ネコと触れ合うことで人生は動く

未来に待っているだろうリスクをあらかじめ考えられるようになることを大人になると表現するならば、自分も少しは大人になったと感じる。会社を起業するために本格的に動き出したが、起業したあとに待っている茫漠とした未来に不安を抱いている。さまざまなリスクやめんどうごとについて考えている。考えてそのリスクに対応できるよう準備できればいいが、何が起こるか予想がつかないのでどうしようもない。ワクワク20%、不安80%という感じ。とはいえ、決心はして動き出したので、起業しないという選択肢はすでに自分のなかにはない。

前々からなんとなく気づいていたが、明らかに自分は他の人よりも危機意識のようなものが欠如している。魂というか、精神というか、そういうものが球だとイメージすれば、自分の精神は他の人と比べて、顔を分け与えたアンパンマンのように一部が大きく欠落しているように感じることが多々ある。リスクについて考える能力、理性があまりない。だから、思い立ったらすぐに行動に移す。

学生時代に、ツーリング用の自転車を購入し、購入した翌日から3日かけて神戸から岐阜まで吹雪のなか走ったことがある。それまでツーリング用のロードバイクなんて乗ったことがなかったし、自転車で一日に走った最高距離もせいぜい10キロ程度だったのに、いきなり吹雪のなか毎日70キロ、80キロこいだのは、今となってはいい思い出だが、バカだなと思う。自転車のメンテナンスもなにもできないのに。案の定、米原で荷台のネジがゆるんだのか、荷台が外れてそれにひっかけていたツーリング用のバッグもいっしょに外れ、カバンが地面にひきずられて走行できなくなった。たまたま近くに福山通運だったか西濃運輸があって、自転車を運んでもらおうとしたら、優しい従業員が荷台のネジをしめなおしてくれて再び走行可能になり無事岐阜にたどりついた。それでメンテナンスくらいできるように勉強しとけばいいのに、結局パンク修理のやりかたさえ習得しないまま、東日本をずっと放浪していた。富山と東京と香川でパンクした記憶がある。まぁ北海道でパンクしなかったのはよかった。あそこは次の町まで何十キロとかざらだからな。道東でパンクしていたら地獄だった。

こういった危機意識の欠如のせいで、痛い目にあったり、苦労したりもするが、この欠如は、個人的には長所でもあると思っている。次から次にリスクが思い浮かべば、行動に起こすときに足がすくんでしまっていたかもしれない。やりたいことがあっても躊躇していたかもしれない。自分はやりたいことや行きたいところがあれば、すぐに行動に移せる。それはやっぱり未来のリスクについて考えないからだ。考えないというよりは、考える能力が欠如しているからだ。

で、どうして危機意識が欠如しているのかなと考えるのだが、人生を振り返ってみるにつけネコが関係しているんじゃないかと思うんだよな。ネコにはトキソプラズマという寄生虫がいて、こいつは人間にも感染する。このトキソプラズマという寄生虫に感染すると、どうやら恐れとかリスクについて考えられなくなるらしい。実験によれば、トキソプラズマに感染させたネズミは天敵であるネコを恐れなくなったらしい。恐れないどころか、ネコに近づいていくネズミさえいたらしい。トキソプラズマがネズミの危機意識を欠落させたのだ。

自分は子どものころネコが大嫌いだった。うちの敷地で臭い糞をするし、自由研究でうちの敷地の木に巣をつくって卵を産んだはとぽっぽを観察していたら、やつらが木に登ってきて卵を落としたからだ。それなのに、高校生くらいになると、いつのまにかネコがかわいく思えていて、人の家のネコをかわいがっていた。大学生になると、学内に住んでいるノラネコと仲良くなってよくいっしょに遊んでいた。たぶん高校生あたりで自分はトキソプラズマに感染したのだと思う。ネズミといっしょで、自分もネコに近づくようになった。そして危機意識が欠如した。自分の人生は、定期的に動いている。日常に退屈するということはほとんどない。安定よりも不安定が好きだ。起業するのも、そろそろ日常に変化を起こしたいと思ったからだと思う。

退屈な人生を変えたいと思ったらネコと触れ合うのがいい。ネコと触れ合えば、必ずではないがトキソプラズマに感染し、危機意識が失われる。行動を起こしたいと思っても、やっぱりなかなか行動を起こすのって難しいと思う。だから、そのときはネコの手を借りて自分を次の一歩へと押し出してもらうのがよい。