『天気の子』を観てガラケー民は絶命危惧種であることを理解した

 ゲオで『天気の子』がリリースされたので借りてきた。

 お恥ずかしながら新海作品は初めて観た。当方、流行にはかなり疎いので『君の名は』も観ていない。だから『天気の子』で初めて新海作品に触れることになった。

 

 おぉぉ…まず映像がめちゃくちゃきれいだった。

 最近のアニメーション映画では劇場版ヱヴァンゲリヲンを観たが、同じアニメといっても全然違うのだなという小学生並みの感想を抱いた。

 

 

 『天気の子』の主人公である高校生の穂高は、家出して東京にやってくるのだが、数日後には持ち金がなくなってきてホームレスみたいになってしまう。

 マックで水だけで過ごしたり(そのときヒロインの陽菜がハンバーガーを恵んでくれる)、ラブホテル街で雨宿りして一夜を明かそうとしたりしている。

 そんな金銭的に危機的な状況でも、穂高スマホを手放そうとしないのだ。

 それだけ現代人にはスマホが必須なものになってしまっているんだなぁとつくづく思った。

 

 当方現在28だが、今までに一度もスマホを所持したことがなく、ガラケーを使い続けている。月額料金1000円を切る一番安いプランで契約しているので、ショートメールと通話しかできない。ネットもできない。それでも、特に不便を感じたことがない。

 べつに貧乏だからこのプランに固執しているわけではない。自分にとってガラケーは消極的な選択ではなく、むしろ積極的な選択なのである。

 

 だから穂高のように、金銭的に困難な状況に置かれているのにスマホを手放さないのは、なんか異様に思えると同時に、それだけスマホが生活に深く食い込んでいることの証だと感じたわけである。

 とはいえ、当方、simカードの入っていないおもちゃとしてのスマホは持っていて、その便利さをよく分かっている。スマホさえ持っておけば、それはカメラになるし、ミュージックプレイヤーになるし、辞書にもなる。もはや魔法の板である。

 それでも自分がガラケーにこだわるのは、スマホを使い始めると、スマホに自分の生活がむしばまれることが目に見えているからである。スマホに自分の生活を侵食されたくないのだ。

 酒は飲んでも飲まれるなという諺のように、スマホは使っても使われるなと言いたいところだが、たぶん自分も、スマホを使いはじめたらほとんどのスマホ民と同じように、使われるだけの存在になってしまうと思う。

 

 ところで、この前アベマTVをyoutubeで観ていたら、大阪の西成で生活保護を受けて暮らしているじいさんが登場していた。そのじいさんは、病院でもらった薬を路上販売で売りさばいていた。たばこや酒を買うのに、生活保護費だけでは足りないらしい。

 そんなじいさんでも、スマホを持っていた。取材陣が、この薬、使用期限とかは大丈夫なんですかと尋ねたら、じいさんはスマホで薬を音声検索していた。

 

 スマホは、以前に比べて安くなったとはいってもいまだに通信料がかさむし、ガラケーと違ってもろいので1、2年で交換さぜるを得ない。そのたびに数万円ふっとぶ。自分の今使っているガラケーはすでに5年目だがいまだに支障が生じたことはない。

 じいさんもガラケーに切り替えれば、もっとたばこや酒を楽しめるのになぁ。

 

 先日ドコモから、スマホに切り替えませんかという電話が来たが、断った。

 ドコモの場合、2026年にガラケーが使えなくなる。auは21年だったかな。

 自分は26年までガラケーを使うつもりである。そのころまでには今よりもっとガラケー民が少なっているだろうが、それでも自分はガラケーを使い続けたいと思う。

 

 

天気の子

天気の子

  • 発売日: 2020/05/27
  • メディア: Prime Video