試験の前日は東日本大震災だった

今週のお題「試験の思い出」

 

あれからもうすぐ11年がたとうとしているのか。そう思うと時の流れを早く感じる。試験の前日は東日本大震災だった。前期大阪大学を受けたけど落ちてしまい、後期試験で神戸大学を受けるために神戸に向かっていた。2011年の3月11日。その時間は高速バスに乗っている時間で揺れには気づかなかった。神戸が揺れたかどうか知らないが、後日奈良女子大学を受けた同級生が奈良は揺れたと言っていた。浪人しているうえに絶対受かると思っていた大阪大学に落ちたから精神的にきつい状態で神戸に向かっていたと思う。夕方三宮について宿泊する予定のホテルに向かうが、迷子になって三ノ宮駅のまわりをうろうろしていた。駅前で号外を配ってる人がいて、自分の目の前にいた女子高生たちが号外を見て「ヤバくない!?」みたいなこと言ってて、自分も号外を見たら地震で大火災が起こっている旨のニュースが写真とともに掲載されていた。とんでもないことが起きていると思った。駅から歩いて5分のホテルに1時間かけてたどりつき、その後は部屋でずっとテレビで震災関連のニュースを観ていた。どっか駐車場に大量にとめてある車が火災で全部燃焼していた。受験勉強しようかと思ったが、映画のような光景を映し出すテレビをずっと観ていた。次の日の朝、ホテルの朝食会場でニュースを観ていると、東北や関東の大学は軒並み試験中止か延期のテロップが流れていた。こんな大変なことが起こっているなかで試験なんかやってる場合なんだろうか、自分が受ける大学は試験をやるんだろうかと思いながら朝食を食べていた。後期試験は滞りなく行われ自分は神戸大学に合格した。

 

浪人しているときはふいに訪れる不安によく苛まれていた。また落ちるかもしれないという不安ではなく、自分は本当に理解しているのかという不安。テストで点はとれていたし、模試の判定も良かったが、自分は本当は何も理解していないのではないかという不安がふいに訪れてそれにふたをするのに苦労した。現代文は、答えになりそうな箇所から適当に文章を引用して切り貼りしていたら点が取れた。解答例も実際、本文からコピペしてきた文章だった。文章の意味がよく分かっていなくても、目星をつけた箇所からコピペして点を稼ぐことができた。微分積分や関数でも、微分積分が一体なんなのかよく分かっていなかったが、何をすれば答えが導けるかは知っていたので教えてもらった手順に従って解答することができた。実際にそれで問題はなかったし、阪大には落ちたがセンター試験は87%の得点を稼ぎ神戸大に合格した。

 

母校にはとても複雑な思いをもっている。

大学に行って気づいたが自分はそこまで頭がよくなかった。自分が神戸大学に合格できたのはひとえに高校のおかげである。田舎の進学校にありがちな熱心な指導のおかげで自分は合格できた。そして大学で学問する自由を得た。自分は自発的に勉強する人間ではなかったから、あの熱心な指導がなければ神戸大どころか岡山大にすら受からなかったかもしれない。自分は浪人時代はかなり勉強したし、そのことは今でも誇りだ。だから高校にはとても感謝している。しかし、学問をするうえで高校3年間と浪人1年間の勉強は何一つ役にたたなかったどころかむしろ足かせになった。自分は中学3年生のときふと疑問に思ったことを大学時代にひたすら掘り下げて卒業論文を書いた。自分の卒論は普通ではなく、査読した教授からも「君の卒論は論文の型にはまっていない」と発表会のときに言われた。その後に「しかし私はこの論文が好きだ」と告白された。もちろん評価は最高の「秀」だった。自分の卒論の礎は中3のときのふと思った疑問なのだが、高校浪人時代はこの疑問をいっさい掘り下げることができなかった。勉強や部活であまりに忙しかった。週明けテストや単元テスト、中間期末、校内模試、進研や河合、駿台、代々木模試…、クソみたいな無意味なテストのオンパレード。自分の疑問は学校の勉強とは関わりのないものだったし、そんなことを考える時間さえなかった。学問という観点からみれば本当に無駄な4年間だった。だから複雑な思いをもっている。高大接続についていろいろ議論がなされているが、個人的な経験からいえば高校までの勉強は大学の学問に接続されるどころかむしろ足かせになっている。

 

浪人時に苛まれていた不安は、本当は学問の萌芽だったのだと今では思う。正解を導いて得点できているにもかかわらず、自分は本当に微分積分を理解しているのだろうかという不安は学問への入り口だった。あのとき入り口にふたをせず微分積分について深く考えていれば自分はもしかしたら数学者になっていたかもしれない。しかし、おそらく神戸大学には合格できていなかっただろう。微分積分についての学問を始めなくたってテストで点をとれていたし、そんなことをしていれば他の科目に手がつかなくなる。微積の問題なんてテストではほんの一部だ、微積の勉強だけに時間をかけていてはいけない。そういうことで、あのころ自分はさまざまな学問の萌芽を自らの手で摘んでいたのだ。大学に受かるために。しかし、その大学は学問の萌芽を育てるところではないか。教育学者や文部科学省はこの矛盾についてもっとよく考えたほうがいい。

 

大学に受かっていろいろな背景を持った人たちに出会って自分の生きてきた世界がいかに狭かったか実感した。田舎出身というのもあって都会は衝撃だった。いろんな人がいたから。自分がたくさん勉強したことは誇りだし後悔はないし、いい大学に行けたからなおさら良かったが、高校いや中学のころからでももっといろいろやれていたんじゃないかと思う。あのときは、中学や高校が押し付けてくるさまざまな要求をただ受動的に受け取っていただけだった。もったいなかったなと思う。