資本家と労働者の分け方

 

 

matsudama.hatenablog.com

 

この前、上の記事を書いて、じゃあどうやって資本家と労働者に分けるんだろうと考えた。1パーセントの資本家と99パーセントの労働者。これは一つしかない、学校さ。

 

そもそもどうして学校が存在するのかといえば、社会を支える人材を育成するためだ。

資本主義社会は少数の資本家と多数の労働者を要求する。学校は資本主義システムを支える資本家と労働者の育成をまかされている。

 

このように考えると、入学試験とか就職試験というものがどうして存在しているか分かる。将来の資本家と労働者を試験によって選別するためだ。

 

資本主義システムに従順な優秀な奴隷は将来の資本家として、使い勝手の悪い出来の悪い奴隷は将来資本家に使われる労働者になるよう選別されていく。

 

学校は工場なのだ。奴隷を生産する工場。

そういえば学校で使われる言葉と工場で使われる言葉は共通している。

時間割とか、テストとか、不良とかね。

 

不良って言葉、なんかすごいよな。この言葉、いつ定着したんだろう?

工場で不具合のある製品を監視がラインからはじいていくように、学校さぼったり教師に反抗的な不良は入試ではじいていくのだ。不良は資本主義システムには不要ですからね。

 

しかし勘違いしてはいけないが、不良と呼ばれる生徒は、人間的に劣っているわけではなくて、資本主義システムに順応しないから不良と呼ばれるのである。であるにもかかわらず、不良は人格否定されているし、そういうふうに見えてしまうよう私たちは学校で訓練されている。

 

現実社会を見ると、少数ながらも中卒や高卒の資本家がいたり、中卒で総理大臣までのしあがった切れ者もいる。これが資本主義システムのすごいところというか、よくできているなと感じる点である。

だって東大や京大卒しか資本家や総理大臣になれない社会なら、努力を完全放棄する人が大量に発生しますからね。資本主義システムは本当によくできている。学校という製造ラインから外れても、ちゃんと上に行けるチャンスがあるように設計されているわけだ。

 

ここまで来て、資本主義システムは実はあの有名な映画と仕組みが似ていることに気付いた。それについて今度書こうと思う。