昨日、この世界は仮想現実であるという内容の動画を観ていた。
そしたら、下の動画で紹介されているスピリチュアル思想が自分の今考えていることとよく似ていてショックを受けた。高次元に存在している魂は無限で、この世界に存在しているとき魂は肉体という有限の箱のなかに入っている。そして死というのは幻想で、それはこの3次元世界における死でしかなく、死後魂は別の次元に行くだけだというもの。これが動画で説明していたスピリチュアル。
自分はスピリチュアルを否定する気はないのだが、どうも身体が受け付けない。のどに刺さった魚の小骨のごとく、うまく咀嚼できず消化できないのだ。それなのに、今考えていることがスピリチュアルとほとんど同じなのでびっくりしたし、ショックだった。
スピリチュアルは学問ではないし、したがって科学ではない。科学が絶対だとはいわないが、スピリチュアルっていうのは学問とちがって肯定も否定もできないから「あぁそうなの」と反応することしかできない。批判することができないものは科学ではない。つまり陰謀論と同じなので、このような話をしてくる人間には距離をとってしまう。
とはいえ、科学の範疇に属しているユングの心理学も自分にはどうもスピリチュアルと同じものを感じる。シンクロニシティなんか特にスピリチュアルな匂いを感じる。だから科学とスピリチュアルって境界線はだいぶ曖昧なんじゃないかと思っている。
自分がやっているのは形而上学だと思っていたが、なんだかこれだけスピリチュアルと内容が被っていると心もとなくなってきた。
動画にある仮想現実だが、この世界はテレビゲームのシミュレーションみたいなものだという。量子力学には観測の問題というのがある。有名なのがシュレディンガーの猫と呼ばれる思考実験で、箱の中には生きた猫が入っていて、このなかに半分の確率で毒ガスを放出する装置が仕掛けられている。箱の中の猫は、半分の確率で生きていて、半分の確率で死んでいる。常識的に考えると、箱を開けようが開けまいが猫はどちらかの状態にある。しかし量子力学的には猫の生死は人間が観測した瞬間に決定されるのだ。まるで観測する人間が神であるかのようである。人間の観測が猫の生死を決定しているのだから。
この世界が仮想現実であると考える証拠もこの観測の問題に拠っている。テレビゲームではプレイヤーが見える範囲の景色しか画面に現れない。なぜかといえば、見えない範囲の景色も表示していたら容量が重くなってしまうからだ。だからプレイヤーが歩を進めて門を曲がったときに見える光景は、門を曲がるまでは存在していない。これを現実にも当てはめる。たとえば自分が今東京大学の赤門前にいるとき、大阪の通天閣やパリのエッフェル塔は当然見えていないわけで、それはつまり存在していない。常識的に考えると、自分が東大にいるときでも通天閣やエッフェル塔は存在していると思っているが、量子力学やシミュレーション仮説はそれを否定する。自分が生きているこの世界もシミュレーションなのだとしたら、自分の見えている範囲以外のものは存在していないのだ。これは哲学者のバートランド・ラッセルが提唱した5分前仮説とも同じもので、この仮説は5分前の自分は存在していないと主張する。いやいや過去の自分の記憶があるやないかと思うかもしれないが、それは捏造なのである。詳しくはWikipediaで。
今、数学ガールのポアンカレ予想を再読していて、ポアンカレ予想はトポロジーの問題なのだが、仮想現実の問題とトポロジーの問題ってすごく共通するものがあるような気がする。あくまでこれはまだ気がするというふわふわとしたものではあるが。数学ガールは自分みたいな数学素人にもできるだけ分かりやすく書かれているが、それでも難しい。理解できているのかいないかのよく分からない。それでも、このシミュレーション仮説にある自分の見えている景色はトポロジーにおける開近傍の概念と同じに感じる。
プレイヤーは世界Sにおける点aで、そのaを持つ開集合を開近傍という。まぁなんのこっちゃという感じで、自分でも説明できるほど理解できていないのだが。
ポアンカレ予想は4次元空間を扱った予想だから、高次元を扱った数学の問題になる。数学ガールのなかにとても興味深いやりとりがでてくるので引用しておく。
「あいかわらずだよ。本を読んだり、数学の問題を考えたり」と僕は答え、先日話した4次元サイコロ・・・・つまり、3次元サイコロ面のことを手短に説明した。「8個の3次元サイコロ体を貼り合わせて、3次元サイコロ面を作ったんだよ。でも、ユーリは次元を落とすときに重なってしまうのが気になるらしくて」
「ふうん・・・無限遠点を足した上で裏返すのはどうだろう」
「裏返す?」
僕がそう言うと、ミルカさんは書く仕草をする。僕に筆記用具を出せと合図しているのだ。そんなことを言われても、筆記具はぜんぶ学校に置いてきたんだから・・・僕は《ビーンズ》の店長から紙とボールペンを借りる。
ここで、大きな立方体は裏返しになっていると考える」
「どういうこと?」
「君はこの図形の外側の全宇宙のことを、立方体の《外》だと思っている。しかし、立方体の《中》だと考えてみる。3次元サイコロ体の《中》に全宇宙が入っているんだよ」
「いや、意味がわからないんだけど」
「たとえば無限に広い宇宙を考える。その中に、ガラスでできたこの立体が浮かんでいるとしよう。そのとき、周りの全宇宙が8個目の立方体の《中》となる。そして、この宇宙全体を《中》に抱えている裏返しの立方体は正方形の面を6個持っていて、それがピラミッドの6個の底面に貼り付いているということ
「うっ!」と僕はおかしなうなり声を出した。なんだその発想は!
「見えたかな」
「見えた。ぐるりと裏返した立方体ということだね!」
「そうだ。3次元サイコロ面を3次元にむりやり押し込めた様子は、そんなふうにも描ける。位相的には無限遠点を加える必要があるけれど」
P177-178
3次元サイコロ面は「3」とついてるけど、これは4次元の物体(というか空間)である。サッカーボールは3次元の物体だけど、その表面は2次元の面である。これと同じで3次元サイコロ面は4次元だけど、その表面は3次元であるからそのように名づけられている。上の図はその3次元サイコロ面を無理やり3次元にあらわしたもの。
これ、シミュレーション仮説とすごく似ていると思うのだが。
数学ガールにある僕とミルカさんのやりとりにあるように、3次元サイコロ面をむりやり3次元に押し込むと、立方体のひとつが裏返しになった状態で立方体に貼り付いている。そしてこの裏返った8個目の立方体は宇宙全体を内包している。
3次元サイコロ面は8つの立方体でできていて、それを3次元におしつぶすとそのうちの一つの立方体が全宇宙を内包しているわけだ。もし仮にこの世界が3次元サイコロ面のようなかたちをしているとしたら、4次元空間には8つの立方体=8つの宇宙が一つに統合された状態で存在している。そして、3次元に世界にいるわれわれは、そのうちの一つの立方体=宇宙のなかにいると考えられる。8つある宇宙の一つをわれわれはプレイヤーとして生きているのだ。
シミュレーション仮説がいいたいのは結局われわれが現実だと思っているこの世界は本当の現実ではないということで、これは映画『マトリックス』でも言っていたことである。3次元サイコロ面の話もこれと似ていて、3次元サイコロ面は本当は4次元空間であり、3次元に存在するわれわれはその一部の面を生きているにすぎないのだ。これはちょうど、地面に映る影が自分の存在している2次元平面を現実だと勘違いしているのと同じである。3次元のわれわれから見れば、地面は3次元世界の一部でしかないのだから、影がある意味で仮想現実を生きていることになる。これの次元を一つあげた世界がわれわれの世界である。4次元空間からみれば、われわれは影にすぎないのである。