誰だって望みさえすればエリック・ホッファーになれる

『エリックホッファー自伝』『これからのエリックホッファーのために』を読み終わった。

 

 

ポアンカレ予想を解決したペレルマンや、哲学者のエリックホッファーの生きざまには本当に憧れる。彼らにとっては思索こそがすべてで、地位や名誉、金は必要ではないのだ。学問をしよう、真理を追究しようとなったら、普通は大学に身を置く。工学や物理など実験設備が必要な学問はたしかに大学あるいは企業の研究部門に所属していないと学問をし続けるのは厳しいだろう。でも、文科系や数学などは必ずしも大学に所属していないほうがいいかもしれないとも思う。ペレルマンポアンカレ予想に取り組む際、研究機関ではなく、友人の所有する庭付き小屋のなかでひたすら思索に励んだ。エリック・ホッファー季節労働者として放浪しながら社会を観察し続けた。彼らが望めば研究職に就くことは簡単だった。しかし彼らはそれが必ずしも思索を深めるのに最善の道ではないことを知っていた。地位は時として思索の足かせになる。

 

ホッファーの自伝は、彼が季節労働者としてアメリカ各地を放浪しながらどのように社会を観察していたのかが綴られている。大学生のときに一度読んでいたのに、それを途中まで忘れていた。前回読んだときはあまり心に残らなかったのだろう、でも数年ぶりに読み返すとホッファーという人間の生きざま、ものの考え方に強く共感した。彼は季節労働者という社会の最底辺にいることから、自分を社会負適合者、弱者だと自覚している。しかし同時に、弱者は本当は弱者ではなく、能力があり時として強者に勝ちうるという矜持も持っている。ホッファーはあらゆる領域の学問を独学で習得していく。小説も読む。彼は読書と思索をとおして自らの精神が成熟していくことを実感する。以前読んでよく分からなかった本が、経験を重ねていくうちに深く深く理解できていたからだ。

 

ホッファーは観察眼に長けていて、どのようにすれば自分の求める仕事にありつけるか、どのような態度をとれば雇い主や客に気にいられるか分かっていた。行く先、行く先でうまくコミュニケーションをとり、彼が望みさえすれば、安定した職につけたし家族をつくることさえできた。しかしホッファーは放浪することを優先する。それは彼にとって、季節労働者として放浪することが自らの思索にとって最善の方法だということが分かっていたからだと思う。と同時に、もしかしたら彼は人の懐に入ることはとても得意だが、そこでじっとしていることができないたちだったのかもしれない。この感覚は自分にもあるから、ホッファーももしかしたらそうなのかもしれないと思った。いずれにせよ、放浪し各地で働き労働者を見つめることが彼にとってはもっとも良いことだったのだ。そして、哲学や社会学にとっては、そういったスタンスこそが学術的にもっとも価値あるもののように思える。大学の研究室に閉じこもっているより、社会や労働者のなかに身を置いているほうがはるかに有益にちがいないのだから。