは?みたいなのが組まれているが、こういった記事タイトルを見るたびに愚問だと思う。

 趣味って、自分が好きだからそれが趣味になるのに、女の子にもてるから料理を趣味にするっておかしくないですか?いや、べつに出発点が「女の子にもてるため」でもいいのよ、それが高じて料理が楽しくなって趣味になるってのはgood。でも、べつに楽しくもないし好きでもないしなんなら面倒だけど、ただひたすら女の子にもてたいから料理!みたいなのは趣味とはいえないのではないだろうか?

 

 生産性(せいさんせい、Productivity)とは、経済学で生産活動に対する生産要素(労働資本など)の寄与度、あるいは、資源から付加価値を産み出す際の効率の程度のことを指す。(wikipedia より)

 

 生産性とはつまり、稼げるの?効率がいいの?って話なんだが、趣味に生産性を求めるのはおかしいと思うんですよ。

 

 趣味ってのは基本的に余暇にやるもので、仕事じゃないから趣味なんだけど、それが仕事のための趣味だったとしたら、なんか気持ち悪いと思ってしまう。

 おそらくエリートサラリーマンって趣味さえも仕事のためと思っていて、平凡なサラリーマンなら余暇の時間に酒飲んでテレビ見て屁こいてだらだら過ごしているのに対して、エリートサラリーマンは仕事のために筋トレやランニング、読書といった趣味に励んでいる。そういうエリートサラリーマンはいきいきはつらつとしていて、まわりからの人望も厚く、当然仕事でも結果を残す。

 

 でもねぇ、僕はこういうエリートサラリーマンは気持ち悪いなぁと思いますね。こんなのは資本主義の奴隷ですからね。仕事でも搾取され、趣味でも搾取されてるじゃないですか。平凡なサラリーマンは少なくとも酒飲んでテレビ見て屁こいてる時間は搾取されてないぜ。一方、仕事のために筋トレやランニング、読書しているエリートサラリーマンは余暇の時間さえも搾取されているのだ!

 いや、もっとも、筋トレやランニング、読書を楽しんでやっているのなら、それは純粋な趣味でもあるから、表面上はそれが純粋な趣味なのか、それとも仕事のための趣味なのか判別できない。

 さらにいえば、平凡なサラリーマンだって、酒飲んでテレビ見て屁こいてる時間が仕事のため(!?)ならば、やはり平凡なサラリーマンだって余暇の時間をも搾取されているといえる。

 話は混迷するばかりである。

 

 

 なにはともあれ、生産性と趣味は本来相容れないはずなのである。

 趣味ってのは、好きだから趣味になるのであって、稼げるからとか、仕事につながるからとかいうのであれば、それは趣味ではなく、仕事か、あるいは仕事のための仕事なのである。

 

 

 自分はとにかく、趣味の世界に仕事が侵入してくる事態は避けたいのである。

 なぜなら、好きだったものが好きでなくなってしまうからである。

 

 自分はたしか、走ることが好きだったから陸上を始めたはずなのに、それがいつのまにか、勝つためにとかタイムを縮めるために陸上をしているようになってしまった。これは非常にまずい事態である。

 勝つために、タイムを縮めるために陸上をする。そのために辛い練習に耐え続ける。勝っているあいだ、タイムが縮まっているあいだはいいのだ。勝つことは楽しいし、タイムが縮まっていくのは嬉しい。だが、勝ちがあれば負けがあるし、いつかはタイムの更新もできなくなる。そうすると、走ることが嫌になる。

 小学生のあいだは走ることが楽しかったから走っていた。中学生のときもまだ楽しかった。でもこれは勝てるしタイムがどんどん縮まっていったからだ。高校生のときはもう、ただ苦しいだけだった。高校生で燃え尽きてしまい、それ以降はもう走っていない。

 走ることが好き、ならずっと走り続けられる。でも、勝ちたいからとかタイムを伸ばしたいからという生産性が侵入してきて、好きだからという動機にとって代わられると、いつか走りたくなくなるときが訪れる。それは悲しいことだ。

 小学生の男の子がよく将来の夢はプロ野球選手になることだと言っている。でもいざプロ野球選手になった人たちは「しんどい、苦しい」と言っている。それは野球をやる理由に生産性が侵入したからだ。それは当然のことで、彼らにとって野球は趣味ではなく、仕事だからだ。

 

 もう一つ。

 人はみな、子どものあいだ、自分が生きるこの世界に好奇心を持ち、この世界を知ろうとしている。学ぼうとしている。しかし、大人になるにつれ、世界に関心を失い学ぼうとしなくなる。

 その理由について、大人になるにしたがって世界をどんどん知り、分かっていることばかりになるからだというのが一般的な説明だ。

 しかしこの説明は間違っている。なぜなら、逆説的だが、世界は知れば知るほど、分からないことが増えていくからである。宇宙について知れば知るほど、分からないことが増えていくと科学者が言うように、知識がつけばつくほど「自分は何も知らないということ」に気付くのである。井の中の蛙が大海を知るのと同じである。

 

 ではなぜ、ほとんどの大人がこの世界に対する関心を失っているのか?

 それは先ほどと同様に、生産性が侵入してくるからである。

 子どもはみなこの世界に関心を持ち知ろうとしている。だから大人を質問攻めにする。しかし学校に通い、知識を植え付けられ、テストによって優劣を決められることにより、知りたいから学ぶという好奇心は、テストでいい点を取りたいから、いい大学に入りたいから学ぶという生産性にとってかわられる。

 そうなると当然、順位が下の子はつまらないし、「自分は頭が悪い」と思うようになる。で、中学で成績が上位だった子でも進学校に進めば、下位になる子がいる。進学校で上位だった子が東大に進んでも、今度は東大で下位になる人もいる。天下の東大でも、その東大の中で上には上がいるので、「自分はダメだ」と思っている東大生もいる。

 これは実に不幸なことだ。この世界は奇妙奇天烈で知ろうとするにふさわしい世界であるのに。本来、学ぶという行為、知るという行為に順位など必要ないではないか。生産性という邪悪な動機が好奇心をねじふせてしまったばっかりに、ほとんどすべての大人の学ぶ意欲は燃え尽きてしまった。学校の罪は極めて重い。

 

 こういった理由により、趣味に生産性が侵入してくるのは避けたいのである。避けたい、いや避けなければいけない。しかし資本主義はいやおうなしに、生活に、人生に、生産性の論理を持ちこんでくる。

 資本主義はすでに、お金がなければ生きていけないシステムを構築してしまったから、我々はお金なしに生きていけない。だから、どんなかたちであれ仕事はしなければならない。そうすると、必然的に生産性が絡んでくる。恐ろしいねぇ。

 

 ということで、僕は父親の哀れな趣味を無下に否定できないのである。

ポアンカレ予想とパラレルワールド

 

前回、『数学ガール』から3次元サイコロ面を3次元で見た画像を引用した。

 

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matsudama.hatenablog.com

 

 

 量子力学の世界では、パラレルワールドも登場するのだが、それは多世界解釈と呼ばれている。

 自分たちのいるこの世界は宇宙が誕生した138億年前にできて、それと同時にこの世界とはべつの世界が枝分かれした。そこから無数に枝分かれした世界が、同時並行して存在しているというのが多世界解釈だ。

 

 「シュレディンガーの猫」で有名なシュレディンガーがたてたシュレディンガー方程式は、ミクロな物質のふるまいを計算できる。この方程式によって得られる数式を理解しようとすると、パラレルワールドを想定せざるをえない事態になるという。

 

 実験で、一個の電子をスクリーンに向かって発射すると、スクリーンの一か所に痕跡が残る。

 一個の電子は、スクリーンに当たるまでは“波”として広がっている。しかし、それがスクリーンに当たると“粒子”として痕跡が残る。

 

 多世界解釈とはべつに、コペンハーゲン解釈というものがあって、その解釈はスクリーンに当たるまで電子は“波”として存在していて、スクリーンに当たる瞬間に電子は「収縮」して“粒子”になるのだと説明する。しかしシュレディンガー方程式ではこの「収縮」という現象は存在しない。

 

 一方、多世界解釈は、スクリーンに当たる可能性があるすべての場所に電子は衝突するのだと解釈する。空間を電子が突き進んでいて、スクリーンの10か所のどこかに当たる可能性があるとする。すると、衝突した瞬間に10の世界に枝分かれするのだ。現実に存在するのは一か所で、残り九か所は別の世界すなわちパラレルワールドとして存在する。ただし、その世界を私たちは観測できない。

 

 いずれの解釈にも問題がある。

 コペンハーゲン解釈の、それまで波だったものがスクリーンに当たった瞬間波が消え、収縮して粒子になると考えるのは無理がある。波はどこへ行ったのか。

 一方多世界解釈も、べつの世界を観測できない以上、多世界解釈は妥当という判断は保留せざるをえないのである。

 

 コペンハーゲン解釈における「収縮」は対象物を「外」から観測したときに初めておきる。電子が衝突する瞬間を、傍から見ることができるからこそ、収縮したと分かるのだ。しかし、これが宇宙全体の話だと事が違ってくる。

 一般的に、宇宙に外側はないと考えられているので、宇宙の外側から観測することはできないのである。だから量子宇宙とこの解釈は相性が悪い。一方、多世界解釈では収縮という考えはないので破綻が生じない。

 

 

 とまぁ、コペンハーゲン解釈多世界解釈というふたつの説があるわけだが、ポアンカレ予想と関連づけると、この二つの解釈はどちらも間違っていないと思われる。

 

 一番上の3次元サイコロ面を3次元で見るという画像を見て欲しい。

 この立方体の外側のすべての領域すなわち宇宙全体は、じつは立方体の6つのピラミッドの底面に貼り付いた立方体である。立方体の外側はじつは立方体の内側である。

 

 過去記事でも書いたが、この3次元サイコロ面を人間だとする。

 立方体の内側とは何か?それは心である。つまり、宇宙=心である。

 一般的に宇宙に外側はないと考えられているが、この説明は片手落ちで、宇宙に外側はない、そして同時に宇宙に内側もない。なぜなら、宇宙、そして心はクラインの壺であり、内側はすなわち外側であり、外側はすなわち内側だからである。宇宙を観測するということは、心を観測するということである。

 

 哲学者ベルグソンのたしか『物質と記憶 (岩波文庫)』だったと思うが、円錐の図が登場する。

 底面の円は想像のレベルで、頂点が現実すなわち、この生きる世界との接点で、底面から頂点に向かうプロセスで、過去の記憶をもとに現実的な行動が決められるという、そういう説明があったと思う。

 

 これはちょうど、コペンハーゲン解釈と一致する。

 つまり、一個の電子はスクリーンに向かうプロセスで、現実的な一致点が定められるのだ。私たちが何か行動する際、実際に行動する手前には、さまざまな選択肢がある。それは心のなかで想像できる。あれもできる、これもできる。電子でいう波に等しい。今日の昼めしにハンバーグ定食を食べるという選択肢もあれば、カツカレーを食べるという選択肢もある。

 しかし、実際の行動では、その多様な選択肢のなかの一つが選ばれる。これはつまり、選択肢が「収縮」して一つの行動=「粒子」となったということである。ハンバーグ定食とカツカレー、どちらかが選ばれるのだ。

 このように考えると、コペンハーゲン解釈が間違っているとはいいがたい。

 

 ポアンカレ予想は、単連結で局所的に3次元世界が成立する閉多様体は、3次元球面に同相であることを予想したもので、ペレルマンによってこの予想が証明された。

 人間それ自体もおそらく単連結の3次元閉多様体で、心=宇宙は3次元球面、すなわち空間としては4次元である。

 何が言いたいかというと、空間が4次元であるということは多世界解釈も成立するということである。

 2次元のものが3次元の世界には無限に収納できるように、3次元のものは4次元に無限に収納できるはずである。だから、われわれの3次元世界が、他の世界と同時並行で4次元世界に無限に存在していてもいいはずなのである。

 ただし、生物学的には、われわれの世界と他の同時並行している世界を認識することはできない。それは目、あるいは脳が3次元しか認識できないからである。局所的な3次元世界で生きる私たちは、4次元を認識できないようになっている。

 

 心は違う。

 よくよく考えてみれば、私たちは当たり前のように、心で別の世界を生きている。

 「もしあのときこの選択をしていれば今頃このような人生を送っていたかもしれない」とか「今頑張ればあの大学に合格して楽しい学生生活を送っている」とか、そういう現在の現実とは違う世界を私たちは思い浮かべることができる。これが多世界解釈が成立する証明である。そういう世界は現実として存在しているのだ。

 しかし身体自体は、局所的に3次元世界が成立する世界に在るので、その思い浮かべた世界と影響を与えあうことはないし、その世界に移行することはできない。

 

 今回、量子力学の説明をするにあたって、雑誌ニュートンを参考にした。

 量子力学の世界では、コペンハーゲン解釈派と多世界解釈派に分かれているそうだが、ポアンカレ予想と照らし合わせて考えてみると、どちらの解釈も両立すると思う。

ポアンカレ予想も、量子力学も概要しか理解していない素人による判断だが。

 

 それにしても、哲学や心理学、仏教学他さまざまな学問が、心と宇宙の親密な関係について語っていて、おそらくポアンカレ予想、数学の世界でも、心は宇宙と同じではないかと言っているのだ。決してメタファーではなく、心は宇宙であり、宇宙は心なのだ。

 

 この記事が何か新しい発見に結びつくことを願う。

 

軽トラキャビン⑥ 床と骨組みをくっつける

 

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 家の中に置いていた床をのっける。

 これだけ一仕事。量ってないけど、30~40㌔はある。

 

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ジャッキで持ち上げられるか確認する。

用意したものは、1mの単管パイプ4本

        2mの単管パイプ2本

        直交クランプ 4つ

        ジャッキベース4つ

 

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無事、軽トラと切り離せた、が、めっちゃぐらぐらする…

 

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床と骨組みをくっつける。

やっとキャビンらしくなってきた。

 

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天井に屋根を貼り付けたところで今日は終わり!

 

 

ポアンカレ予想と心のかたちについてのメモ③

  

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数学ガール ポアンカレ予想』P178より

 

 

「ここで、大きな立方体は裏返しになっていると考える」

「どういうこと?」

「君はこの図形の外側の全宇宙のことを、立方体の《外》だと思っている。しかし、立方体の《内》だと考えてみる。3次元サイコロ体の《中》に全宇宙が入っているんだよ」

「いや、意味がわからないんだけど」

「たとえば無限に広い宇宙を考える。その中に、ガラスでできたこの立体が浮かんでいるとしよう。そのとき、周りの宇宙全体を《中》に抱えている裏返しの立方体は正方形の面を6個持っていて、それがピラミッドの6個の底面に貼り付いているということ」

「うっ!」と僕はおかしなうなり声を出した。なんだその発想は!

「見えたかな」

「見えた。ぐるりと裏返した立方体ということだね!」

「そうだ。3次元サイコロ面を3次元にむりやり押し込めた様子は、そんなふうにも描ける。位相的には無限遠点を加える必要があるけれど」

「・・・・なかなかだなあ」

「次元を下げて、同じこともできる。つまり、2次元サイコロ面を2次元にむりやり押し込めてみよう」

「それはわかるよ。一つの正方形を大きくして潰すんだよね」

「それでは重なってしまうから、正方形の周り全体を《中》だと思うことにする。6個目の正方形の《中》は、⑥と番号を付けた領域すべてだ」P178-179

 

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数学ガール ポアンカレ予想』P175より

 

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数学ガール ポアンカレ予想』P179より

 

 この件を読んだとき、衝撃を受けたよね。おおお!!!って。

 いや、まだこの内容を完璧に、腑に落ちたかたちで理解しているわけではないけど、これは宇宙と心が一致していることを示唆している。

 

 

 

自分にはこう見えた。

 

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 この大きな立方体は人間である。

 大きな立方体の内部にある小さな立方体、これが人間の心。

 立方体は宇宙のなかにぽつねんと浮かんでいる。大きな立方体の外側が全宇宙なわけだが、上の文章にあるように、周りの宇宙全体を抱え込んでいる裏返しの立方体が6つのピラミッドの底面に貼り付いている。

 

 何が言いたいがというと、宇宙=心なのだ。おおお!って思わないかい!?

 数学的に、宇宙と心は同じものだという説明が上の文章ではなされているのである。

 

 宇宙の中に人間がいて、それはつまり宇宙の中に心があって、そしてまた心の中には宇宙がある。このような、論理的には矛盾した状態が現実であるが、学問の世界ではむしろこの矛盾のほうが普通なのが面白い。

 

 量子力学しかり、華厳経しかり、哲学しかり。

 

 中沢新一や、ゲーデル、エッシャー、バッハ―あるいは不思議の環 20周年記念版

 の作者ホフスタッターも同じことを言っている(ポアンカレ予想には触れていないが)

 

 エッシャーの絵を見てもらえれば分かるように、「不思議の環」というのは、ちょうどメビウスの帯のように、内側と外側が一体となっている環のことだろう。

 

 ほんまに不思議な世界やね、この世は。

数学ガール/ポアンカレ予想 (「数学ガール」シリーズ6)

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  • 作者:結城 浩
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軽トラキャビン⑤ 床完成と側面骨組み

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 床完成しました!

 縦220㎝×横130㎝です!

 

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 床が一部落ち込むので裏に木を入れて補強!

 

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 側面の骨組みも完成!

 あとはこれを先ほどの床にビス止めし、合板をはりつけていきます!

 高さ160㎝×横270㎝