NHK「数学者は宇宙をつなげるか? abc予想証明をめぐる数奇な物語」 宇宙際タイヒミューラー理論は量子力学の話だと思った。

昨日のNHK「数学者は宇宙をつなげるか? abc予想証明をめぐる数奇な物語」を観た。

とても興味深い話だった。ABC予想は足し算と掛け算の予想に関する話で、京都大学望月新一先生はこの予想を自身で構築した「宇宙際タイヒミューラー理論」という理論を使って証明した。NHKは望月先生に取材を申し込んだが拒否された。でもこれはしかたない。望月先生の証明は、数学者でさえ理解できないのだ。ましてや一般人をやである。この番組ではABC予想がどんなものなのか、宇宙際タイヒミューラー理論がどんな理論なのかをほんのさらっと触れたかたちで終わった。それ以上深く踏み込んだら誰も理解できなくなるからしかたない。それでもこの予想がどれだけの意味を持ち、望月先生が一体何をやろうとしているのか、一般人である自分にはよく分かったから、とてもいい番組だった。そして数学の世界には今、革命が起きようとしていることを認識した。望月先生は数学に革命を起こそうとしているのだ。

どのような革命なのか。数学は矛盾を許さない。1は1であり、2ではない。1を2とみなすことはできない。うん、当たり前だ。しかし望月先生の構築した宇宙際タイヒミューラー理論はその矛盾を許すのである。1は1でありながら同時に2であることも許そうというのである。こうした矛盾を許す世界を望月先生は構築し、それを理論化したものが宇宙際タイヒミューラー理論である。そしてこの理論を使ってABC予想を証明した。数学者のほとんどがこの矛盾を許す世界を理解できないので、今数学の世界ではある意味で分断が起こっているわけである。ABC予想はすでに証明され誌に掲載され、望月先生の証明は正しいと認識されている。しかしそれでもなお望月先生の世界を認めることができない派と、いやこれは新しい数学なのだとその革命をおしすすめようとする派。これまでの数学は異なるものを同じとみなすことで発展してきた。ポアンカレ予想でおなじみのポアンカレは「数学とは異なるものを同じとみなす技術である」と語った。3個のリンゴと3回巻かれたひもは違うものだが、「3」という共通性でくくることによって。コーヒーカップとドーナツは違うかたちをしているが、同じかたちとみなすことによって。しかし望月先生は今回、同じものを違うものとみなすという逆の作業を行うことによって数学をおしすすめようとしている。

望月先生は今の数学の世界を一つの宇宙としてとらえた。そしてそれとはべつにもう一つの数学世界、つまり宇宙をつくった。これによってなにがしたいかというと、足し算と掛け算をべつの世界に分けたのである。ABC予想は足し算と掛け算が絡まった予想で、この絡まっていることが予想の証明を複雑にしている。だから、足し算と掛け算をべつべつに分けることで証明をしようとして、望月先生は足し算と掛け算をわけた世界をつくったらしいのである。しかし上に書いたように、これが1は1でありながら同時に2であるというような矛盾が生じる世界なのである。だからこそ予想は証明されたといわれても多くの数学者が理解できないと異議を唱えている。

 

この番組を観ていて、これ量子力学のことやんと思ったのだが、他の視聴者も同じことを想ったのだろうか。今数学の世界で起こっていることは、今から約100年前に物理学の世界で起こったこととまったく同じだと思うのだが。おそらく今数学の世界で起こっていることは、古典物理学の世界に量子力学が登場してきたころの混乱と同じなんだと思う。古典物理学的世界観からみれば量子力学は矛盾だらけで理解できないことばかりだ。量子力学の礎を築いた一人であるアインシュタインでさえ、「神はサイコロをふらない」と量子力学を批判した。しかしそれから100年たった今、量子力学はわたしたちの世界を支え、宇宙の謎を解き明かそうとしている。望月先生の理論は数学の世界に量子力学級のインパクトをもたらす可能性を秘めている。

あるものは同じでありながら同時に異なっていることを認めよう。これは明らかに矛盾しているわけだが、量子力学はそれを体現している。2重スリット実験がそれを端的に表している。一つの光子を発射すると、一つであるにも関わらず二つのスリットを通ってスクリーンに縞模様を映す。しかしそれを観察すると、二つではなく一つの粒子に収縮している。常識的に考えておかしいわけだが、現実なのである。一つの光子は一つでありながら同時に二つである。

番組では望月先生と親交のある加藤文元先生が出演していて、今の数学会で起こっている混乱は、対象の認識論の問題ではないかと言っていた。あるときは同じに見えても、また別の時には違うものに見える。それはわたしたちの日常でも普通にあることで、宇宙際タイヒミューラー理論にも同じことがいえるのではないか、と。それはそのとおりで、物理学の世界でも古典物理学量子力学は観ている対象が違うのである。私たちの身体のような大きなものについていえば古典物理学の解釈が適用されるし、私たちの身体を分解していって素粒子レベルにまでなると今度は量子力学の解釈が適用されるのだ。同じ身体でも、観ている対象が異なると適用される理論が異なってくるのである。

 

ところで、宇宙際タイヒミューラー理論をイメージ化したものは、余剰次元をイメージ化したものと同じだと思った。

 

これが宇宙際タイヒミューラー理論

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https://www.kurims.kyoto-u.ac.jp/~motizuki/RIMS-workshop-homepages-2016-2021/w3/iut1.htmlより

 

これが余剰次元モデル。

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自分には同じに見える。

宇宙際タイヒミューラー理論の「宇宙」は私たちの数学世界のメタファーなわけだが、あながちメタファーではないのかもしれないな。私たちの数学世界は古典物理学の世界と一致しているわけで、古典物理学の世界はそのまま私たちの常識と一致している。コップにはフィジカルな手触りがあるし、リンゴは木から落ちる。望月先生の作りだした宇宙は量子力学的宇宙なのだ。そこは虚数「i」が登場する矛盾した世界。多くの数学者が受け入れられないのも無理はない。矛盾しているのだから。

 

15日金曜日に今回の放送の完全版がBSで放送される。そちらも楽しみだ。