塞翁が馬

都会にいたころはけっこう歩いてて一日1万歩歩くなんてのは普通だった。二拠点生活していたから40㎞自転車に乗って拠点を行き来するという生活もしていた。しかし田舎に帰って車に乗るようになってほとんど運動しなくなった。食べる量も減って一回の食事で茶碗4杯食っていたのが、1杯で十分になった。これはヤバいなと思って昨日自転車で20㎞先にある県立図書館に行った。そしたらまさかの休館日だった。借りたい本があったが仕方ない。そのまま自転車でまた20㎞こいで帰ってきた。井筒俊彦の『意識と本質』を読みたかったが、借りられなかったので途中本屋に寄ったがなかったのでかわりに『意味の深みへ』を買った。その後最寄りの図書館に寄ったが、そこには井筒の本は置いてなかった。手持ち無沙汰になって雑誌コーナーにある『ニュートン』を読んだ。

4月号の特集は虚数だが、今はやりのNFTを知りたかったのでそれに惹かれて読んだ。そのついでに虚数の特集も読んだのだが、これが良かった。虚数ってこんなに奥深いものだったのか。虚数はイマジナリーナンバーと呼ばれ、漢字の意味からもイマジナリーという言葉からもあるように、いわば存在しない架空の数字である。二乗するとマイナスになる矛盾した数字「i」。しかし虚数がなければ飛行機は飛ばないし、体重計も存在しない。量子力学も発展しなかった。現代の技術の至る所に量子力学が用いられているので虚数がなければ現代の技術は生まれていなかったわけだ。虚数という想像上の数字が現実を支えているという不思議。特集に虚数の研究者と東大生タレントの対談が載っていたのだが、それが一番の収穫だった。虚数の研究者は言う。自然現象というのは高次元で起こっていて、3次元空間にいるわたしたちが見ているのはその影にすぎないのです。おおお!!!この件を読んでいるときは興奮した。自分の考えていることとあまりに一致していたから。

 

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上の記事でも書いたが、3次元にいるわたしたちは4次元空間である心の射影であって、この世界で知覚しているさまざまなものはその影にすぎない。この考えには哲学を通じて至ったわけだが、まさか虚数という道を通ってもたどり着けるとは…

実数の軸と虚数の軸を組み合わせたのが複素数平面で、虚数というのはつまり90度回転を意味する。虚数の研究者がいうように、自然現象が高次元の空間で起こっていることとするのなら、それはこの3次元空間から90度回転させた第四の次元で起こっているのだろう。そこはたしかにわれわれの感覚からすれば想像上の世界であり、矛盾したことが起こっている世界なのだ。

ということで早速、虚数に関する本を何冊か借りて帰った。なにもかもが一つになりつつあるのを実感する。形而上学、物理学、数学、生物学…結局どれも表現が違うだけで同じことを言っている。登山ルートが違うだけで、その頂上から見える景色はすべて同じなのだ。

県立図書館が閉まっていなかったら『ニュートン』を読んでいなかったし虚数の神秘に出会えなかっただろう。休館日を確認しなかった自分に腹がたったが、それによって思いがけない出会いに恵まれた。