最近読んだ本や考えたことなど

北九州で起きた監禁連続殺人事件のドキュメントを読んだ。

もう完全に胸糞悪い話でしかない。こんなことが現実で当に起こっていたのか。

よく宗教関係の人間や気味の悪い自己啓発セミナーの人間が、人はみなこの世に生まれてきた意味があるのですとか言うけど、松永太という害悪でしかない人間は一体何のためにこの世に生まれてきたのだろう。この人間は自分の手を汚すことなく、人を支配することで家族どうしで人を殺させた。

緒方家も広田家も、松永という一人の人間によって地獄に落とされてしまった。松永のマインドコントロールによって、夫は妻を殺し、子どもが父を殺した。

尼崎でも似たような監禁事件があって、それも一人のババアによって家族が乗っ取られてしまった。

マインドコントロールって聞くと、その言葉の響きから、自分からは遠くにある世界に感じるけど、もっとマイルドなコントロールってけっこう身近にもあって、そうしたものと事件にまで発展するマインドコントロールって地続きのような気がする。自分の最近の出来事を考えていると強くそう思う。

人間関係って、時間がたてばよくも悪くも変化していくものだとつくづく思う。3年前に出会った人で、最初はこんなに有能で面白い人がいるんだなぁって思った人が、今ではクソでしかない。貸した数十万は返済しないし、連絡も一切無視。

松永太という人間も、最初は有能な経営者に見えて、人当たりがよかったらしい。最初の印象がアンカリングされてしまうから、途中で急に暴言や暴力があっても、それはもしかしたら自分のほうが悪いからではないかと思ってしまう。そこからマインドコントロールが始まっていくのだ。

特に、自分に相談できる友人や家族が少なかったり、逃げられる場所がないと、視野が狭くなるから余計にコントロールされやすくなる。カルトとかマルチ商法も同じで、最初はとてもマイルドで人当たりがいい感じで接してきて、徐々にカモを家族や友人と切り離していく。オウムとかは出家させるし、マルチはカモどうしでシェアハウスに住まわせたりする。そうしてクズどもはカモを支配していく。

自分の場合も、ある意味ではコントロールされていたのだろう。運良く、良識ある共通の知人がいていろいろと相談できたので地獄を見るまではいかなかった。

 

自分が子どものときにテレビで見た異様な光景は大人になった今でも思い出せる。

千乃裕子という女が白装束集団を率いていた。ガブリエルだのミカエルだの、共産主義者が電磁波攻撃しているだの、めちゃくちゃだなーと思ってしまう。

とはいえ、彼女の主張を信じられると思った人がたくさんいたからこそ、集団になるわけで、千乃裕子という女と世の中の頭のおかしい人間は何が違うのだろうと思った。

大本教とか天理教もそうだったと思うが、だいたい創始者は発狂して神を見るんだよな。過酷な環境を生きてきて、自分の子どもに先立たれて、自殺未遂したりして、その先に神を見る。千乃裕子の場合は、自分の難ある性格のために孤立していった感じだが、なんにせよ発狂して神を見た。やっぱり、だいたいこういうプロセスを踏んでるんだよなー。

自分の中に眠ってる特別な力を引き出すためには過酷な環境に自分を追い込むことが必要で、そうすることで発狂して、なんかやばいことになって、もちろんやばいまま終わるのが多いけど、一握りの運が良いのか才能があるやつがこうやって宗教の教祖になったり、芸術や文化を創造していく。川端康成三島由紀夫も、夢うつつの状態に自分を追い込んだ状態で小説を書いていたらしい。その代償として、ふたりとも結局自殺した。

芥川も太宰も、結局自殺してるし、精神を病ませることによって他の人間が見えない光景を見ることができるようになるのだ。そこらへんをシステムとして確立させているのが仏教で、たとえば千日回峰行といって奈良の山中を毎日走り回るというのもその一つだろう。仏教が実践哲学といわれる所以である。死なないように死に近づき別の光景を見たいなら仏教を学ぶのがいい。

千乃裕子は精神病院に放り込まれ、一生をそこで終わってしまうこともありえただろうに、そうならずに宗教の教祖になったのは、他とどう違うからなのだろう。

 

マトリックス』で、エージェント・スミスが自己増殖して、自分を生み出した機械システムを破滅させようとしていたという話は、人間を生み出した地球が自己増殖した人間に破滅させられそうになっているのとよく似ている。

人類は最初、食物連鎖の下のほうにいたのに、認知革命が起きて虚構を信じ集団化できるようになり、食物連鎖というシステムの外に飛び出すことができた。なぜ認知革命が、猫でもクジラでもなく人間に起きたのだろう。エージェント・スミスがイヤホンを外しモーフィアスに向かって「俺はこの世界の外に飛び出したい」と言ったが、これと同じで人類もシステムの外に飛び出したいという欲求があったのだろうか。ネオという救世主がスミスの体に飛び込んでスミスは破壊されたが、スミスもまたリローデッドされて(もしかして第二部ってスミスが主人公だったのか!?)、自己増殖しマトリックスの外に飛び出した。本当に示唆のある映画だなぁ。認知革命によって、人類もまたリローデッドされたのだ。そうして食物連鎖の外に出て自己増殖し地球を破壊しようとしている。

面白いのは、結局リローデッドされたスミスはネオによって破壊されるのだが、おそらく人類もまた認知革命を起こした「それ」によって破壊されるだろうということだ。人間の労働というのが結局何をもたらすかというと、人間の解体にほかならない。楽園を放り出された人間は額に汗して労働し、そうして作ったものはユルゲン・ハーバーマスの言葉を借りれば、自らの身体を強化した代替物である。それは言葉を変えれば、自らの身体を代替物に外部委託しているということで、最後は中心制御装置である脳が代替される。脳が代替されたころには、人間はこの世界からいなくなっているだろう。それが人類に与えられた罪と罰だが、プラトン的な視点からみればむしろ、魂が身体という牢獄から開放されイデアの世界に到達できるわけだからいいことなのかもしれない。