久しぶりに飲み会に行ってきた感想

竹やぶが欲しいなーと思い、地域でたけのこを生産している会に連絡したところ、竹やぶの紹介をしてくれる人に取り次いでもらった。昨日竹林整備している人に普段活動している竹林の案内をしてもらい、少し手伝いもした。作業後、今日の夜、情報交換したいし、ホウトウを作るから家に来ないかと言われ、いろいろ聞けるしいいかと思い行くことになった。

自分は友達づきあいをもうしていないし、誰かと飲みに行くこともないので、飲み会というものに参加するのは何年かぶりで、時間が近づくにつれだんだん行くのが憂うつになってきた。たかが飲み会なのに緊張してお腹がはってきた。学生のころ、ゼミで食事会があったとき、途中で食べ物を飲み込めなくなって吐きそうになったのを思い出した。たぶん軽い会食恐怖症なんだと思う。行くまでにネットで、飲み会を途中で帰る方法をずっと調べていた。

そもそも、竹やぶが欲しくなったのも、たけのこを売って小遣い稼ぎしたり、竹細工したりという目的の他に、誰にも会う可能性のない空間を確保したかったというのがある。誰にも会わない空間を確保するために、人に会わなければならない、飲み会に行って関係を構築しておかなければならないというのは本末転倒というわけではないけど、面倒くさいなぁと思った次第。

時間が来たので会場に行くと、一緒に作業した人の他に、竹林整備しているグループのメンバーが数人来ていた。32の自分以外は、みんな70をこしているおじいちゃんおばあちゃんだった。食べ物を飲み込めないかもしれないと思ったけど、差し出された猪の燻製を普通に食べられて良かった。同時に、自分のひ弱さに辟易した。

グループがどんな活動をしているかとか聞かされた後、自分がなんで竹やぶを欲しくなったかとか普段どんな仕事をしているかとか話した。その後は、おじいちゃんたちの昔の話になってついていけたりついていけなくなったりした。

仕事のことをきかれ、便利屋みたいな感じですと答えた。実際そんな感じだが、自分の都合で適当に働いているので、フリーターというか毛の生えたニートに近い。いろいろしてますねと説明したら、いろいろできるのねと好意的に取ってくれたので良かった。

同級生や結婚、彼女のことを聞かれなくて良かった。実際話すことなんてないからである。同級生たちが今何をしているかは、知らない。議員になったのがいるが、それを話すとグループと議員の橋渡し役にされそうなので、聞かれなくて助かった。

時間が進むと子連れ夫婦が途中参加して、話題の中心はそちらに移った。子連れ夫婦はよく喋り、いろんなことに積極的な移住者だった。

おじいちゃんおばあちゃんたちはよくありがちな若者への否定、説教ではなく、温かく受け入れてくれる雰囲気を持っていた。ところが自分がひねくれているせいか、それはそれで少し気味悪さを感じた。うーん、なんていえばいいのかな、すべてが何も間違っていないと逆に受け入れられないのだ。ダメだな、うまく言語化できない。

自分が内向型の人間なせいか、こうやってどんどん人間関係が構築されていくのは恐怖である。外向型の人間にとってはどんどんチャンスが拡がっていくわけだからいいのかもしれないし、内向型の自分もできることがさらに増えていくからいいことといえばいいのだが、自分の時間が削られていくかもしれないのは苦痛である。田舎なので、人間関係の網目が密で、昨日初めて会った人が高校のだいぶ上の先輩だったりして、あーめんどくさくなりそうと思った。すごくいい人なんだけど。

竹やぶのことについてはどういう感じなのか話がつかめたので、早く帰りたくなってきた。3時間すぎたところで、会はお開きとなった。なんかすでにグループの仲間にさせられそうな感じになっているが、ためになる活動だけ参加しようかと思っている。竹やぶは、グループ活動になりそうなので、他の候補地を探したい。

飲み会っていうのは本当に大変だと思った次第。仕事でもないのに、参加しないといけない会社員は本当に苦痛だろうな。基本一人で働いている自分には絶対無理だ。滝沢カレンはいつも「トイレに行く」と行ってそのまま飲み会を抜けて帰るそうだが、それで友達と縁が切れたとテレビか何かで言っていた。

飲み会がもっとラフな感じで、言い訳とか口実なしにふらっと参加できて、ふらっと抜けられるものならいいのになぁ。日本人は内向型が多いと思うのだが、もっと内向型が生きやすい社会になったらいいなぁと思う。