「単連結の3次元閉多様体は、3次元球面と同相である」
僕は最近、ポアンカレ予想と人間の心の関係についてふとした瞬間に考えている。
もっとも僕はポアンカレ予想を人に分かりやすく説明できるほど深くは理解していないのだが。だからここでポアンカレ予想について解説することはできない。
なんのきっかけでポアンカレ予想に興味を持ったのかは忘れたが、一時期ネットや本で集中的に勉強した記憶がある。
一番理解できたのは『数学ガール』での解説だったと思う。
で、何となくだけど、ポアンカレ予想って人間の心のかたちを理解するのに重要な手引きになると思ったのだ。
人間、あるいは人間の心は、僕が思うに単連結の3次元閉多様体だと思う。
で、ポアンカレ予想はペレルマンによって証明されたから、人間の心のかたちは3次元球面と同相である。つまり、心は4次元である。
で、ここから何が言いたいのかというと、たとえば中沢新一はさまざまな本で心について言及しているのだが、ちょうど心はクラインの壺のようなかたちをしているというのだ。
クラインの壺は4次元でないと成立しないので、先ほどの、心は4次元であるという命題と合う。
もっとふみこんでいえば、ポアンカレ予想を証明するなかで、サーストンという博士が宇宙のかたちは8つあると予想したのだが、そのかたちのなかにクラインの壺も含まれている。
ここからさらに展開して、数学者であり哲学者でもあるライプニッツが、「モナド」という概念を提唱しているのだが、モナドは宇宙の状態を反映しているという。
仏教の世界でも、心は宇宙であるという言及があるが、これはメタファーでもなんでもなくて、文字通り、心は宇宙なのである。そして同時に宇宙は心なのである。このような考えかたは、華厳経でいうところの「相即相入」であって、こういったところの説明は中沢新一の最新刊である『レンマ学』で深く追求されている。
クラインの壺に戻る。
クラインの壺というのは、誰もが知っているメビウスの帯の次元を一つ上げたものだ。メビウスの帯やクラインの壺は、本当に不思議なかたちをしていて、表をたどっているはずなのに、裏をたどっている。内側をたどっていたはずなのに、外側をたどっている。表が裏であり、裏が表である、内側が外側であり、外側が内側であるという言葉のうえでは矛盾した状態を示している。つまり、西田幾多郎がいうような、絶対矛盾が自己同一した状態なのである。
ダグラス・ホフスタッターはおそらく上に述べたようなことを、「不思議の環」という言葉で表現したのだと思う。僕は彼の本をあまり理解できなかったのだが。
エッシャーの絵を見たことあるでしょ?
これが人間の心のかたちを示しているわけだ。
ここまで、数学から始まって哲学や仏教、宇宙について簡単に触れてきたのだが、結局のところ、どの学でも言いたいことはいっしょで、それを別の角度からさまざまに表現しているにすぎないのだ。見えているものはいっしょなのだ。ルートがいくつあっても、たどり着く場所はすべて山頂で、そこから見える景色が一つしかないのと同じことなのだ。
今のところ、ポアンカレ予想と人間の心の関係について述べている文章を僕は知らない。だれか、頭のいい人、僕の思いつきについて研究してほしい。