眼下の街ゆく人の流れを見ながら、資本主義とコロナ禍の恩恵について考える

 

 朝ホテルの8階から、通勤や通学に行く人を眺めながら、「恵まれた身分やなぁ」と考える。ホテルのベッドの上で平日にポケ―っとできるのは贅沢なことである。ホントに。自分はお金持ちではないが、お金には別段困っていないのでこういうことができる。ほぼニートで、たまに気が向いた時だけ働く。お金を稼ぐ能力が自分にはないが、支出を限りなく抑える才能があるのでお金には困らない。ホテルも、さまざまなキャンペーンを駆使して、実質数百円で泊まった。

 こんなふうな生き方ができるのは資本主義とコロナのおかげだ。資本主義とコロナを憎んでいる人は多い。自分は資本主義には批判的な立場だが、それでも平日の朝ホテルのベッドの上でポケ―っと考え事ができるのは、明らかに資本主義のおかげだ。資本主義が分業体制を極度におしすすめ、何もしなくてもいい人間と、何かをしたくてもできない人間を生み出した。

 コロナのせいで多くの人が苦しんでいる。自殺者もたくさん出ている。そうしたなかで不謹慎ではあるが、コロナのおかげで自分は以前よりもストレスがさらに減った。結婚式、葬式、同窓会…その他もろもろのわずらわしい空虚なイベントに「コロナが怖いから」という反論の余地ない理由を振りかざすことで参加しなくてよくなった。

 ホテルを出て、庭園のある図書館で、ポケ―っと雑誌を読む。『Number』を読む。阪神タイガースが特集されていた。表紙には佐藤輝明。とんでもないルーキー。彼のモットーは、楽しむことらしい。一番大事なことだと思う。多くの大人は、年を重ねる過程で楽しむことを忘れていくから。

 どうせ人生なんて無意味であって、宇宙的観点から観れば、ニートだろうと、ホームラン50本打とうと、億万長者になろうと、ひとえに風の前の塵に同じなのだ。それなら、いい加減に生きて楽しめばいいのだ。