カレル・チャペック『山椒魚戦争』考察

カレル・チャペック山椒魚戦争』を読み終わった。

 

あらすじ

ある島に山椒魚がたくさん住んでいて、船長がその島に上陸する。山椒魚には知性があってコミュニケーションがとれ、なおかつ人間に従順だった。船長から話をきいたビジネスマンが会社をたちあげ山椒魚は労働者として取引されるようになる。山椒魚は各国に飼われ、世界経済にとってなくてはならない歯車になる。歯車はその増殖能力から200億に膨れ上がり、人間から与えられていた海岸だけではおさまりきらなくなる。そのころすでに山椒魚には教育がいきわたり、人間から支給される武器をつかいこなせるようになっていた。山椒魚は自らの生存のために仕方なしに人間の住む陸を爆破したのだった。

 

考察

カレル・チャペックは「ロボット」という言葉の生みの親で、彼は人間が生み出したものがいつか人間に牙をむき人間を滅ぼすのではないかという危惧を抱いていたらしい。彼の作品には一貫してそのような危惧が描かれていて『山椒魚戦争』もその一つ。ロボットも人間が生み出したもののひとつだが、SFものの小説や映画でもよくロボットが人間に対して牙をむいて滅ぼそうとしている。有名どころでいえば『マトリックス』とか『ターミネーター』とか。

山椒魚戦争』が見事だなと思った点はいくつもあって、山椒魚は黒人とか女性のメタファーとして描かれている点が見事だなと思った。山椒魚は人間社会にとって徐々に不可欠な存在となっていく。山椒魚は必要不可欠な存在だが、その見た目から気持ち悪がれていた。山椒魚は人間ではないが、はたして知性がありコミュニケーションをとれる山椒魚に人権や市民権を与えるべきなのか。そもそも山椒魚が問題を起こした時、その責任は誰がとるのか。山椒魚は神の保護を受けられるのか。人間社会はこれまで白人優位、男性優位の社会で、黒人や女性は差別されてきた。山椒魚のこの待遇は、これまで白人が黒人にやってきた仕打ちと同じだろうし、男性が女性にやってきた仕打ちと同じだろう。山椒魚の世界には階級などなくて、リーダーはいるがみな平等である。カレル・チャペック山椒魚の社会をとおして、人間社会にある階級や差別を皮肉っているように感じた。

もう一つ見事だな思ったのが、山椒魚が人間に攻撃をしかけるまでの過程の描き方である。山椒魚はある島に住んでいて人口は維持されていた。そこに船長がやってきて、ビジネスマンが山椒魚の派遣事業を始めて、山椒魚が激増していく。で、結局その数に対して住んでいる海岸が狭いので、人間の住む陸を爆破して住めるところを拡大した。人間の住めるところはどんどん縮小していった。山椒魚は人間に対してずっと従順で、それは物語の最後まで変わらない。山椒魚は人間に虐げられているのにそれでも恨みを持たない。山椒魚が人間の住む陸を爆破したのも、人間と戦争したいからではなく、住むところが狭くて生存できないからである。仕方ないのである、だから山椒魚も爆破する地域はお金を出して買い取ると言っている。今度は人間の生存が脅かされているわけだが、これはすべて人間が山椒魚を最初の島から引きずり出して労働者として飼いならし増やしていったせいである。すべては身から出た錆なのである。

こういったくだりを読んでいるとき、他のいろんな作品を思い出していた。『エイリアン』シリーズもまさにこんな感じだよなと思った。エイリアンは4まであるが、どの作品も、人間がエイリアンを生物兵器にしようとかこれで金儲けしようとかして飼いならそうとするのだが、それで失敗して殺されていくのである。エイリアン以上に人間のその欲望が醜い。エイリアンはたぶん繁殖するために、あるいは人間のほうが歯向かってきて邪魔だから結果的に人間を殺しているのであって、人間を殺そうとかとは思っていないような気がする。そもそも人間がエイリアンの生活に介入しなければ惨事になることはなかったのである。これはエボラウイルスとかおそらくコロナも同じで、エボラはアフリカの奥地にあったウイルスだが、人間が森林をどんどん切り開いていったから出会ってしまったのである。

また、山椒魚はシステム全体のメタファーでもあると思った。人類が二足歩行を始めて手が使えるようになって脳みそが発達して道具をつくるようになった。人類の歴史というのはある意味では道具の発展の歴史でもある。最初、木で地面をほじくっていたのが、木のスコップになり、今ではパワーショベルで掘り起こす。馬で移動していたのが、馬車になり、エンジンを搭載した車になる。あらゆる道具が歴史を通して発展してきた。同時にそれは自分の身体を使わなくなった歴史でもある。道具が発展すればするほど、身体への負担が減るのであって、それはつまり身体の退化である。道具の進化と身体の退化は比例の関係にある。身体もバカじゃないから必要のない機能は捨てるのである、モグラが眼の機能を捨てたように。システムは人間が生み出したものだが、今ではシステムの維持のために人間の生存が脅かされている。食べ物には食品添加物が大量に含まれていて、それは人間の健康に悪影響を及ぼしているが、人間の健康よりも食べ物が腐って損になるほうが問題なので食品添加物は使用される。人間の健康よりも企業の発展のほうが重要なので、人間はうつ病になったり過労で倒れたりする。人間は自らが生み出したものによって自分の生存を脅かしているのである。システムそのものは決して人間に逆らっているわけではないのに、それは結果的に人間を滅ぼしにかかっている。

恐ろしいのはすべて、仕方ない状況になって物事が運行されていることだ。山椒魚も仕方なく陸を爆破したわけだが、現実でもわれわれはどうしようもない状況に陥っている。原始人は金なんかなくても結婚し子育てし生活していたわけだが、現代人は金がなければ何もできない。金がなくても生きていける生活システムを構築することもできない。原始人のような生活もできない。経済をとめることもできない、環境破壊をとめることもできない。

 

物語は山椒魚が人間の住処をどんどん縮小させ、最初に山椒魚をビジネスマンに紹介したポヴォンドラ氏が「すべて自分のせいだ」と後悔するところで終わる。でも誰も未来のことを見通せない以上どうしようもないことなんだよな。最高峰の天才であるアインシュタインでも自分の方程式が原子爆弾を生み出すとは予想できなかった。どうしようもないのである。人間の社会をコントロールしているのももはや人間ではないので、誰も何もどうすることもできない。