寝そべり族が資本主義を終わらせ環境問題を解決する

 

 中国で寝そべり族と呼ばれる若者が増えているらしい。

 寝そべり族とは、結婚せず、適当に働いて、だらだらと生きる、永遠に寝そべっていたい人たちのことである。日本でいうところの、ひきこもりとかニートみたいな感じだろうか。中国政府はこの寝そべり族に危機感を抱いているらしく、この種族をどうにかしようと躍起になっているという。

 

 よくよく考えてみたら、国家にとってもっとも恐ろしい存在って、ISみたいなテロ組織でもなければ、北朝鮮のような何考えてるかよく分からん独裁国家でもなく、こういったタイプの人たちだよな。ISとか北朝鮮ってのは、国家にとって外部の存在だから、最悪武力でもってぶっつぶしてしまえばいい。

 でも、寝そべり族ってのは国家の内部の存在である。国家がそもそも何のために存在しているかといえば、国民の生存の保護にあるわけだから、寝そべり族をぶっつぶすことはできないわけだ。逆に保護しないといけないわけ。消費もせず、結婚して子どもを作ることもせず、まともに働きもしない。寝そべり族とはいうなれば、国家が自らの内部に宿した癌である。

 

 マルクスは、搾取される労働者が団結し、搾取する側である資本家を打倒することで資本主義が終焉を迎えると予言した。しかし実際のところ、そうなっていない。自分の予想では、資本主義を終わらせるのは寝そべり族のような存在である。

 

 資本主義が寝そべり族を生み出すのは、偶然ではなく、むしろ必然である。

 資本主義は、得られた利益を再投資して、さらに利益を生むという構造になっている。膨らみつづける風船みたいなものである。それは破裂するまでひたすらパイを取り込みつづける。近代の資本主義は、最初市場が各国家内だけのものだったのが、一国家市場の提供するパイだけでは足りなくなりグローバルなものになった。

 グローバル資本主義になると、資本が一つの国家内ではなく、世界中の国家をめぐるようになるので、必然的に競争がより激しくなっていく。競争に負けると、これまでは国家の内部で回っていた資本が、外に流れてしまうからだ。

 このようにして競争が激しくなり、持てる者と持たざる者の格差がどんどん大きくなっていく。これはトマ・ピケティがデータでもって証明している。格差が小さいあいだはいいのだ。それは頑張ろうというモチベーションになるから。資本主義社会は伝統的な社会と違って、努力して成功すれば上の階級に移行することができる。貧乏でも頑張って東大に行っていい会社にでも入れば、金持ちになることも可能だ。

 しかし格差があまりにも拡がって、どんなに努力しても上に行くことができなくなると話は違ってくる。どんなに努力してもそれが無意味なものになると、逆に無力感が漂い、「何をしたって無駄なんだ」とすべてを放棄するようになる。何をしたって無駄なのだ、ならば何もしないほうがいい、このようなすっぱいブドウ理論を具現化した存在が寝そべり族なのである。

 

 こういった無力感は中国だけではなく、日本にも拡がっている。「上級国民」という言葉がそれだ。今では、プリウスで親子をひき殺したのにいまだに逮捕されない飯塚を指す言葉になっている。

 個人的には、飯塚より上級であるはずの河井元法務大臣はすぐに実刑判決が出たから、上級国民というものがあるのか眉唾だが、実際にそういうのがあるのかどうかが問題ではなく、国民のあいだに上と下があるという思いこみが蔓延していることは寝そべり族のような種族を生み出す大きな要因になる。

 どんなに努力しても上に行けないのなら、何もしないほうがいいという無力感は若者のあいだでけっこう蔓延している。

 

 寝そべり族は資本主義国家にとって癌だが、地球的観点から観れば救世主である。

 国連や先進国がSDGsを唱えたり、脱炭素社会にむけた取り組みを始めたが、まぁあまり効果はないと思う。たとえばレジ袋削減なんかも取り組みの一つだろうが、レジ袋削減のためにエコバッグを作るって一体何の意味があるんだ?エコバッグを作るのにまた資源を使っているではないか。家にある適当な袋を使ってくださいねって言うんなら分かるが、なぜわざわざ資源を使ってエコバッグを作る?結局、エコバッグという記号を消費させるために、そうやって経済をまわすためにやっている策にすぎないのだ。こんなんじゃ地球環境はもたない。

 

 短期的に地球環境が激変しているから国連や先進国があわてて環境対策を打ち出しているわけだが、レジ袋削減の取り組みから分かるように、経済をまわすための環境対策になっているから効果がほとんど見込めない。人新世の「資本論」 (集英社新書)を書いた斉藤幸平もSDGsの無力さを指摘していて、彼は脱成長コミュニズムこそが必要だと説いている。個人的にこの解決策は「優等生的解答」に見える。実現すれば環境への負荷は大きく減るだろうが、こういうコミュニズムをみんながすすんでつくるだろうかね?と思う。

 

 寝そべり族は脱成長コミュニズム以上に環境保護に大きな貢献を果たすだろう。

 彼らは寝そべっているだけで生きていくために最低限しか働かないから金がなく、したがってブランドに踊らされてばかげた消費をしない。最低限の消費しかしないから、意図せず?環境対策を行っている。

 「働かざる者食うべからず」とか「勤勉は美徳なり」といった資本主義の精神を持ち合わせていないから、資本主義国家そして資本主義精神を教育によって植え付けられた国民は彼らを憎むだろうが、地球は彼らを愛するだろう。

 マルクス史的唯物論による予言は間違っていて、自分の史的唯物論のほうが正しい。資本主義は、連帯した労働者が資本家を打倒することによってではなく、怠惰で無気力な人間が癌のように増殖することによって内部崩壊するのだ。