中田敦彦がカルトの教祖に見える

今日、軽トラのイグニッションコイルなどをかえてもらいに整備工場に行って、作業をぼっーと眺めていたら、お笑い芸人の中田敦彦はなんかカルトの教祖みたいだなーと思った。

最近、松本人志への提言というYOUTUBE動画で話題になっている。動画はけっこう再生されていて、コメント欄には権力のある人間にこういうことを言えるのは大事というようなのがけっこうあった。

動画は長かったので観てないし、お笑いの世界がどうあろうとべつにどうでもいいのだが、いろいろと面白いなと思った。

松本人志は、言いたいことがあるなら二人で話そうやとツイッターに投稿しているが、中田氏にとって今の主戦場はテレビではなくYOUTUBEなので二人で話すみたいなことはないだろう。もちろん中田氏には松本人志に言いたいことがあるから提言したわけだが、内容はともかく一番重要なことは話題になって再生数を稼ぐことなのだから、実際に提言が受け入れられるかよりも、話題になることのほうが重要なのだ。だからすでに中田氏の目論見は成功しているといえる。

あと、この動画によって中田氏はより一層ファンへの訴求力を獲得しただろう。これ、トランプとかぶるなぁと思った。トランプも、敵を作って分断を煽り訴求力を獲得していった。こういうのってカルトの常套手段なんだと思う。敵がいることで、内部の人間は敵に向かって一致団結するからだ。

内部の人間が迫害を受けても、それはそれで意味がある。以前、カルト宗教だかマルチの信者が訪問勧誘するのは、新規に信者を獲得するためというよりも、信者が何度も追い返され苦しみ落ち込んで帰ってきたところで幹部は慰め、より信者の帰属意識を高めるためというツイッターの投稿があった。頭のいい人間は考えることが違うのだ。

 

マックス・ウェーバーの『プロ倫』が本当に価値ある一冊だと思う理由は、組織というのはその理念なり意図とは異なったかたちで進んでいく可能性があることを示したからだと思う。

資本主義を特徴づける利子を否定したプロテスタントが、その教義の影響でより資本主義的な精神を持った信者をつくりあげていくという皮肉。これと同じようなことってけっこう起こっていると思うんだよな。

たとえば、最近なにかと教養が大事だといわれてて、発言力のある著名人がさかんに教養の大事さを説いている。たしかにそれは間違っていないのだが、現実ではそれと裏腹に陳腐な教養とでもいうべきファスト教養を身に着けようとする動きが盛んである。本の要約サイトで「flier」というのがあって、創業者はこのサイトを通じてその本を読むきっかけをつくりたいと言っている。が、実際は、要約を読んでそれで終わりというのが多いらしい。教養を身につけるきっかけを与えるはずが、実際はファストな教養を与える場になってしまっている。

中田氏もYOUTUBEで教養の大切さを説いていて、彼の本の解説動画はすごく細かくてめちゃくちゃ読み込んでいるんだなというのがわかる。とはいえ、彼の動画を観た人間は、自分も含めてだがそれで満足して実際に本を読んだりすることはない人が多いだろう。

 

なにが書きたかったんだっけ、うまく言語化できないが、内容とそれが与えるメタ的な効果ってけっこう乖離しちゃって、変な方向に行ってしまうことは多いじゃないかってことをいいたい。『プロ倫』の一例のように。

中田氏がたとえカルトの教祖になりたくなくても、彼のファンなり取り巻きが勝手にカルト的な行動を示すことはあると思う。

森友や加計問題で「忖度」が話題になったが、安倍がもし何も指示していなかったとして、職員が忖度して勝手にやっていたのだとしたら、責任はどこにあるんだろう。結局森友加計問題にしてもうやむやになってしまって責任の所在がわからない。国家の中枢も、ある意味で非常にカルト的である。

宗教にしろ、マルチ商法にしろ、カルト的な集団は外部に敵を作って、内部の結束をはかる。外部から攻撃を受けることは、ないことよりもむしろ重要で、攻撃されるからこそむしろ内部の結束が高まる。カルトのトップは、だからこそ外部に攻撃をしかける。

中田氏の心中は分からないが、もしお笑いの世界をもっとよりよくするためではなく、権力ある者を攻撃し敵をつくって内部の結束を高めるために松本人志への提言を行ったのだとするのなら、こいつはカルトの教祖であるとみなしてよいだろう。