ネオサピエンス

 

ネオサピエンス 回避型人類の登場

ネオサピエンス 回避型人類の登場

 

 

 『ネオサピエンス』を読み終わった。

 非常に興味深い内容だった。なぜなら自分は明らかにネオサピエンスだからだ。

 ネオサピエンスという言葉の響きからして、最初プラスの、ポジティブなイメージを持ったけど、本書を読み進めていくと「う~ん・・・」という感じになった。

 

 ネオサピエンスというのは、人との濃いつながりを避ける人類のこと。ネオサピエンスは愛着システムに問題がある。自閉症まではいかないけれど、自閉的な人間。表面上の人間関係は構築できても、それ以上の深い関係になることは避けようとする。ネオサピエンスは人との深い関係を築けないので、恋愛も結婚もしない。つまり、子孫が増えないので、少子化で国家が崩壊する。

 

 日本のみならず世界的な規模でネオサピエンスが増えている。

 共感型の旧人類は、回避型の新人類にとって代わられようとしている。IT技術などによる環境の激変によって、人は直接会わなくてもやりとりできるようになった。大家族は核家族へ、そして核家族すら少なくなり、今では一人世帯が多くを占める。このような孤独な環境に、共感型の旧人類は耐えられない。一方、回避型の新人類は孤独な状況を耐えられる。

 強い者が生き残るではなく、環境に適応した者のみが生き残る。だから、これからの社会で、孤独に耐えられない者は生き残れないのだ。

 

 

 僕はけっこうモテるんだけど、どういうわけかほとんど人を好きになったことがない。人を好きになるという感覚がよく分からないまま今に至るんだけど、このことについてずっと悩んできた。子供のときは普通に友達もいて、よく遊んだりもしてきたけど、大学に入ってしばらくしたあたりから、友達を欲さなくなっていた。

 今では人付き合いが面倒で希薄になってしまっているのだけど、何がどうなって自分はこうなったのか考えていた。本書を読んで、ようやくしっくりくる説明を得られた。あぁ、自分は回避型の新人類なんだなぁと。

 

 これからの社会を生きるうえではネオサピエンスのほうが生きやすいのだろうけど、ネオサピエンスが果たして人間らしい人間なのかといえば答えに窮する。人間らしさとは何かと訊かれたら答えるのは難しいが、孤独に、一人で生きている人間、人との付き合いも薄っぺらな人間は、人間らしいとは言えない。

 

 う~ん、どうなるんだろうね、自分は。