「復讐者マレルバ 巨大マフィアに挑んだ男」感想

 

巨大マフィアに挑んだジュゼッペ・グラッソネッリという男の伝記。1965年生まれだからまだ57歳か58歳だが、多くの悪事をはたらき、人殺しをしたため、27歳からムショ暮らしをしている。終身刑のため、おそらくこの先もムショ暮らしが続く見込み。

 

マフィアのお膝元イタリアのシチリアで、子供の頃から、人のものを平気で盗んでやりたい放題だった著者。青年になるとドイツにわたり、今度はいかさまギャンブラーとしてボロ儲けする。ある日、親族の集まりでシチリアに里帰りしたとき、マフィアのヒットマンによって、慕っていたおじをはじめ多くの親族が殺される。奇跡的に命拾いした著者は、復讐を誓う。

誓いを果たした著者は逮捕され終身刑の判決を受ける。刑務所で師となる哲学者ジュセッペに出会い、哲学に目覚める。高卒資格、大卒資格を得る。

 

本書では、著者が子供の頃から現在までを振り返りながら、現在の自分が何を考えているかを綴っている。逮捕されるまでの著者は無学だったが、逮捕されムショ暮らしがはじまってからは大量に本を読み、思索を重ねてきたのだろうことが伺える。自分の経験を振り返りながら、得た知識から人生をどう解釈するのか自身の言葉で描いている。

 

哲学は様々なアイデアと行動の結合組織として新たな視野を与えてくれる。それは、自分の行いが常に正しいとは限らない、そう批判的に考えてみるための実験的空間ともいえる。P102

いやー見事な表現だ。

 

著者は自分の親族をある日突然殺され、自分自身も殺されそうになる。そして、自分がやりかえさなければ、いつか再びヒットマンにやられる運命に放り込まれる。

今、『進撃の巨人』を見かえしていて、構造がまったくいっしょなんだよな。巨人がある日、壁を壊す。多くの巨人が壁のなかに侵入してきて、エレンの母親は食い殺される。やりかえさなければ、人類は巨人に食い殺される運命にある。

運命というのはすべて「仕方ない」で運営されるのだ。何もしなければやられる。生き延びるには、やられる前にやらないといけないのだ。

 

本書はイタリアの文学賞を受賞している。新興マフィアのボスだった著者が、逮捕後に学問を積み上げ、人生をこれまでとは別の視野から眺められるようになったのだ。そのキセキを描いた本書はイタリアで大きな反響を呼んだ。

フランスの哲学者ベルナール・スティグレールも若い頃銀行強盗で逮捕され、ムショで哲学に目覚めた。出所後は、ジャック・デリダに師事し、フランスでも有数の哲学者になり、ポンピドゥーセンターでアートディレクターを務めた。

日本には永山則夫という死刑囚がいて、彼は殺人を犯して捕まり死刑判決を受けた。ムショのなかで多くの本を読み、小説も書いて文学賞の候補にもなったが、世間の批判を浴び受賞には至らなかった。

 

ヨーロッパと日本では犯罪者に対する世間の目が違うようだ。日本では、作者と作品は一体のものと考える傾向が強いせいか、作品がどんなに素晴らしくても、その作者が問題を抱えている場合、作品の評価も悪くなる。自分は、作者と作品はべつものとかんがえているから、作品は作品で評価されるべきだと思う。

にしても、フランスは懐が深いよな。かつて犯罪を犯して服役していた者が、ポンピドゥーの重要な地位で働けるのだから。

 

余談になるけど、何年か前に、宇垣美里が「わたしにはわたしの地獄がある」と発言して名言になっていた。それはもしかしたらこの本の引用かもしれない。著者がかつて恋仲となっていたリディアという女性が『誰にだって自分の地獄があるわ。あなたにはあなたの地獄が、わたしにはわたしの地獄があるの』と著者に話している。宇垣美里がこの本から引用したのだとしたら、彼女もけっこうかわった本を読むんだな。