年齢を重ねた今のほうが知識が身についている

子どものときは脳がスポンジのように知識を吸収していって、年をとると覚えられなくなっていくとよく聞くけど、自分に当てはめるとそれは一概にそうともいえないんじゃないかと思いはじめた。というのも、30をこして数年たつが、今のほうがむしろいろんな知識を吸収できているからだ。

本を読んでも人の話を聞いても、すんなり理解できてイメージできるようになったことが大きい。これまでは、何を言っているのか理解できないから知識として定着しなかった。数学が苦手だと、何が何なのか分からないから解けないわけで今まではそういう状態だった。それがいつの間にか、コツを掴んだのか、解く手順がイメージできるようになったため、一つが解けるとその類似の問題も解けるかの如く、周辺の知識がすらすらと頭に入ってくるようになった。

料理で例えてみる。料理がまったくできない人間が、カレーを作れるようになりたいとすると、作れるようになるまでにはいろんなことができるようならないといけない。まず、人参や玉ねぎやジャガイモ、肉を買う。それらを包丁で切っていく。油で炒める。水を入れ煮込み、あくを取り除く。煮込んだらルーをいれる。

で、カレーを作れるようになったら、今度はその応用でシチューや肉じゃがを作れるし、肉じゃがを作れるならその応用でコロッケを作れるようになる。自分は今この段階にいて、カレーが作れるようになったから、その応用でいろんな知識が身につくし、いろんなことができるようなった。やったことがなくてまだできないことも、こういうふうにすればいいだろうというのがイメージできる。だから、楽しい。

20代のときは頭でっかちで、こういうことができるようになりたいと思いつつも、それをどうしたらできるようになるのかというのがまったく分からなかった。あのときは理想と現実が乖離しててしんどかったし、人にも批判された。

いろいろもがいて、でも運良く自分にフィットする環境に出会えたことで、少しずついろんなことができるようになっていった。ここ何年かでカレーを作れるようなったことで、他のこともその応用でできるようになった。

いろんなことが繋がりだすと、アナロジーというかメタファーというか、離れているものどうしを同じものとみなせるので、これはあれを応用したらできるんじゃないかとイメージできる。そうしたことを考えるのは楽しい。

子どものころに比べると記憶力では衰えているだろうけど、いろんな知識が身につき理解力が上がっているので、知識の吸収力ではそれほど違いはないように感じる。この段階まで来るのに苦労したが、登山と一緒で、山頂に到達するまでは大変だが、そこに至れば視界が開け世界を俯瞰できるようになりいろんな知識が有機的に結びつき結晶化する。

こういうことを知っている人が、人はいつからでも学べるし伸びると言っているのだと腑に落ちた。