マルクスの『資本論』解説本を読み漁った

このまえ図書館に行ったら『資本論』解説本が目についたので何冊か借りて読んだ。

 

 

 

資本論』そのものは数年前に読んで中巻で挫折した。その後解説本を読んで何となくの理解で終わって、今回また何冊かピックアップして読んだ。

いやぁ面白い。『資本論』、面白いよ。斉藤幸平さんは最近メディアに出たり、『人新世の「資本論」』も売れてるからわざわざ言う必要ないが、佐藤優さんと白井聡さんの2冊もおススメ、面白い。正直白井さんは人としてあまり好きではないが、この人の解説はとても分かりやすいからおススメする。

ここ10年ばかしで『資本論』が改めて注目されている。この本はやっぱりすごいよ、最近になってもこうやって解説本が何冊も出ているってだけで、この本にはとても価値があることが分かるし、やっぱりこの本の内容はみんな知っとくべきだと思う。どうしても、マルクス=共産主義共産党というイメージで、共産党アレルギーのある人は敬遠していると思う。だけど、『資本論』の内容は資本主義社会の分析であって、必ずしもマルクス=共産主義ではない。本のどこかに書いてあったと思うのだが、たしかマルクスは最初共産主義社会を目指して運動したがうまくいかず、なぜ失敗したのかということを分析するために『資本論』を書いたという流れだったはず。『資本論』を完成させる前にマルクスは死んだのだが、マルクスの最晩年を研究する斉藤幸平によると、晩年のマルクス環境保全という観点から脱成長のコミュニズムを志向していたとのこと。だからマルクス=共産主義というのは必ずしも正しいとはいえない。

話はちょっとそれるが、個人的に共産党政治団体ではあるが、同時に宗教団体だとも思う。マルクスを神格化し、共産主義革命を起こそうとしている宗教団体。統一教会とか創価学会など、政教分離の観点から問題視されているが、共産党はどうなのよって思う。宗教って結局すごく定義がすごく曖昧で、われわれは仏教も宗教とみなしているが、仏教に神はいないし、宗教というよりはむしろ哲学に近い。だから、法律によって宗教を縛る、組織を解散させるというのはオウムみたいな明らかなテロ行為をしない限り難しいのではないか。統一教会は明らかに反社会的な組織だが、それならNHK電通は何人もの社員を過労死させているにもかかわらず一向に改善しないし、カドカワをはじめとする大手企業はオリンピック関連の問題を見れば分かる通り賄賂の温床になっているだろう。こういった法人も反社会的であるといえるが、解散させられることはないだろう。

 

労働者階級が資本家階級に労働力を搾取されて、その搾取した労働力をもとに資本家は余剰利益を生み出す。その余剰分を使って新しい店を作ったり、設備投資したりしてさらに利益をうみだす。資本主義というのは、資本がさらに資本を生んでいく絶え間ない運動である。

なぜマルクスたちの革命が失敗したか、あるいはいまだに共産主義革命が起こらないのか、それは結局のところ労働者階級が団結して資本家階級を打倒すれば共産主義社会が到来するという見方そのものが間違っているからだ。

マルクスはおそらく『資本論』を書いている途中に気づいたんだと思う。資本家VS労働者という構図は間違っていると。資本家は労働者を搾取する支配者には違いないが、同時に資本家は資本そのものに搾取されているのだ。

「資本家としては、彼は単に人格化された資本にすぎない。彼の魂は資本の魂である。しかるに、資本はただ一つの生活衝動を、自己を増殖し剰余価値を創り出す衝動を、その不変部分、生産手段をもって、能うかぎり多量の剰余労働を吸収しようとする衝動をもっている。」(② P96)

資本家は自らの意志でもって主体的に労働者を搾取し利益を出しさらに投資するというのは正確ではない。そうではなくて、資本家は、資本主義システムにおける一つの駒にすぎず、資本家が労働者を支配するように、資本主義システムもまた資本家を支配している。そして、資本家が搾取するのは労働力だが、資本主義システムは資本家の労働力どころか、人生そのものを搾取している。彼らは、仕事で成果を出すために禅や読書や筋トレや家族団らんに勤しむ。すべては仕事で成果を出すためである。彼らはそのもの自体を楽しむことはない。資本家は人生そのものを搾取される対価として、地位や名誉、金を得る。つまり、偉くなる。端的にいうと、偉い人間は資本主義システムにとってもっとも使い勝手のよい奴隷である。それでもあなたは偉くなりたい?

資本主義システムは、使い勝手のいい奴隷が使い勝手の悪い奴隷を搾取し資本を雪だるま式に増殖させる運動である。この運動は、人間だけでなく、自然をも搾取する。労働というのは結局のところ自然を搾取して道具を生み出す行為である。資本がどんどん増殖していくということは、それに比例して自然もどんどん搾取されていくということである。それによって、今の環境破壊が引き起こされた。斉藤幸平によれば、晩年のマルクスは今の破壊された自然をすでに予知していたのだ。これだけでもすごいことだ。そして、脱成長のコミュニズムを志向した、というのが斉藤の解釈。

脱成長のコミュニズムはたしかにすばらしいとは思う。しかし個人的にこれはかなり優等生の回答だと思うんだよなぁ、これが現実で実践できるのか、かなり疑問である。

マルクスの資本主義社会の分析はかなり有効だ。資本家が労働者を搾取して剰余価値を生む。そして資本家はさらに富み、労働者は貧しくなっていく。格差は拡大していく。企業は競争し、競争に負けたものは吸収され最後には一つだけが残る。この分析は見事に当たっている。今、世界の覇権を握っているのはGAFAで、今後このうちのどこかが抜け出すか、あるいは他のところが追い抜いて最後のイスを奪い取るだろう。その先にあるのは、労働者が団結して資本家を打倒する未来ではない。労働者は分断されているし、搾取されすぎて団結する気力もない。その先にあるのは「どんなに努力しても豊かになることはできない、ならば何もしないほうがいい」という諦観と絶望によって無気力に陥ったニートや引きこもり、寝そべり族の増殖である。これはいわゆる国家がみずからの内部に宿した癌である。この癌も資本と同様に、資本の増殖と比例して大きくなっていく。いわば車の両輪である。こういった存在は経済力がないので、結婚もできないし、もちろん子どもも持てない。だから人口が減っていく。そして、資本家と労働者は共倒れし国家は崩壊する。あるいは、その前に自然が崩壊する。いずれにせよ、先進国は崩壊する。先に進むとは何を意味するかというと、崩壊に向かって先に進むということである。このような意味で、日本は一番の先進国である。

で、この未来を食い止めるために、政府は躍起になっているし、経済学者は脱成長のコミュニズムだと言ってるわけだ。でも一番の解決策は、おそらくほとんどすべての人が無意識に気づいていると思うが、人類が絶滅することである。まったく、コロンブスの卵みたいな話だが、人類が絶滅すれば、環境破壊はとまるし、資本主義の崩壊もへったくれもない。問題は、どのようにして人類を絶滅させるかだが、戦争や核の使用は最悪の解決策である。戦争は環境破壊のもっともたるものだし、資本主義をさらに加速させる。自然や人工物をぶっ壊せば、それを再構築させるのに資本をさらに流通させることになるからだ。

もっとも穏健な方法は、実はすでに日本が実践している。つまり、子どもを産んだり育てるには莫大な金がかかるという意識を国民に植え付けること、そして多くの国民の賃金をあげないこと。これによって、日本は圧倒的なスピードで少子化政策を推し進めている。その先にあるのは日本人の消滅であり、これによって日本人はSDGsだのなんだのといった生ぬるい何の意味もない政策の何百倍もの効果を持った環境保護を実現する。他国はこれを見習うべきだ。もちろん、この政策は大きな苦痛を伴う。しかし、人類は今まで同じ苦痛を他の生物に与えてきたのだ。そして、多くの種を絶滅させてきた。そのつけは人類のどこかの世代が払わないといけないのであり、残念ながら今の若者世代が払うことになる。傲慢な、文字通りの老害たちは「我が亡きあとに洪水よ来たれ」と願っていて、本当にそのとおりになりそうである。だから、グレタ・トゥンベリの言うことに耳を貸そうとしないし、あれは大人が後ろから操っていると言うのだ。仮に大人が後ろから操っているにせよ、彼女の言っていることは本当のことではないか。政治家や資本家は経済成長を優先して環境保護を本気で実践していないし、自分の資産はどこかの島の口座に隠し持っている。

なんにせよ、本当の意味で自然環境を守ろうと思ったら答えは一つしかなく、それは人類の滅亡以外にない。その方法として、少子化によるゆっくりとした静かな消滅であれば、すでに日本をはじめとする多くの先進国が実践しているし達成できる目標ではある。だから、国家が考えることは、いかにして国家そのものをダウンサイジングしていくかということにつきる。ダウンサイジングするにあたって、いかにしてそれに伴う苦痛を最小限に抑えるか、政治家が考えることはそっちであって、子どもを増やすとか経済成長なんかではない。もっとも、政治家が考えているのはどうやって私腹をこやすかということらしいが。

 

やっぱりね、『資本論』をはじめとする古典は、時間の淘汰をかいくぐってきただけあって、読むべき価値があるのよ。古典は読むのに骨が折れるから、解説本でももちろんかまわない。巷にあふれている自己啓発本を何十冊も読むんだったら、古典かその解説本1冊読むほうがはるかに価値がある。