最近読んだ本と世間の出来事について

最近二冊の本を読み終わった。

上の本は、最近ネットフリックスで観た『全裸監督』の村西とおるが扱われているので読んだ。同じく黒木香も扱われている。

最近の本かと思っていたら1996年発行とだいぶ古い。著者本橋信宏がヘルスでプレイしている最中の写真も掲載されていて、もう少しでイチモツが見えそうである。この時代はまだおおらかだったようだ。

そのような時代において、黒木香という人間はやっぱり異質だったんだな。雑誌で知識人と対等に対話していることがすごい。自分も哲学をちょっぴりかじっているが、彼女の「形而下における敗者はその敗北を受容することによってのみ勝者に対して形而上の勝利を手にすることができるという法則がございます。わたくしは異なるトポスにおける勝利、これこそまさにSMの真髄だと確信しております」という言葉は全く意味が分からない。これはあれなのかな、ニューアカデミズムとか呼ばれる言葉遊びをしてるのか、それとも本質に触れた学なのかいまいちよく分からんやつと同じ類のものなのだろうか。

 

最近ジャニーズが世間を騒がせている。この前テレビで、元ジャニーズだった北公次ジャニー喜多川を告発するインタビューが放送されていた。そのインタビューは村西とおるが撮っていたのだが、なぜアダルトビデオ監督の村西がジャニーを告発するインタビューを撮ったのか不思議だった。この本を読んで理解した。

にしても、この本でもジャニー喜多川の闇に触れているし、北公次の『光GENJIへ』もベストセラーになっているにも関わらず、警察も政治も動かなかったんだな。今になってやっと、スクラム組んでいっせいにメディアが扱ったところで遅すぎるし、各局が事実を報道しないといけないと反省しているところを垂れ流しているが、こういう茶番を見せられたところで国民はうんざりしていると気づかないのだろうか。どっかの週刊誌が、元国会議員の河合夫妻が広島県議や市議の買収問題において、その資金は安倍や菅、二階が出したと報じたが、こういう闇を追求しようとしないところをみるとやっぱりメディアはどうしようもないなと思う。ひどいのは同じメディアである新聞がそういったメディアの姿勢を批判していることだ。人の振り見て我が振り直せという言葉を贈りたい。

 

文化人類学入門』は入門書というだけあって読みやすかった。異なる文化を知ることで、自分自身が囚われているものの見方や行動規範を相対化することができる。人は自由になりたいと思うものだが、自由になるための第一歩として文化人類学はオススメである。

この本では、性も一つのテーマとして扱われていて、サンビアという社会では少年が大人の男性へと変わる儀礼のなかで、7歳の少年が年長の男にフェラチオして精液を体内に入れるらしい。この件を読んでいるとき、動揺した。

ジャニーズが問題になったのは、イギリスメディアが問題視して報道したからで、果たしてイギリスメディアはサンビアのこの儀礼を報道したのだろうか。おそらくしていないだろう。していないと仮定して、ではなにが違うのか。分からない。

ジャニーズの件では、被害者がたくさんいて心を患っている人もいる。これはたしかな事実でだからこそ問題になっている。一方サンビアのほうは分からない。でもこれはサンビアの人はそれ以外の世界を知らないからかもしれない。もし彼らのなかの誰かが別の文化を知り、それが他の文化からみれば奇異な文化であると知ったらどう思うだろうか。

あるいはジャニーズに関連して国連の人権委員会が調査しにやってきたが、なぜ国連や海外メディアは皇族の人権をテーマにしないのか。日本の皇族に限らず、イギリスの王室もいろいろなものを制限されていると思うが、どうなのか。こういったことは国家の根幹の問題だからやっぱりタブーなのか。

先に、文化人類学は自由になるための第一歩と書いた。しかし、自由を得ることは他の大事な何かを手放すことになるかもしれない。

もしサンビア社会が他の文化を知り、他の文化では犯罪になると知ったらどうなるのだろう。これはサンビア社会を維持する一つの重要な文化だろうし、下手したら社会自体の存続に関わってくるかもしれない。知らぬが仏という諺があるように、他の文化は知らないほうがもしかしたらいいのかもしれない。

進撃の巨人』でエレンたち人類は海の向こうに敵がいて、それは同じ人間であることを知ってしまった。エレンは自由のために進撃し続けて、敵をたくさん殺し、多くの仲間も犠牲した。そして、自分は自由の奴隷だと言った。すごい言葉である、自由の奴隷。結局、海の向こうに敵がいることを知らず、全員が壁の内側で巨人に食い殺されていたほうが被害の大きさだけ考えると良かったのだろう。レイス家はそういう選択をしたのだから。とはいえ、エレンたちはそれで納得しないわけで、しかも時間がない。殺らなければ殺られる世界なわけで、エレンたちは反撃しないといけなかった。

おそらく、現実の世界も同じで、全部そのときそのときの仕方ないが積み重なっていって今があるのだ。すべてはどうしょうもない。