持続可能性を追求した林業をしたい

 僕は山林や雑木林を利用していろいろな活動をしたいと考えている。

 

 今、木の値段が下落して日本の山の多くが放置されている。それはもったいないし、土砂崩れなどの災害防止のためにも山は手入れし続けなければいけない。

 

 大きな林業事業体は、木の値段が下がっているから、山に大きな機械を入れてかたっぱしから木を伐り続ける。それでも企業を支えるほどの多くの利益は得られないから、補助金助成金に頼る。規模が大きくなると、効率を重視しなければならない。皆伐と言ってはげ山にして植林しないところもあるから、見るも無残な山があちこちにある。

 

 

 それに対して、僕がやりたいのは、持続可能な林業

 山で間伐した木を使ってログハウスやサウナ小屋を建てたり、薪をつくったりする。キノコ栽培してもいい。

 これは、お金を儲けるためにやるというよりも、生活のためだ。

 自分で家を建てればローンに追われる生活をしなくてもいい。薪をつくったり、キノコ栽培もまずは自分で消費するためにやる。余った分は売ってお金を得る。

 

 生活の延長線上でお金を稼ぐ。これを「生活の資本化」というらしい。『しょぼい起業で生きていく』という本に書いてあった。

しょぼい起業で生きていく

しょぼい起業で生きていく

 

 

 ただ単に木を切って売るというやりかたでは、大きな企業でも厳しい現実がある。個人ならなおさらだ。

 でも、木を切って売るだけではなく、木を使って自分で家を建てたり、食べ物をつくったりすれば、生活していけるのではないか。

 ここでの「生活していく」とは、お金を稼いでそれでいろんなものを買ったり、サービスを受けたりするという既存のシステムに依存した生活という意味ではなくて、生きていくのに必要なものは自分で生み出してしまうという自立した生活という意味である。

 

 農家はすでにそういうことをやっていて、米や野菜は自分のところで足りていて余剰分を売っている。農家は食べ物という点に関しては自立した生き方をしている。

 現代はあまりにシステマティックで効率的だから、下手をすれば自分で何かを生み出すときにかかるコストよりも、お金で買ってしまったほうがコストが抑えられてしまう。買ったもののほうが、自分でつくるものよりも質が高いし。

 でも同時に、現代はまったく先が見えないから、コロナのような経済をぶち壊すリスクが突然降って湧いてくる。今回コロナのせいで、多くの商品が品薄状態になった。そんなとき私たちはどうしたかというと、自分で作りだしたわけだ。マスクのように。僕もyoutubeを見て、家にある手ぬぐいを使ってマスクを自作した。

 そういう意味でいけば、誰もが自立した生き方をできるポテンシャルを持っている。

 

 林家もそういう生き方ができると僕は思うんだよね。木があれば家を建てられるし、食べ物も生み出せる。そういう意味では、山は、田んぼや畑以上に大きな可能性を持っているといえる。

 山を、木を切ってお金を稼ぐための資源ではなく、上に書いたような生活のための資源ととらえなおせば、本当の意味で山は活(生)きるんじゃないのか。

 今若者のあいだで、農業をしたいから田舎へ移住するみたいな動きが拡がっているが、林業でも同じような動きが出てくると思う。

 

 これが一つの例。

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 お金儲けを追求した生きかたを上の世代の人たちはしてきて、確かに物理的には豊かになったかもしれないけど、じゃあ幸せになったかと言えばうーんってな感じだし、何より自然環境が壊滅的な状態になってしまった。若者が農業をしたいといって田舎に移住するのはそうした反動もあるだろう。

 僕は学生時代に、毎朝虚ろな表情で日本橋のオフィス街に消えていくサラリーマンを観察したことがあるが、たくさんお金をもらえてもこういう生き方はしたくないと強く思った。

 

 現在、地元に戻って山を探している。自分のやりたい生き方を実現できる山を早く手に入れたいなぁ。