読んだ本の感想

矛盾社会序説

あー痛いところついてくるなーという本。

noteに書かれた文章がまとめられた本で、大ざっぱにいえば、あちらをたてた結果こちらがたたなくなったという具体例が各章で述べられている。

私たちは自由に生きたいと思う。そして社会はそれを少しずつ叶えてきて、その結果べつの問題が発生してしまいました、残念。

女性の社会進出を促進することは正しい。家で専業主婦させて、しかも家事育児に給料はない、これは明らかにおかしなことだ。社会進出したい女性の権利を守ることは大事だ。そしてこれは、晩婚化や非婚、少子化トレードオフなのも仕方ない。子どもを産むことは女性にしかできないが、出産や育児休暇でキャリアを犠牲にしたくない。

世の中の多くはもぐら叩きのようなもので、こっちの問題を叩けば、そのせいで今度はあっちに問題が出現するのだ。

その他、ひきこもりやヤクザ、地方からの若者流出、障がい者の殺人などいろんな話が語られる。

著者の詳しい経歴は紹介されていないが、文章から、どういう道を歩みどんな人間になったのかがなんとなく分かる。治安の悪いところで育ち、低俗な人間が周りにたくさんいたのだろう。でも勉強に励みそこから抜け出した。地元へはもう戻りたくないだろう。でも、社会の矛盾に鋭く切り込めるのは、やはり治安の悪いところで育ったからこそというのはあるように思える。だからこそ、普通に育ってきた人が、見えているはずなのに見ていない駅前でビッグイシューを売るホームレスに、著者は気づいて毎回購入してあげられるし、誰も寄り付かない船場で釣りをするホームレスに話しかけることができる。これが彼の強みでもあるのだ。普通に育ってきた人間には普通ヤクザの知り合いなどいない。そしてヤクザ(しかも組の幹部)に「ヤクザなんていなくていいのではないか」と問うことなどできない。でも彼にはできる。こうした強みが、他の人には見えない社会の歪みや矛盾を見抜く目を与えてくれたのだ。

 

革命か戦争か

元オウム幹部の野田という人が著者。

オウムがグローバル資本主義への警鐘だったという副題が興味深くて読んだが、半分くらいは著者の生い立ちなんかで、そこにはあまり興味なかったから読み飛ばした。

よく、人には多面性があって、人のある一面だけ見て評価するのはよくないと聞く。それは組織にも当てはまるだろうか。

オウムはテロを起こした。そこだけみればオウムは断罪されるべきだ。テロに関わった者が死刑にされるのは当然だ。

だけど、バブルのあのバカげた時代に遊び狂っていた者と、その雰囲気にシラケて本当に意味のある人生を送ろうとした者、どちらがまともなのかいえばもちろん後者だろう。そして後者が救いを求めたのがオウムだった。著者もその一人で、東大に入ったあと、自分は社会のために勉強しようと励んでいたら、まわりはバイトにあけくれ女の子に気に入られるために服を買いまくったりしていたらしい。そして社会の雰囲気にシラけオウムに入信した。

著者はテロには関わらなかったため逮捕されなかったが、元オウムということで白い目で見られている。オウムやアレフと関わりがなくなった今でも、貧困問題を解決するボランティアを実践するネットワークへ参加することもできない。ネットワークを支える政治団体のことを考慮すれば、元オウムの人間と一緒に活動するのは都合が悪いからだ。

あー分かるんだけどな~。まともな感覚を持っていた人間が、入った宗教を間違ってしまったために、活動しにくい事態に陥ってしまう。頭もいいし、勉強もちゃんとしている、社会のために活動したいと思っている、それなのに元オウムということでにっちもさっちもいかない。なんだかなぁ。

著者は、脳科学者の苫米地と対談をしている。苫米地って人、賢いなーと思った。で、苫米地は、宗教っていうのは俗世間と関わらないという点でそもそも反社会的であって、オウムも政治に進出なんかせず、お山のうえで修行していれば良かったんだと話す。そうなんだよな、もし俗世間と関わらずテロなんか起こさずいれば、本の副題のとおり、オウムはグローバル資本主義への警鐘であり、アンチテーゼとして機能していたと思う。

結局、グローバル資本主義は世界を飲み込み、人々を分断し、トランプみたいなおかしなやつが大統領になっちゃったのだ。貧困は拡大し、人々は疲弊し、東横キッズみたいなのが出てくる。親が子どもにもっとかまってあげられたら東横キッズも生まれないかもしれないが、かまってあげられないほど厳しい労働環境にいれば、われわれは親も東横キッズも責められない。今のところ、グローバル資本主義に対抗するものがまったくないというのが現状である。

こういうのも矛盾社会の一つの例だ。苫米地がいうように、完璧なシステムなんてないわけだが、それでも価値観や宗教など、希望が持てるシステムというのが今まではあったわけで、希望が持てるというだけでもそれは人々の心の支えとなる。それが見出だせない今、絶望という死に至る病にかかる人が急速に増えている感じがする。個人レベルでは一体どうしていけばいいんでしょうね?