車検費用が高すぎてショックだった

8月に車検が切れるので車検見積もりに行ってきた。

20年前の軽トラに乗ってるのでまぁ車検代だけでは済まないだろうなぁと思って覚悟はしていたが、追加整備こみで14万近くかかるとのこと。車検を通すのとは関係ないタイミングベルトの交換も追加すると20万近くかかる。車検のみの費用は42000円で済むので、うちの軽トラももうあちこちでガタがきているようだ。

田舎に帰ってきてから車を購入した。都会にいるときは車は必要なかった。都会にいると金がかかるというが、田舎のほうがむしろ金がかかる。ガソリン代の高騰も追い打ちして車にかかる費用はバカみたいに高い。だからといって田舎で車を所有しない生活は考えられないからなぁ。昔はどうしていたんだろうか。今は一人が一台所有しているのが普通だが、昔は一家に一台で、その前は車すらなかった。今は車があるのが当たり前という前提で社会システムが構築されているから必然的に車がなければいけない。だから金がかかる。

百姓は百のなりわいを持つから百姓であって、それはつまり社会がそれほど複雑ではなかったということだ。百姓は農作業もやるし、家も建てるし、治水工事も行った。それらはもちろん技術や経験が必要だったが、今ほど複雑ではなかったはずだ。車がなかった時代は馬車などが一般的だったが、馬が引く車はある程度の技術があれば誰にでも作れるだろう。素材も木だから山からとってこれる。だが車になるとそうはいかない。リヤデフオイルやらディスクパッドやらFショックアブソーバーやら、専門的な知識がないとちんぷんかんぷんだ。だからこそ自動車整備士という専門的な知識と技術を持つ仕事が誕生した。車の素材も山からとってこれるものではないから、専門家のところにもっていかなければならない。このようにして素人は手を出せなくなり、専門家のところに持っていき金を払わなければならない。

これは車だけの話ではなく社会のあらゆる領域で起こっていることであり、あらゆることが複雑化し、それに応じて専門家が誕生し、それらのことは専門家にお金を払ってまかせないといけなくなった。このようにして百姓は解体されていったのだ。

マルクスは『資本論』で、労働者は資本家から労働力を搾取されていると述べた。でも実は、搾取されているのは労働力だけではないかもしれない。

車検の見積もりには、リヤデフオイルシール交換1万円、ドラムブレーキライニング2万円、Fショックアブソーバー3万円と載っている。これは適正な価格なのか自分にはさっぱり分からない。リヤデフオイルが仮に8000円で済むものなら自分は2000円搾取されていることになる。仮に数社から見積もりとって8000円が最安だったとしても、それが搾取されていない金額だとはいえない。なんせ消費者である自分には、そこは資格が必要な領域であって、どの金額が果たして適正なのかまったく分からないからだ。消費者は労働者から搾取されているということになる。消費者は結局労働者でもあるから、自分で自分を搾取していることになる。

そもそも働いてても自分がいったいどれほど搾取されているのかって全く分からない。消費する点においても自分がどれほどそこで搾取されているのか分からない。山に行って木と竹と土とってきて自分で家をDIYしたらそこに搾取などまったく発生しないが、建築士や大工といった専門家集団に家づくりをまかせたら、そこで施主である消費者がどれほど搾取されているのかまったく分からん。

 

車を走らせてると、ときどき戦慄を覚える。鉄のかたまりを高速移動させてることへの戦慄。どっかにぶつけたり、それでけがしたりすればえらい金がかかる。どんなに自分が安全に運転してても、とんでもないバカが突っ込んでくることもある。社会が複雑化すると、自分にコントロールできないことが増えていくので、不安が増大する。

最近、どうしてわれわれはこんなに不安なんだろうと考えている。われわれはエジプト王朝のファラオや豊臣秀吉徳川家康といった、そのときそのときのもっとも栄華を極めた人間よりもはるかに豊かな暮らしをしているのに、不安で不安でしかたないし、不幸せだと感じている。スマホや車、パソコンなど、ファラオや徳川からみれば魔法としか思えない道具を当たり前のように使っているのに不幸である。なんでなんだろうなと思ったら、それは自分にコントロールできない領域がふえすぎたせいだと思った。

移動することに関しても、われわれは自分の足ではなく、電車やバスや車を使う。べつに自分の足で移動してもいいのだ。しかし自分の足よりも電車や車を使ったほうが目的地に早くたどりつけて合理的だ。このようにして現代人の歩数は激減し生活習慣病にかかる、そして金がかかる。あらゆる領域がこんな感じで自分にコントロールできなくなり、搾取される。不安で不安でしかたなくなる。

 

最近、自分は手持ちの金が30万を切ってくるとどうやって金稼ごうかなとばかり考えていることに気付いた。自分は金のことなんてどうでもいいのでこういう無益なことは考えたくないが、すでに書いた通りこの社会は自分にコントロールできない領域が増えすぎたせいで金を稼がないといけない、不安になる、嫌になってくる。金から解放されるために金を稼がないといけないというバカげた構造になっている。はぁ…