生活の延長線上で金を稼ぎ、環境問題を解決する。

 

うちの家にスギナが生えているので、スギナ茶を作って飲んでいる。

 

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ついでに多めにつくってメルカリで売っている。出品すればすぐに売れる。

メルカリ - スギナ茶 70g (¥600) 中古や未使用のフリマ (mercari.com)

 

 

スギナは無農薬の自然栽培なので、他の雑草(というか、日本ではスギナも雑草扱いなのだが)とともに生えている。スギナを取るついでに他の雑草も刈っている。

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スギナは茶葉に、他の雑草は草マルチとして畑に撒いている。

 

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梅雨に入って草木が一気に成長して困っている。

どうせ刈るんなら有効活用しようと思っている。

 

 

最近、話題になっている斎藤幸平の『人新世の資本論』を読んだ。

人新世の「資本論」 (集英社新書)

人新世の「資本論」 (集英社新書)

 

 

現在の膨張する資本主義システムでは、資本主義よりも早く地球環境が終わる可能性が高い。だから、1970年あたりの生活レベルにまで戻しましょうよ、と著者は言っている。

 

そのとおりだと思うのだが、個人的には企業が率先してそれをやるのは無理だと思っている。なぜかといえば、企業は利益を第一に考えなければならないからだ。企業がやっていることは、自分のスギナ茶の生産と正反対である。

 

自分はスギナ茶を自分や家族が飲むために作っている。その余剰分をメルカリで売っている。メルカリだと手もとにある分を出品することになるので、ロスが生まれない。

一方、企業の場合は逆である。まず作る、そして売る。やっていることがギャンブルなのである。すべて売れるかどうか分からないが、とりあえず作る。これではロスが生まれる。企業にとって品切れ状態はイメージダウンにつながるので、どうしても余分につくる必要がある。環境に悪影響である。必要ない分まで作らなければならないのだから。

 

だから環境問題を解決しようと思ったら、企業などの組織よりも個人がどれだけ行動できるかにかかっている。

 

 

個人個人が生活の延長線上でお金を稼ぐことができるようになれば、環境問題は今以上に小さな問題となり、資本主義システムも暴走しなくなると思う。

 

生活の延長線上でお金を稼ぐ。

家のまわりに草が茂っていて刈らなければならない。

どうせ刈るなら、除草剤を買ってきて撒くよりも、スギナ茶を作ったり畑にマルチとして使うほうが、環境にもいいし、お金にもなるし、一石二鳥である。

 

メルカリの登場で、個人が気軽にモノを売ったり買ったりできる社会になった。

これは本当にすばらしいと思う。メルカリってのは本当になんでも売れるのだ。こういう文化が醸成されたおかげで、個人が生活の延長線上でお金を稼ぐことが容易になった。

 

スギナ茶の生産・販売をするとき、企業なら売れるかどうか分からないなかで多く作らざるをえない。これがたとえばたくさん売れるとなったら、農場でスギナを育て、工場で生産し…となるのだろうが、こういうのが結局食品のロスになり環境破壊になるのだ。

しかし、これが個人のこじんまりとした生産・販売となると、家の敷地内に生えている雑草を刈り、自分たちで消費するついでに作って売るので、ロスにならない。

 

自分は今サウナをつくっていて、今後薪が必要になる。

この場合も、自分で生活に必要な薪をつくって、その余剰分をメルカリなりなんなりで販売していけばいいということになる。

 

このように、こじんまりとした収入源を寄せ集めて、ある程度の生活資金を得られれば理想である。

・収入源が複数あるので、リスクヘッジになる。

・生活に必要なものを自給自足するので支出が少なくなる。

こういったメリットがある。

 

こういったライフスタイルがつまり「百姓」なのである。百のなりわいを持つから百姓

 

 

地球環境を破壊しつくすほど資本主義システムが暴走している一つの原因は、個人が自分では何もできなくなって、なんでもかんでも商品を買わないといけなくなっているからだと思う。システムに依存しなけば何もできないほど、現代人は弱体化しているので、お金がなければ生きていくことができず、それゆえ将来に対して強い不安を抱いている。逆にいえば、企業や社会はそのような個人を作り上げたことによって、多くのお金が社会をめぐり、経済が発展してきたわけである。今まではそれでよかったかもしれない。しかしこのようなシステムでは地球がもたないのだ。

 

 

だからこそ個人が変わらなければならないのである。

個人が自らの生活でできることを増やして、その延長線上でお金を稼げるようになれば、将来への不安は減り、資本主義システムの暴走も多少は収まるだろう。

 

 

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