久しぶりに山に登った

920メートル 2時間で登る

以前はよく登っていた山だけど、仕事やらなんやらで忙しくなり登っていなかった。2年ぶりくらいに登った。

だいたい三合目くらいまでがきつくて、途中から平坦になったりちょっと下ったりするところがあって、そこから呼吸が落ち着く。リズムが出てきて、スタスタ進めるようになる。

 

七合目あたりから視界が開ける場所があり、そこで休憩。当たりまえっちゃあ当たりまえだけど、眼下の道路を行く車はゆっくり走っているように見える。

景色を見ていて、ツァラトゥストラはなぜ山にいたのか理解できた。すべてが見えるからだ。

天才と秀才の違いがよく言われる。ショーペンハウアーは、秀才は誰にも当てられない的を射抜き、天才は誰にも見えていない的を射抜くといった。

天才は見える。天才は直に観ている。ちょうど山の上から眼下の景色を見渡すように、すべてを観ている。凡人は下界にいて、凡人に見えていない景色を天才は観ている。ツァラトゥストラは山から観えていた景色を教えるために、わざわざ下界まで降りてきたのだ。

 

頂上まで着いた。頂上はスズメバチがいたり、トカゲの小さいのがたくさんいたりした。頂上は草が刈ってあった。どうやって草刈り機を運んだのだろうか。たまにヘリが飛んでいるが、それで運搬したのだろうか。途中の看板とか、階段を作るための木とかやっぱり人力で運ぶのだろうか。

しかも頂上の近くは杉の木が植林されている。頂上に植林してどうやって切った木を下ろすのだろうか。なぜあんなところに植林したのだろう?

 

頂上から見える景色もまたとてもキレイだった。

下界に見える景色の多くは山林だけど、その中でも人間が作ったさまざまなもの、ビルとか道路とか家、田んぼ、畑が見えた。ネコやカラスやイノシシが作ったものは見えなかった。

山に登ると、人間がいかに環境をぶち壊しているかがよく分かる。山を切り開いてひたすら人間が望むものを作り続けてきたのだ。うんざりする。そしてうんざりしている自分もまた環境をぶち壊している一人なのだ。

脱炭素だのSDGsだの言われているが、もはや問題は、人間の活動ではなく、存在そのものだ。存在そのものが消えない限り環境問題は終わらないように思う。つまり、人間はできる限り早く絶滅すべきだ。その一番の方策は、少子化を加速させることだ。戦争は結局経済を活性化させる潤滑油にすぎないし、核を使えば環境そのものが終わる。人間だけこの世界から抹消させるもっとも安全安心な方法は少子化だ。誰一人として子どもを産まなければ、百年で絶滅できる。

 

登りより下りのほうが案外きつくて、登りで体力が減っている分きついし、降りるときのほうが足への負担は大きい。しかも太ももがすでに筋肉痛になっていた。まだまだ身体は若いようだ。その後温泉に入って帰った。