読んだマンガや本の感想

宿泊したホテルに置いてあって、読んでみたら面白くて一気に12巻まで読んでしまった。

まず設定が見事だと思う。魔王を倒した後から物語が始まるという発想、すごくない!?主人公が仲間を集めていってラスボスを倒しに行くというのが普通の発想で、冒険もののアニメやゲーム、映画はそういう構造なのに、葬送のフリーレンは違う。

さらにすごいと思ったのが、主人公のフリーレンはエルフで1000年以上をゆうに生きて、冒険をともにした勇者ヒンメルは人間である点。冒険をともにした期間は10年で、人間にとってその10年はとても大きく価値がある一方、フリーレンにとっては一瞬なのでたいして意味をもっていない。だからヒンメルの葬式では、フリーレンは悲しみを感じていないのだが、それを見た周りの人がフリーレンを批判する。そのギャップに困惑したフリーレンは、自分は何も知ろうとしなかったと涙し、人間を知るため再び旅に出る。

人間に酷似したアンドロイドをつくる大阪大学の石黒先生は、どうしてアンドロイドを作るのかという質問に、人間を知るためだと答えている。Aを知ろうとするとき、Bを作ってその対比によってAを知ろうとするというのはよくある手法で、石黒先生はアンドロイドとの対比によって人間を知ろうとしている。

カズオ・イシグロ(ここでもイシグロ)の『わたしを離さないで』という作品も同じだ。この作品は、人間に臓器を提供するためだけに生み出されたクローンたちの友情や嫉妬、恋愛を描いている。臓器を提供することによる死が確定しているクローン。自らの生が生まれながらに決められたクローンという存在を描くことによって、私たち人間の生の本質を問うこの作品も、クローンという対比を持ち出して人間を知ろうとしている。

1000年以上生きるフリーレンは、フェルンやシュタルクとともに冒険しながら、ヒンメルたちと冒険していた過去を想起する。そうして、少しずつ人間を理解していく。

この作品が手塚治虫文化賞を受賞するのも納得で、この作品は単なる冒険マンガではないのだ。作者がどこまで考えているか知らないが、この物語は、フリーレンという対比を使って人間とは何なのかを問う哲学的作品でもあるのだ。だから、葬送のフリーレンは、鉄腕アトムブラックジャックなどの、人間とは何かを問う手塚作品と共鳴しあう作品で賞を受賞するのも必然なのだ。

それにしても、作者はこの作品をじつはギャグ漫画として構想していたのが面白い。たしかに、笑えるところがたくさんある。でも、なんで笑えるかというと、結局ズレを利用しているからで、これもやはり対比の問題なのだ。最強のフリーレンが、誰もひっかからないミミックに食われたり、紙飛行機を遠くに飛ばす魔導書のために面倒くさい頼まれごとを引き受けるのが笑えるのも、ギャップがあるからだ。本当に素晴らしい作品だと思う。

優れた作品は、作り上げられた文脈や世界と対比させて、自分自身あるいは世界や社会のべつの見え方を提示してくれる。上に挙げた作品もそうだし、個人的にはその最高峰に『進撃の巨人』があると思う。あれも、巨人のいる世界、そして主人公が壁の中にいる世界という虚構と対比させることで、読者や視聴者は、自分たちの生きる世界を深いレベルで知ることができる。

『葬送のフリーレン』はまだ物語の途中だからどうなるのか分からないけど、フリーレンが最後に人間をどう理解するのか楽しみだ。

 

著者は、幼いころ母を関節リウマチで亡くし、それが研究者としてのキャリアの出発点になっている。

自分も多くのアレルギーを抱えているし、最近話題になっている人食いバクテリアは、自己免疫疾患が関わっているんじゃないかと思っているので読んでみた。

リウマチ熱では免疫細胞が、関節や心臓の細胞をレンサ球菌と混同するようだ。なぜかというと、これらの細胞についている表面マーカーが、免疫システムにレンサ球菌だと認識させるマーカーと、ほぼ同じだからだ。レンサ球菌は自ら破壊行為をしながら、法律にきちんと従う善良な双子の弟を警察につきだす邪悪な兄のようだ。この細菌が犯人だと疑われている疾患は、リウマチ熱だけではない。複数の免疫疾患について、レンサ球菌が関わっている疑いが見られる。免疫システムが何か危険なものと間違えて健康な組織を攻撃することを、交差反応という。免疫細胞が互いによく似ているという理由で、異なるふたつのものを見境なく攻撃してしまう。こういった交差反応の裏でいくつかの細菌やウイルスが糸を引いている、と研究者はにらんでいる。P93

うーん、これが答えのような気がする。

外部から来たウイルスとかは免疫細胞が必死に食い止めようとするわけだから、数時間で身体が壊死していくことは考えにくい。

でも、普段常在しているレンサ球菌が交差反応をひきおこしているとしたら?本当に怖いのは、敵ではなく寝返った味方ではないか?だって、味方が寝返ったら、だれも身体を守ってくれないわけだから、そりゃあっという間に身体が壊れていくだろう。

人類は長い歴史のなかで、外からやってきたいろんなウイルスやら細菌やらにやられてきて、医学はその闘いに勝利してきた結果、外からやってきたウイルスによって死ぬことはなくなってきた一方、今度は逆に自壊しはじめてきたような気がする。その一つが、自己免疫疾患で、自分の身体が自分の身体を攻撃することによって死んでしまうのだ。これは、都市の浄化が進みあまりにキレイな環境になってきたことや、抗生物質の多用によって体内の細菌の多様性が失われてきたことなどが、自己免疫疾患が増えてきた理由としてあげられるのだろう。

 

ネットニュースでよくこの本が登場するので読んでみた。結婚はコスパが悪い?の章と中国のレポが印象に残った。

アンケートの質問の仕方で結果が全然変わってくるというのはよく聞く話だが、「まだ結婚するつもりはない」という回答を、「いずれ結婚するつもり」として「結婚したい」側に組み込むのはなかなか強引だな(笑)そこから「日本人は9割が結婚したいと思っている」と解釈して政策をつくるのはひどい。裏に婚活関係の権益がいるのだろうか。

下方婚はしたくないという女性が多くいて、そうすると学歴も年収もある女性は釣り合う男性がいないから結婚せず、学歴も年収もない男性も釣り合う女性がいないから結婚できない、という文筆者の赤川の分析にはなるほどと思った。

自分は学歴はあるが年収はない。そんな自分は結婚できようができまいが、(決して強がりではなく)どっちでもいいと思っている。婚活したことはないし、マッチングアプリは入れてない、だからといってべつに結婚したくないわけでもない。意外と自分みたいな人間も多いんじゃないかと思う。というか、結婚に限らず、さまざまなことで、したい/したくないに二分できるのかなと思う。

たとえば、アメリカに行ってみたいかと聞かれたら、まぁ行ってみたいかなと思う。で、べつにアメリカに行く金も時間もあるし行こうと思えば行けるけど、だからといってじゃあ行くかとはならない。行ってみたいとは思うけどべつに行きたいとも思わない。結婚もそんな感じ。

 

中国の章では、26歳の文筆者が、中国は日本よりはるかに発展してて日本はすでに完敗だと述べている。とはいえ、中国は今不況らしいからどうなんだろうな。

完敗だと感じた文筆者は、もっと若い奴に任せてほしいと述べている。自分も、文筆者の立場に同意する。

しかしなぜ、世界中で年功序列がまかり通っているのだろうか。たとえば20代や10代の人間が総理や大統領になっている国がないのはなぜなのか?ビジネスの世界では20代や10代のトップがいるのは普通なのに、なぜ政治ではじいさんばかりがトップなのか。もちろん芦屋の市長みたいに20代の長はいるけど、県レベルや国家レベルではほとんどいない、それはなぜなんだろう?多くの人が、高齢政治家は害悪だと思っているが、だからといって若い人が行政の多くを占めることもない。アメリカ大統領選でさえ、記憶力がないじいさんと頭のおかしいじいさんの闘いになりそうである。それはなぜなのか?

なかなか、奇特というか、興味深いというか、読み始めたら面白くて3巻までついつい読んでしまった。

出てくる人みんなちょっと不器用だなと思いつつ、だからこそ、なんかいいなと思っちゃう人間関係。

45歳のおっさんのこの鈍感さはなんだと思うし、まぁだからこそ物語が成り立っているわけだし、24歳のこの女の二面性は現実でも普通のことなのかなとか、こういう不思議な恋愛関係?ってあるのかなと思った。

自分はヤニ吸わないし、吸う奴の近くにはいたくないし、ヤニ吸う人間が世間の端っこに追いやられるのは歓迎だけど、スーパーの裏でヤニ吸うこういう人たちが完全に排除されなければいいなと思う。端っこさえもなくなるような社会は、あまりに息苦しい。

ヤニだけじゃなく、さまざまなことで、端っこのほうで、端っこだけはうまく見過ごしてくれる社会であってほしい。