最近読んだ本の感想

哲学、特に現象学を土台にして教育とは何か、何を目指すべきかという根本の問に答えようとする一冊。自分も教育学をやっていたから手に取った。

教育学をやっていたと言うと、じゃあ先生になりたかったんだねと必ず言われる。でも、自分は教育そのものを批判する学をやっていたわけで、先生になりたかったわけではないし、先生という職業には絶対につきたくなかった。

著者が本書で指摘しているように、教育学も他の学と同じく分業化していて、教育の歴史とか制度、法律、福祉、経済、方法学だのいろいろと枝分かれしている。そして、それぞれがお互いに関わり合うことはない。

でも、教育のおおもとである、そもそも教育とはなにか、何を目指して教育すべきなのか、誰のために何のために教育があるのかという根本の問いに枝分かれした教育〜学は答えない。

特に教育経済学は、教育学者というより経済学者が教育を経済学的にみているといった感が強く、これこれの教育をすればこれだけのリターンが得られるというような、根本の問いから大きく外れている研究がなされていると著者は言う。

哲学では元来幸福が重要視され、教育でも子どもが幸福になれるような教育を目指しているとされた。しかし著者は幸福よりも自由を土台にした教育が重要と説く。

ここらへんの論理展開はいまいち腑に落ちなかったが、幸福よりも自由が重要視されるべきというのは納得できる。たとえば、統一教会の信者の中には、信仰によって幸福を感じている者もいると思う。だがそれが多額の献金によって生活が破綻していることと引き換えの幸福であるとするなら、それは真の幸福といえるのだろうか。本人が幸福感を抱いているのなら生活が破綻してもいいのか、そこら辺は自分にはわからない。これを踏まえたら、幸福よりも自由を教育は重視すべきだ。

とはいえ一方で、自由というのが本質的な意味で存在するのかという別の哲学問題もあるわけで、ここらへんを論じ始めると脇道に逸れてしまうから、本書では特に言及されていない。

個人的には、自由というものは集団幻想にすぎないと思っている。ある種の紙や鉄をお金として信じるのと一緒で、われわれはある種の行為を自由な行為とみなしている。そうした幻想のうえでもかまわないなら、お金の学として経済学があるように、自由を土台に据えた教育を考えることも可能だと思う。

 

これは14歳向けらしいが、大人が読んでも価値ある一冊。

上の教育の本とも繋がってくるが、年齢に限らず人はみな、自分だけのアジールを持っているべきで、それは自由とも大きく関わっていると思う。

子どものとき本を読むことが一つの逃場になっていたといろんな作家が言っている。学校とか家が息苦しいとき、本の世界がアジールになっていた。

べつにそれは本の世界だけじゃなくて、アニメでも映画でもいいし、地域のランニングクラブでもいいし、淀川のホームレスの家でもいい。自分が日常で属している価値観とは別の価値観で動いている世界。そうした世界を持っている人は苦しいときにそこに逃げ込める。

そうしたアジールの作り方や関わり方の一例をこの本は教えてくれる。子どもだろうが大人だろうが関係なく、気が狂うほどまともな日常を生きないといけなくて、そうした日常をどうにかやりすごさないといけない。そのためのアジールはたくさんあったほうが、救いになるだけでなく、人生を豊かにしてくれる。

普段ミステリーものは読まない自分でも面白く読めた。え〜こいつが犯人だったのていう感想。

地下道が本書のなかで重要な役割を果たしているが、その情景を思い浮かべられるほど描写が良かった。

よくよく考えてみれば、地下道に入ったことのない自分がありありと情景を思い浮かべられるというのは、それだけ横溝の描写がすばらしいからで、やはりすごい作家なのだと思い至った。

 

闇バイトっていう表現はつねづねどうなのかと思う。バイトってことはお金貰えるんだよなと思ってしまうわけで、でももらえないどころか人生が終わってしまうのだ。それは単なる強盗にすぎない。

やってることは犯罪なわけで、雇う側は普通じゃない。勧誘の手口も巧妙化している。大手のインディードジモティでも普通にバイトを募集していたらしい。

これ、普通に一日十万円稼げるってあれば、普通の感覚の持ち主なら怪しいと思うが、大手のインディードとかで他のバイトより若干高めの時給が表示されていたら分からないよな。

以前ジモティで、化粧品など小物の回収というバイトが他より若干高めの時給で募集されていた。日程とかもちょうどいいなと思って応募したのだが、途中で採用側の連絡がつかなくなっておじゃんになった。

それは全国で募集されていたのだが、小物の回収というのが事業でできるのだろうか。もしかしたら小物というのが、化粧品ではなく通帳とかだったら、それは受け子であり犯罪である。もちろんただの化粧品かもしれないし、今となっては分からない。

採用されれば個人情報は教えるし、仕事場に行って、回収するのは人の通帳ですとなったら、もう個人情報は教えているし逃げられないわけで。こんなのどうしたらいいんだ?

本を読んでいると、やっぱり裏社会でも悪知恵のあるやつが幹部になっているわけで、そんなやつの手にかかれば逃げることはできないのだ。裏社会は平気で人を騙す嘘をつくわけで、フェイクニュースと同じく、ほとんどの人間には見分けられないだろう。

あと、著者も言うように、普通に暮らしていけるのなら闇バイトなんて怪しい仕事に釣られないわけで、困窮していて藁にもすがるしかない状況なら、誰だって闇バイトにも手を出してしまう可能性はある。闇バイトだけではなく、普通のバイトや仕事ですらビッグモーターやその他もろもろの企業のように、犯罪まがいの仕事を強要することがある。サービス残業なんて本来は違法なのに、当たり前になっている。

外国人労働者なんてまともに金をもらえず雇い主に暴力を振るわれたりもする。そこから逃げ出した連中が食っていくために犯罪者集団になったりする。こういう背景を考慮に入れると、悪いのは決して本人だけではないと思える。もっとも、同じ状況にいても、犯罪を犯さない人間が大半なわけで、犯罪者が開き直っていいわけではないが。

社会そのものを良くしない限り闇バイトがなくなることはないだろう。でも社会そのものに余裕がなくなってきていて、政治家に期待できない以上お先は真っ暗である。

 

叩く

叩く

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この人の小説、なんかいいんだよなー。

べつに大きな出来事や劇的な展開、ミステリ要素や恋愛要素があるわけではなく、ただどこかの日常が描かれているだけなんだが、人間の心の機微というか、うーんうまく言えないが、そこらへんを描いている、うまく想像させる、そこがいい。

表題のタイトル「叩く」よりも「アジサイ」がいい。これも、妻が突然実家に帰ってしまい困る夫というありがちな話。妻がなぜ実家に帰ったのか分からず困惑する夫。あれこれ考え、妻の実家に電話し、義父母に聞くが教えてもらえない。夫は、借金をしたり、暴力を振るったり、浮気をしたりしたわけではない。ただ、仕事の忙しさにかまけて失くした結婚指輪をそのままにしていた。これが理由かもしれないと夫は考える。

夫は、これまで妻がしていたであろう町内会の清掃当番をしたりしていろんな面倒くささに遭遇する。こういう面倒くささも妻が突然実家に帰ってしまった理由の一つなのかなと推理した。

結局、物語の最後まで妻は帰ってこないし、その理由もわからない。読者としては、それでいろいろ考えるからそれでいい。

はぁ~女ってめんどくさいなぁとつくづく思わされる。これって現実でも普通にあるだろうし、男側からすれば「察してくれ」というのはかなり困難な問題である。で、ここでこの主語のでかい「女」という表現を使うとまた別の角度から問題が起こるのだ。あーいろいろとめんどくせぇ。本当にめんどくせぇ世の中だ。

次の「風力発電所」もいい。これは物語ではなく本当の話かもしれない。単に、著者が地元の青森に帰って、議員や学校の校長といった有力者と懐石をともにして、風力発電所を見学するだけの話なんだが。懐石がタダで食えるとはいえ、こういう席にはあまりいたくないな。めんどくさい奴らばかりだろうし。

次の風力発電所の件はなんだか不穏である。夜に見に行った発電機の下には鷲?の死骸がたくさん落ちていて、それを見ていると、軽トラから出てきた地元のじいさんが訳の分からない方言で怒鳴ってきた。何だこれは、怖いな。死骸は回転するプロペラに巻き込まれたからなのか、それは秘密にすべきことだったから、それを見つけた部外者の著者は怒鳴られたのか。

この件に限らず、著者の物語は不穏で謎が多い。そしてそれが想像をかきたてる。こういうふうに物が書けるというのも、一個の才能だなと思う。芥川賞作家といえどもあまり稼げないようだが、こういう書き手が食うに困らない社会であってほしい。