斎藤幸平『ゼロからの『資本論』』『ぼくはウーバーで捻挫し、山でシカと闘い、水俣で泣いた』感想

斎藤幸平著の二冊を読む。

資本論』の解説本を何冊か読んでいて、斎藤幸平の本も『資本論』の解説なんだが、とても読みやすい一冊だった。難しい言葉は出てこないし、本当にゼロレベルでも読めるのでオススメできる一冊。

マルクスは実は環境問題にも関心をもっていて、資本主義による環境の破壊を防ぐためにどうすればいいのかということに、彼はちゃんも言及しているのだと斎藤幸平は指摘している。マルクスは環境問題に関心を払っていなかったというのが学者たちのなかでの一般的見解だったらしいが、いやそうではないと斎藤幸平が指摘している。環境問題という新たな視点からマルクスを読み解くことで、マルクスをまた深く理解できる。そういう読みを提示してくれたのが斎藤幸平。

斎藤幸平の本を読むたびに思うのだが、彼は良くも悪くも優等生なんだよな。言ってることは間違いないし、だからこそ多くの人が彼の主張に希望を持っている。でも、それが現実で実践できるのかというと、難しいんじゃないんかなと思う。人間はやっぱりバカだから、いつまでたっても戦争するし、温暖化してないと主張をする人間を大統領に選ぶ。斎藤幸平の提示するアソシエーションを世界中のすべての人間が実践できれば、今よりもっといい環境を人間は手に入れられると思う。なら、そうしましょうよと簡単に進められないのが人間なわけで。それはいろんなしがらみがあったり、既得権益を手放したくない人間や組織が邪魔したりするからだろう。そうして物事は進まず、問題はいつまでも解決しない。

まぁ、個人的には、問題は「ある意味で」すでに解決に向かっていると思う。ニートやフリーター、引きこもりはまともに働きもしないし、金もないから経済をまわさない。結局、経済が環境をぶち壊しているわけだから、経済がぶっ壊れればとりあえず自然の搾取はおさまる。そして、今の若者全体の傾向として、結婚に興味がなく、子どもを産まないわけだから、そもそも環境を壊す主体が減っているわけで、だからこそ環境問題は解決に向かっている。人間を持続不可能にすることが、環境を持続可能なものとするのだ。

組織は必ず勤続疲労を起こし腐敗する。組織にとってもっとも大事なことは、当たり前だが組織を維持することで、維持させるためには組織が設立された目的さえも逸脱する。しかし今の若者の間に起こっていること、不登校、引きこもり、ニート、結婚しない、子どもを産まないは、組織的に起こっていることではないから、それ故に強力な問題解決策となる。

もちろん、これは環境問題を解決する策として有効であって、国家の抱えるさまざまの問題を解決するものではない。国力は否応なしに低下していくから国家間のパワーバランスが崩れ戦争が起こる可能性もある。国民が減ることでその他いろんな問題が起こるのは確実だ。

だけど、人間の絶滅以外に環境問題はおそらく解決しない。自分の周りにいるクソみたいな人間を見ているとつくづくそう思う。

 

もう一冊は、斎藤幸平がいろんなところに取材に行ったり、自分が体験して感じ取ったとったりしたものが記事として書かれ、本になったもの。

いろんなところに問題があるんだなーと思った。そして、それを解決するために、奮闘している人たちがいる。

京大のタテカン文化は、京大と何の関わりもない自分でも、なくならないでほしいと思っている。去年行ったときはまだあったな。だけど、規制は強まっているようだ。本に書かれていたことで、印象的だったのが、タテカンのある景観が当たり前でなくなれば、新入生は規制する側ではなく、作る側に疑問を抱くようになるかもしれないというところ。そもそも、ないものを想像するということはとても難しいことで、タテカンがなくなれば、タテカンのある光景を想像できなくなり、作ることすら思い立たなくなるだろう。それってジョージ・オーウェルの『1984年』の光景と似ている。2+2が5であれば、ほとんどの人間は4であることすら考えなくなるだろうから。

あと、あつもりの章も興味深かった。資本主義が嫌で島にきて、ちゃんとした世界を作ろうと思ったのに、結果的に島の独裁者みたいになってしまったという。これ、たぶん現実でも至る所で起きているだろう。特に、政治の世界で。政治家の肩を持つわけではないけど、たぶん最初はみんな、社会をよくしよう、頑張るぞと思っていたはずだ。だけど、いつの間にか裏金に手を染めるような政治家になっていた。これは、政治家個人の問題でもあるが、多分に構造的な問題でもある。

 

どちらの本も、読んで損はない一冊。