散歩できなくなった

気づいたら、散歩できなくなっていた。

散歩、そぞろに歩く、ふらふらと目的地もなく歩く。学生時代、レポートとか論文とか書いてて、頭が煮詰まってきたら、近所の温泉とか銭湯に行ってサウナに入ったりぬるま湯でぼっーっとしたりするか、真夜中に何時間も大学の周りとか構内を散歩していた。あれは楽しかったな。

神戸の六甲山に住んでいたから、都会とはいえ野生動物もけっこういて、タヌキとかイノシシとかのら猫によく遭遇した。神戸のイノシシはあまり危険じゃないし、学内ののら猫は人懐っこいのが多くてエサをあげてないのに膝の上に乗ってきてくつろいでいた。

もちろん夜景もきれいで、三宮から大阪まで一望できたし、阪神のナイター戦の眩い照明は六甲からでも確認できた。あの頃の阪神は弱かった。

今思えば、あの散歩は本当に豊かな時間だったなと思う。夜中に2時間も3時間もぶらぶらと住宅街を歩けたのは幸せだった。六甲の上の方は大学と住宅街で、8時に閉まるスーパーが一つしかなくて、夜中は人もいなかった。不審者扱いされなくて良かった。

入学直前に住む場所が決まって、山の上の方しか住めるアパートがなかった。でも今振り返れば、それで良かった。下界の2国沿いは、店ばかりで夜中も明るいし自然もない。上の方は静かで暗くて散歩に最適だった。大学のすぐ近くなので図書館に入り浸ることもできた。

 

田舎に帰ってきて、気づいたら散歩できなくなっていた。いつから散歩しなくなったのだろうか、まったく分からない。

そもそも車移動が当たり前になって歩かなくなった。そして、近所の目がなんとなく気になって歩けなくなった。最近、近所に小中学校のときの同級生が家を建てたというのも歩かなくなった理由の一つである。もう同級生とか会いたくないんだよなー、歳を重ねるごとに人付き合いが面倒になっていく。

歩きたいという気持ちが失われたわけではない。昨日は2キロぐらい離れた図書館まで土砂降りのなか歩いていった。帰りは遠回りして山に登り、山中にある寺にお参りして帰ってきた。12500歩だった。

でもこれは、自分の中では散歩ではない。図書館という目的地があるから歩けたのだ。目的地がないと歩けなくなってしまった。学生時代のように、ふらふらと目的地もなく、ただただ歩くということができなくなった。

それが少し、哀しい。