村上春樹とパラレルワールドと数学的自由についてのメモ

村上春樹はインタビューのなかで、「井戸」とか「壁抜け」という表現をよくする。

自分の心の、深いところに降りていくとそこには魑魅魍魎の世界が拡がっている。

その世界で起こっていること、見聞きしたものが彼の物語を作っている。

 

村上はよく、心の構造を「家」にたとえている。

地下一階は自分で行けるところ。自分だけの世界。

そして地下二階が壁抜けして行ける世界。魑魅魍魎の世界。ここは村上の物語にあるような奇妙で魅力的な世界だが、同時に危険な世界である。

 

29歳のとき神宮球場でたまたまその世界への扉を開く鍵を手にした村上。

その世界は村上など限られた人間にしか訪れることができないが、その世界はすべての人間の心の底に拡がっている。

ユング曼荼羅というメタファーで示した世界であり、「集合的無意識」と表現した世界のことである。

 

村上の描く世界は現実ではないが、現実としてありうる世界である。その仮説としての世界に、村上は仮説としての自己を送り込んでいる。

 

いつも言うんだけれど、「僕」という小説の中の主人公は、僕の仮説なんですよ。ひょっとしたら、僕がそうなりえていたかもしれないもの、人生のどこかの段階で違う方向に進んでいたら、そうなっていたかもしれない存在なんです。現実の僕とは違うけれど、進化の枝分かれみたいなものね。それぞれの本によって枝分かれの先端に違う僕がいる。『夢を見るために僕は毎朝めざめるのです』P66-67 

 

この表現は、量子力学にある多世界解釈パラレルワールドと重なるものがある。

宇宙は138億年前に誕生してそこから並行宇宙が次々に誕生して、そのうちの一つの世界にわれわれが存在している。別の世界はわれわれの世界と重なり合って存在しているが、われわれはその世界を認識できない。

 

今、認識できないと書いたが、認識できないのはわれわれの目、あるいは脳のレベルで認識できないだけであって、心のレベルでは認識できるのである。認識できるというより、その世界に移行することができる。村上春樹のように。

 

最近『サイレントヒル』という映画を観たのだが、サイレントヒルには表世界と裏世界があって、そこにいる者はサイレンを合図に二つの世界を行き来する。主人公の母親は、サイレントヒルで行方不明になった自分の娘を、二つの世界を行き来しながら探す。表世界は現実の世界だが、裏世界では化け物が跋扈している。母親はどうにか娘を見つけ出し、現実の世界へと戻っていくのだが、戻った現実は過去に住んでいた現実とは違う現実だったという悲しいオチが待っている。

この映画の構図は村上春樹の物語とよく似ていて、『1Q84』なんかは同じだと思う。

 

サイレントヒルでいうところの裏世界や村上春樹のいう地下二階はこのように得体の知れない危険な場所である。だから、誰もが行ける空間になっていないのだと思う。

村上春樹が物語を書くようになってから、彼がタバコをやめ、身体を鍛え始めたのは、そういう空間に行って戻ってこられるだけの肉体が必要だったからである。

 

肉体というのはこの世界につながるための錨である。

錨が朽ちれば、永遠とこの世界には戻ってこられなくなる。

だから肉体を鍛え続ける必要があるのだ。

 

matsudama.hatenablog.com

 

上の過去記事でも書いたが、ポアンカレ予想という数学の難題は人間の心について語っていると思う。

 

われわれの肉体という、この世界との接点は3次元である。

しかし心は4次元である。

ポアンカレ予想にある「単連結の3次元閉多様体」の例ではいつも宇宙があげられているが、人間の心もおそらく単連結の3次元閉多様体である。

心の局所、つまりこの世界の接点である肉体において3次元空間が成り立っていて、心は3次元球面と同相なのである。

心は4次元で、ありうる3次元世界が無数に重なり合っているから、村上春樹のように、「仮説としての僕」がさまざまな世界に行くことができるわけである。

 

 

ところでマックスウェーバーは『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で、資本主義システムのことを「鋼鉄の檻」と称した。

 

資本主義社会に生きるわれわれは鋼鉄の檻に閉じ込められている。

ただ、思うに、檻というのは近代資本主義社会が成立する以前からあって、資本主義システムというより、単にシステム自体が檻だといえると思う。資本主義は檻をさらに強化したのである。

 

檻はわれわれの自由を奪うが、同時にシェルターとしての役目も果たしている。実際監獄はただ単に囚人を閉じ込めて自由を奪っているだけでなく、寝床として提供され食事も与えられる。

 

歴史というのはシステムとしての檻が強化されるプロセスとも言い換えられ、歴史の初期段階における檻は現在よりもはるかに脆弱だった。

檻はあるにはあったが、簡単にそこから抜け出ることができた。檻の外には魑魅魍魎の世界が拡がっていた。

 

村上春樹が、河合隼雄と対談したときに、昔の人は実際に化け物を見ていたのでしょうかと河合に尋ねたところ、「そりゃ現実にいたんだからねぇ」みたいな返し方をされてひどく納得したというようなことをたしか本に書いていたと思うが、昔の人は本当に化け物とか得体の知れないものを見ていたんだと思う。

 

昔、システムとしての檻は脆弱で、人々は簡単に檻の外に出られて得体の知れない世界へ行き化け物に出会っていた。得体の知れない世界には化け物だけでなく、神々やウイルスとかもいて、だからこそ昔の人は八百万の神々とかの記述もしているし、現在では駆逐されたウイルスなんかに感染して死んでいったのだ。

 

システムとしての檻は歴史をとおして少しずつ強化されていき、資本主義が一気にそれを強化した。檻の外に人は出られなくなり、神々と人々の交流はなくなった。得体の知れないものとは出会わなくなった。ウイルスに感染することも少なくなった。そして、人々は自由を失った。

 

 

檻に閉じ込められたわれわれは不自由である。

しかしこれはわれわれの生きる3次元世界での話である。

つまり、この3次元世界に直交するもう一つの次元軸へ移行すれば、われわれは檻の外に出られるわけだ。xyz軸に直交するもう一つの次元軸へ移行する。村上春樹が物語を書く際にやっていることを、数学的に表現すればそうなる。村上的にいえば、自分の心の地下二階へ行くことで、檻の外に出ることができる。

檻の外は危険な世界であるから、行かないにこしたことはないのだが、村上春樹の本が世界的にこれだけ売れているのは、やはり人々は檻の外に出たいということなのだ。

 

 

すべての人間は心を持っているのだから、原理的にすべての人間は自由になることができる。で、村上のように、檻の外に出た後、またこの世界に戻ってきたいのであれば、タフでなければならない。出ないと、魂は永遠にこの世界に戻ってくることができない。

 

まずは身体を鍛えなさいという話でした。

 

 

 

 

サイレントヒル(字幕版)

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  • 発売日: 2016/02/01
  • メディア: Prime Video