資本主義と『マトリックス』

 

 子どものころ映画『マトリックス』が公開されて、あのリンボーダンスで銃弾を避けるシーンをよく真似した。『マトリックス』といえばやっぱりアクションシーンがクローズアップされるけど、大人になった今観返すと、あの世界観に衝撃を受ける。あの映画は学術的にも価値ある作品だと思う。

マトリックス (字幕版)

マトリックス (字幕版)

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
 

 

 『マトリックス』の世界って、資本主義社会と構造がよく似ていると僕は思うんですよ。どちらもアンチテーゼを取り込んでアップグレードする点が特に。

 

 『マトリックス』で、エージェントがモーフィアスを尋問している最中、エージェント・スミスが「人類はウイルスなんだ」と言っている。マトリックスを管理する側のエージェントからすれば、侵入してくるネオたちは秩序を乱すウイルス、アンチテーゼなのである。

 次作品の『マトリックス リローデッド』では、ネオたちがマトリックスの中枢へ入り込む。そこでネオを待っていたのはアーキテクトだった。

 アーキテクトは「あなたは6番目だ」と言う。つまり、ネオの前には過去に5人の救世主がいた。この救世主たちにも、ネオ同様に恋人がいて、恋人がピンチに陥っている。そこでアーキテクトは、恋人を助けるか、ザイオンを選ぶか救世主に選択させた。過去の救世主はすべて、ザイオンを選び、ザイオンを維持するための少数の人間だけが残されあとは抹殺された。そしてまたザイオンから新たな救世主が生まれアーキテクトのもとへ向かう…

 このようにして、マトリックスはアップデートを繰り返して均衡を維持していたのである。ネオたち救世主には、マトリックスにとってのワクチン、アップデート要員としての役割があったのである。

 

 どうしてアーキテクトはこんなややこしい設計を施したのか?

 『マトリックス』で、モーフィアスがネオにマトリックスの世界を教えているが、人類はコンピューターの電力源としてカプセルのなかで飼育されているのだった。そこで見させられていたのが、仮想現実であるマトリックスの世界。

 このマトリックスを最初、アーキテクトは完全に合理的に設計したのだった。だがしかし、人類はこの完璧な世界に拒否反応を示した。だから、オラクルという直感システムを組み込んだ。人類は適度に乱れている世界を好むのである。

 そして、救世主というワクチン(ワクチンは弱めたウイルスのことである)をマトリックスに打つことで、マトリックスの世界はアップデートされ、より柔軟で強固な世界として維持されるのである。

 

 ネオたちは当初、人類を救うためにマトリックスに何度も侵入し、コンピューターがつくったエージェントと闘っていたわけだが、実はそれはネオたちの勘違いで、なにもかもがコンピューターが構築した設計どおりに事が進んでいただけなのである。ネオは結局のところ、コンピューターの手の上で踊らされていたのである。それに気づいてネオは、自分は救世主でもなんでもないと絶望したのだった。

 

 ところが、コンピューター側に予期せぬトラブルが発生する。

 なぜかエージェント・スミスが自己増殖しマトリックスの世界を飛び出して現実に出現してきたのだ。これはさながらアレルギーみたいなものであって、マトリックスの自己防衛システムであるはずのエージェントが過剰反応を起こし、コンピューターを危機に陥れようとしていたのである。

 ネオは、このエージェント・スミスの暴走を食い止めるかわりに、ザイオンへの攻撃をやめてほしいとコンピューターに交渉する。承諾を得たネオは、最後のスミスとの対決に勝ち、ザイオンは救済され、ネオは本当の意味で救世主となったのであった。

 

 

 これが映画『マトリックス』の世界であるが、この世界構造って資本主義社会と同じなんですよ。

matsudama.hatenablog.com

 

 上の記事でも書いたけど、資本主義社会を維持する人材はどこから供給するかといえば、学校が供給するわけです。6歳になったら子ども全員を学校という生産ラインにのっけて、知識とかマナーとかそういうものを注入していくわけです。

 で、テストする。テストしていい点をとる子どもは将来の使い勝手のいい奴隷、つまり資本家とか政治家とか学者の素質があるとみなされる。3年ごとに県レベル、全国レベルの大規模テストをし、そこでいい点をとったら東大とか京大に入れる。で、最終的に就職試験で、頭が良くて、コミュニケーション能力があって、英語が話せて、プログラミング能力がある優秀で使い勝手のいい奴隷を、大企業や霞が関が吸い取っていくのです。

 こうやって1パーセントの使い勝手のいい奴隷と、99パーセント使い勝手の悪い奴隷を選り分けていくんですね。

 

 でも社会を見渡すと、生産ラインから外れた中卒とか高卒みたいな出来の悪い奴隷でも少数ながらちゃんと資本家とか政治家になっているわけです。

 よく考えてみてくださいよ。もし資本家や政治家、学者がすべて、東大とか京大みたいなトップクラスの大学の連中しかなれなかったとしたら?

 東大や京大に入れなかったら、そこでおれはもうだめだぁとなって堕落した人生を送るかもしれない。ただでさえ出来が悪いのに、さらに使い勝手が悪くなるわけです。こうなると資本主義システムは生産性が落ちる。

 そんなことにならないために、生産ラインから外れても資本主義システムは中卒とか高卒でも資本家とか政治家になれるように設計してある。ある種のドリームが用意されている。

 中卒とか高卒は学校という生産ラインにとってはアンチテーゼです。出来が悪い、システムに順応できない連中だから。ネオのような存在です。

 生産ラインにとってのアンチテーゼであっても、資本主義システム全体からみれば、中卒や高卒はシステムを維持するための要員なのです。だから、みんな資本主義システムに奉仕する奴隷になれるのです。

 

 マトリックスにとっても、資本主義システムにとっても、アンチテーゼは重要な存在です。このアンチテーゼを取り込むことによってシステムはより強固なものとして維持されていくのですね。

 

 

余談

もう一つ別の角度から。

消費社会の神話と構造 新装版

消費社会の神話と構造 新装版

 

 

 ボードリヤール現代社会は記号を消費する社会だと上の書で述べています。

 若い子たちはインスタにアップするためだけに、パワースポットに行ったり、タピオカを購入したりしてますよね。このパワースポットとかタピオカってのが、記号です。

現代社会は、このように記号がひたすら消費されている社会である。

 

 この本に感銘を受けたのが、無印良品を創業した堤清二です。

 記号文化からの脱却を目指して、記号のない無印の商品、無印良品を生み出した。

 無印良品の店舗はいまやそこらじゅうにあって「人気ブランド」と化している。

 

 そうなんですね、無印というのがひとつの記号となって消費されているんですね。皮肉です。印がないというのが印となっている。

 

 このように、資本主義はアンチテーゼを飲み込んでさらに発展していきます。

 資本主義はみごとに弁証法を具現化している、ぶくぶく膨らみ続ける風船です。

 

 

 

 資本主義システムは自壊するまで膨らみ続けるでしょうが、ネオのような本当の意味での救世主が現れるのでしょうか。