なんか仕事したいなーって気分なので昨日バイトに応募した。そしたら今朝電話がかかってきて、相手の話口調の雰囲気から採用されそうだなと思っていたのだが、最後に「うちはシフトをラインで調整してるんですがラインやってますよね?」と訊かれて「あーやってないです」と答えた。「ライン入れていただくことはできますか?」と訊かれたので、「いやぁそれができないんですよ、すみません。採用はなしにしてもらえますか」と話し電話を切った。
電話を切った後、静かな静かなショックが胸に拡がった。はぁ…ラインやってないと仕事すらできないのかぁ…そういう時代になったんだな。自分はラインをやってないどころか、そもそもスマホユーザーですらない。これまでガラケーでやってきた。べつに意地はってガラケーでやってきたわけではない。ガラケーで十分だったからガラケーでやってきたのだ。今まで気づいていないふりをしてきたがもう限界かもしれん。
「ライン入れていただくことはできるか」ってもう、前提がスマホを持っているということだよね。まぁそうだわな。ある程度若い人間でいまだにガラケー使ってるやつなんてもう絶滅危惧種だわな。とりあえず26年までは今のガラケーを使えるが、そろそろ潮時かもしれない。
今のガラケーは2016年から使っていてもう6年使っていることになるが、いまだにピンピンしてて故障する気配すらない。でもスマホなんてすぐに故障するし、充電も早くなくなる。そもそも自分は、電話とメールさえできればいいのだ。スマホみたいにさまざまな機能が搭載されていなくていい。ラインなんてもっといらない。そりゃ便利なアプリだが、人と常につながっている状態、連絡がとれる状態でいたくない。しんどいんだわ。
しかし、自分がガラケーで電話とショートメールしかできないことが人に迷惑をかけていることは自覚している。ショートメールだと、文章が長くなる場合何通にも分けて送らないといけないから相手はめんどうだと思う。
いくら格安スマホが出たからといって、やっぱり便利なものを持つと自分のような心の弱い人間はやっぱりもっといいスマホに替えたいなと思ってしまうだろう。そうすれば余計に金がかかる。スマホに依存して時間が奪われてしまう。スマホに依存しない方法は一つしかなくて、それはスマホを持たないことなのだ。だが、もう世間の波がそれを許さなくなっている。社会はすでに「スマホを持っている状態」というのがデフォルトになっている。だから自分のようなガラケーユーザーはいろいろと不便を被っている。
田舎に帰ってから車を購入し普段使っている。田舎は「車を持っている状態」というのがデフォルトになっていて、どこに行くにも車で行くのが普通だ。昔は一家に一台だったが、今は一人が一台だ。昔はどうやって生活していたんだろうか、でも昔は昔で「車がない状態」がデフォルトだったからそれに合わせた社会だったし、「一家に一台」がデフォルトならそれに合わせた社会だったし、今は「一人が一台」がデフォルトだからそれに合わせた社会になっている。このようにして個人の負担がどんどん重くなっていくのだ。車を持っている人なら分かるが、ガソリン代から車検代から、保険代、税金、整備費用、その他もろもろ、車のせいでどんどん金がなくなっていく。しかし田舎は車がなければ話にならないから持たざるをえない。
携帯がない時代があって、ガラケーが一般化した時代になって、今はスマホ所有がデフォルトになった時代。どんなに貧しい人でもスマホは持っている。スマホがなければ生活すらできない時代になりつつある。まぁスマホに替えたら生活に幅がでるんだろうけどなぁ、スマホ持ちになるといろんなものが失われていくようで替えたくないというのが本音である。