この前仕事で仲間が以前住んでいた家からカーペットやストーブなどを運びだした。以前仲間が家に住んでいたころ何回か泊まったのだが、夜寝るときになんか変な感じがした。自分は特に霊感があったり見えたりするわけではない。ただなんというかあまりここにはいたくないなと思わせる家だった。昼間はそういう感じはしなかった。で、仕事の関係で久しぶりにその家に行って、夜悪夢を見た。自分の家の近所には割と大きな神社があって、夜の神社を歩いていた。仲間といっしょに肝試しで来たような気がするが、自分は一人でいて森のなかをさまよっていた。出口に向かおうと歩いていると、後ろから見えない力、悪い力が自分を引き戻そうとしていた。引っ張られるというより、引きずり込まれそうな感じ。たぶんブラックホールに飲み込まれるときはあんな感じでひきずりこまれるんだろう。やばいやばいやばいと思いながら、なんとか木にしがみつきながら出口に向かっていた。その後はもう明るくなっていて、なぜか知らないが自動車整備工場にいて、中学のときの先輩が「もう大丈夫だから」と言って腕をさすってくれていた。その先輩には霊感があるようだった。現実の先輩に霊感があるのかは知らない。神社から離れた後もなおその腕から背中からびりびりしびれているような感じで、両腕は後ろに引きずりこまれそうになっていた。そこで目が覚めて、まだ深夜だったのですごく怖かった。頭からつま先まで汗でびっしょりで、すでに汗がひえて寒かった。
スマートニュースに、「『進撃の巨人』という神話」というテーマで社会学者たちが考察する記事があった。記事は読まなかったのだけど、『進撃の巨人』って学術的に価値のあるマンガなのかと思って、ネットカフェに行って読んでみたらドはまりしてしまって全34巻一気読みした。すごかったわぁ。普通にエンターテインメントとして読んでも面白いし、組織論として読んでも面白い。この作品は、なぜ戦争がなくならないのかというテーマに鮮やかに答えを提示している。この物語、最初は人類が巨人という勝ち目のない敵に闘いを挑むという構図なのだが、中盤から本当の敵が巨人でなくなってくる。人類の敵は人類だったのだ。そして、それぞれが自分たちを守るために、巨大な犠牲を払って戦争しているんだよな。まさに今、ロシアとウクライナが戦争しているわけだが、ロシアとウクライナは同胞だった者が殺し合っている。『進撃の巨人』もそうしたシーンが描かれている。『進撃の巨人』はラスト、主人公のエレンが自分たちを守るために、とんでもないことを行う。でもそのとんでもないことを行わないと世界中の人間が力を結集させて自分たちを殺しにくるのだからエレンのやったことは仕方のないことだといえる。結局、この物語は悲しい結末に行きつく。そしてそれは仕方のないことだった。どうかロシアとウクライナの戦争は『進撃の巨人』のようにならないでほしい。
作者の諌山さんは本当に天才だと思う。どのようにしてこの物語を作りだしたのか調べてみると、大分県日田市の大きな壁に囲まれたような地形のまちで生まれ育ったことや、幼少期に経験した劣等感やプレイした恋愛ゲーム、鑑賞してきたマンガや映画など、さまざまな要素が複合的に絡み合って『進撃の巨人』は生まれたようだ。『進撃の巨人』を読んでいると、そこには重いテーマがたくさん込められているのだが、そのような深さはどうやったら物語に込められるのだろう?そこはもう才能としか言いようがないのだろうが、このような世界を作りだせる諌山創という人間が本当に羨ましく思う。そして人間の想像力のすさまじさを想う。図書館に行けば大量の本があり、ネットカフェに行けば大量のマンガがあり、ツタヤやゲオに行けば大量の映画がある。これは全部人間の想像力が生み出したもので、その創造性に圧倒される。そして物語の一つ一つに物語そのものの強さがある。この強さはどうやったら生まれるのか?作者はどうやって物語に強さを与えるのか。才能はどのようにして生まれるのか。不思議である。自分は小説もマンガもかいたことがないし、『進撃の巨人』のような架空の世界を作りだしたこともないが、死ぬまで一つ『進撃の巨人』のような世界を作ってそこに物語を吹き込むことができたらいいなと思う。