資本主義が生み出した最高傑作、大谷翔平

『SHO-TIME』を読み終わった。

この本は2021年までの活躍しか記していない。きっとこの本の著者も、度肝を抜かれただろう、その後の22年も23年も、エグい活躍だったのだから。しかも23年に関してはWBCでもMVPをとってるわけで、イレギュラーなシーズンインであの活躍だからなぁ。本当に怪物である。

大谷翔平をみてても、藤井聡太をみてても思うが、彼らは資本主義が生み出した最高傑作だ。というのも、資本主義というシステムがなければ、大谷翔平藤井聡太も生まれていなかっただろうから。 

資本主義は、徹底的に分業をおしすすめる。昔は椅子一つ作るのに、職人がすべての工程を担っていた。しかし、資本主義社会では工場のなかで分業化された作業をそれぞれの人間が担う。そちらのほうが効率的で、多くの椅子を生み出せるからだ。

家を作る人間は家を作ることだけに集中し、米を作る人間は米づくりだけに集中し、服を作る人間は服を作ることだけに集中する。そのほうが、一人一人が家を作り、米を作り、服を作るよりも効率的だ。こうして分業を推し進めていくことで、生きるためには必ずしも必要でない野球や将棋だけに集中できる人間が生まれる。そしてわれわれは、野球や将棋で大活躍する人間を見て、明日への活力を得る。

プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で、マックス・ウェーバーは資本主義の末期の人について語っている。末期の人とはちょうどスポーツのように競争にうちこむ人だ。結果のためにすべてを犠牲にできる人間。

一般的な労働者にとって、余暇は単なる余暇でしかない。しかし、エリート労働者にとって、余暇は単なる余暇ではなく、労働のための準備期間となる。読書も、筋トレも、サウナも、ランニングも、果ては家族との団らんでさえも、仕事で成果を出すための材料でしかない。そういえば、「STAP細胞はありまぁーす」と主張した小保方さんも、デート中も研究のことを考えていたと言っていたな。彼女は干されてしまったが、こういった、デートさえも労働の準備期間にできてしまう人間がエリートの階段を登っていくのだ。資本主義に飼いならされた太った豚となれるのだ!

大谷翔平はそういう意味で、資本主義が生み出した最高の豚といえる。すべてを野球のために犠牲にできる人間、いや犠牲を犠牲と思わない、努力を努力と思わない、余暇のすべてを労働に費やせる人間、これが資本主義システムが求める最高の人材である。

人材を育成するとは、結局のところ労働のために余暇を犠牲にさせられるよう洗脳するということで、自己啓発とはシステムの家畜となれるようみずからを従順な下僕に置き換えていくプロセスのことである。

もちろん資本主義時代でなくても、歴史上には多くの偉人が存在した。ただ、資本主義は、より効率的に確実に偉人を生み出せるシステムとして機能している。分業を推し進めれば、それだけスポーツや音楽、芸術などに集中できる人間が増えるからだ。資本主義は、大谷や藤井のように、人間の可能性の最先端を見せてくれる。

資本主義を批判する人間、たとえばマルクスは資本主義のこういった側面を見ていたのだろうか。マルクスの夢見たユートピアでは、大谷や藤井は生まれるだろうか?ifの世界だからなんともいえないが、生まれないと思うんだよな。

自分は資本主義にうんざりしている側の人間だが、資本主義が生み出した傑作である大谷や藤井を同時代に見られて良かったと思っている。これは難しい問題だと感じる。資本主義は人間の可能性を拡げるシステムである一方、人間を含めてすべての動植物、自然をぶち壊しているシステムでもある。

こういった観点からの資本主義について議論が増えていったら面白いと思う。