合同会社を起業する前の個人的な不安や懸念を記しておく

2年前に県の林業体験で知り合った仲間と林業に関連した会社を作ることになった。が、いろいろあって屋号と事業内容だけ決めたまま何もせず時だけが過ぎていた。最近「物事をそろそろ動かしたい」と思って、登記などのいろいろの手続きをするために動いている。自分は会社の作り方など一切知らないので、本を読んだり、県の起業相談窓口でいろいろレクチャーを受けたりしている。法人をつくるというのは、個人事業と違ってめんどくさいことが多い。いろいろとやらないといけないことや決まり事が多い。まぁそれだけ覚悟してくださいよってことなのだろうか。とはいえ、定款はネットに転がっているコピペを使いまわせばいいとか、資本金を口座に入れて映しをとり会社に資金が入ったことを証明しないといけないとか、なんか茶番だなぁと思ってしまう。

それはさておき、会社を興す前の不安や懸念を備忘録として記しておこうと思う。

一番不安なのは、組織が大きくなってコントロールが効かなくなったらどうしようというものだ。組織が大きくなるということは、事業が軌道に乗るということで、それはちゃんと金を稼げているということだ。起業する前から、儲かるという想定をしているのは甘ちゃんのような気がするが、正直、事業に失敗して倒産することよりも、事業が拡大して組織が大きくなるほうを恐れている。なら、起業するなよって話なんだが、起業して会社を経営するという経験をしてみたいのだ。まぁ人生一度きりだしな、会社というシステムをよく知るためには、会社を経営するのが一番いい。会社に雇われて働いたところで、自分の業務は限られているし、保険や税は勝手に給与から天引きされるだけだから分からない。会社というシステム、ひいては社会システムを、深いレベルで経験してみたいから起業したい。

普通の起業家は、どんどん金稼いで事業を拡大して組織を大きくしたいと思っているだろうが、自分はべつに金を稼ぎたいという強い欲求がないから組織を大きくしたいと思わない。仲間と二人で始めてなるべく二人の組織に留めておきたい。さっき書いたように、起業という経験、会社を運営するという経験をしたいから起業する。あと、起業しようがしまいが、自分は山で活動するし、薪を作って売るし、サウナも作る。趣味と仕事は完全に一致するのだ。どっかに雇われて興味のない仕事をするよりは、趣味を実益化して生活したい。つまり、生活を資本化して生きていきたい。これは『しょぼい起業で生きていく』という本に書いてあったことで、なかなか参考になった。

趣味が仕事になると、趣味が嫌いになるということがよく起こるらしい。野球を好きで始めた子が、プロ野球選手という仕事になると野球をすることが苦痛になるように。もしかしたら、自分もそうなる可能性はある。でもたぶんそれって、趣味が過剰になるせいだと思うんだよな。たとえば、自分は薪割りが好きだが、それを一日中、毎日やるのはしんどい。やるのは一日一時間くらいでいい。でも事業が軌道にのって、薪がばかばか売れ始めると、そんなこと言ってられなくなるだろう。ひたすら薪をつくる作業に追われることになる。そうなりゃ当然薪割りは趣味から単純作業になり苦痛になる。なるべくそうなるのは避けたい。そのためには、事業を小規模のままとどめておきたい。事業が拡大して人を雇うと、その人の生活に責任を持たないといけないからめんどうだ。

難しいのは、それが自分にコントロールできるかということなんだよな。法人化するとそれがコントロールできるのか分からないから今不安になっている。事業を軌道にのせたいが、のせすぎないようにするということができるのか。事業がうまく行きすぎてめんどくさいことがたくさん起こるというのは世界中で頻発している。

たとえばウーバーイーツ。これは自分の想像だが、ウーバーイーツの創業者は、散歩かサイクリングしているときに「これついでに食べ物を運べば儲かるんじゃね?」と考えたと思う。いわば生活の資本化である。誰もがどこかに移動している。そのついでにランチを運べば小遣い稼ぎになる。そうすれば店は配達員を抱えなくてすむし、客はわざわざ店に出向く手間が省けるし、配達員は散歩のついでに小遣い稼ぎできるし、ウーバーイーツは手数料が手に入る。4者が得するウィンウィンウィンウィンだ。近江の商人の三方よしを凌駕している。しかし、まさかの小遣い稼ぎを専業化する人間が出てきた。これは社会の不況が大いに関係しているだろうが、ウーバーイーツだけで生きていこうとする人間がたくさん出現するようになった。そうなると、配達は散歩のついでではなく、労働になる。で、配達中にケガをすればそれは労災になる。だが、ウーバーイーツは散歩のついでだと思っているから労災にしたくない。ということで、ウーバーイーツ配達員は配達中にケガをしても労災がおりない社会の底辺の仕事という印象がもたれ、同じ職種で働く労働者を描いた砂川文次の『ブラックボックス』は、現代のプロレタリアートが生きる沼を見事に表現したということで芥川賞を受賞した。

ウーバーイーツは誰もが得をするすばらしいシステムだから、事業が軌道に乗り世界的な組織になった。だが、利用者が増え、ウーバーイーツ配達を専業にする人間が現れ、配達員はケガをしても労災が下りない、給料も安い社会の底辺の仕事として認識されることになった。労災認定に関する裁判も起こっている。ウーバーイーツ創業者はこんな未来を想定していたのだろうか。いずれにせよ、組織が大きくなるとこういった煩わしい事態が頻発するのだ。

もうひとつ例をあげておく。フェイスブックは最初大学の仲間だけで共有するアドレス帳みたいなものだったのが、今や世界で20億近くの人間が利用するシステムになっている。小規模で使われるシステムにとどまっていれば大して問題なかっただろう。だが、何十億もの人が使うシステムになり、個人の登録する情報が選挙やビジネスの戦略に利用されるデータの集積場になったことで、創業者が議会に引っ張り出されるほどの問題に膨れた。これも組織が大きくなったことで生まれためんどくさい事態だ。

こういう事態にならないために個人がコントロールすることは可能なんだろうか。

自分のこのブログはそんなに読まれるほうではないから好き勝手に書ける。でも、どんどん読者数が増えていき、社会的に認知されるレベルにまでなるとアンチが湧いてくるだろう。有名人の話によれば、99人がポジティブな応援をしてくれても、1人がネガティブなことを書いてくるとそちらのほうが印象に残ってしまうようだ。そうなると、炎上しないようにと、自主規制するようになるから好き勝手にできなくなる。たぶんyoutuberのヒカキンはものすごく神経をすり減らしているだろう。彼は日本で一番有名なyoutuberだが、とにかく炎上しないように心掛けているらしい。彼もおそらく最初は純粋に楽しくてアップロードしていただろう。そして、どんどんファンがついていき有名になったら、もう純粋な楽しみだけではなく、重たい責任も背負い始めたはずだ。彼が炎上すれば、当然youtuber全体のイメージが悪くなるからだ。お金を稼ぐためにブログを始める人が多いが、儲けたら儲けたでアンチが湧いて苦労しているブロガーもたくさんいると思う。だから、小銭を稼げているレベルの今の自分は、個人的には理想的な状態にある。小銭しか稼げないが、めんどくさい人間が攻撃してくることがなく好き勝手に書けるからだ。

何年か前に、仲間と近所の喫茶店に行った。店の前に看板があって、「名物エビ丼」と書かれていた。エビ丼ってなんだろうということで、昼に行ったら、店主のおばあちゃんが「今はない」と言い、われわれは諦めて出てきた。名物で推している丼が、まだ昼なのにないってどういうことよ?べつに繁盛しているわけではない、なんならほとんど車はとまっていなかった。店主のばあちゃんは二人分の利益を逃したことになる。

でもそれでいいのだ、と起業を目前に控えている自分は思う。この適当さ、これがめんどくさい事態を回避しながら経営を続けるコツなのだ。田舎のこの適当さを都会のビジネスマンはもったいないと嘆くだろう。で、こうすればもっと儲かるとアドバイスする。で、儲かる。儲かったらどうする?二号店、三号店を出そう。おばあちゃんは会長にでもなって、誰かに経営を任せればいい。そうすれば、おばあちゃんは店にいなくてもお金を稼げますよ、すばらしいではないですか?でも、ばあちゃんは言うのだ、私は常連さんと毎日おしゃべりするのが楽しいのよ、と。

ま、とりあえず起業しないと。そうしないと何も始まらない。