やっぱり人工知能に意味は理解できないらしい、では人間は?

 今日の日経新聞夕刊の一面に、翻訳ソフトの誤訳問題の記事が大きく載っていた。

 

 駅や公共施設に英語や中国語の案内があるのだが、めちゃくちゃな誤訳がなされているらしいのだ。

 

 たとえば、

 堺筋線 ⇒ sakai  muscle line (筋を「筋肉」に訳している)

 天下茶屋 ⇒ world  teahouse

    3両目  ⇒ eyes3

などなど。

 

めちゃくちゃだな(笑)

 

 大阪ミナミにある食堂には、「日本式に牛とけんかした麺」というメニューがあるらしい。どんな料理だよ!

 

 最近メディアによく登場する新井紀子さんは、東大合格を目指す東ロボ君というロボットの開発を目指したが断念した。

 

AI vs. 教科書が読めない子どもたち
 

 

 MARCHレベルまでは偏差値があがったらしいが、東大レベルまではいかなかったとのこと。その理由は、人工知能には「意味」が理解できないからだ。

 

 人間は日常、言葉の意味を文脈のなかで理解する。

 でも、ロボットには文脈が理解できない。

 

以前こんなことがあった。

 

僕が働いていた娯楽施設に中国人観光客がやってきた。

彼らは日本語を理解できないようで、スマホを差し出して「ここに話しかけて」というジェスチャーをしてきた。スマホが日本語を翻訳してくれるらしい。

うちの施設には、来店するたびにポイントが貯まるスタンプカードがある。

それが欲しいか尋ねるために日本語で

「スタンプカードはいりますか?」とスマホに話しかけた。

 

スマホの画面には

Do  you  have a stampcard?

と出てきた。

彼らは、

No. と答えた。

 

後で、あの翻訳は間違っていると気づいた。

本当なら、

Do  you  want  a stampcard?

と表示されるべきだったのだ。

 

 普通に考えて中国人観光客は初めての来店だ。スタンプカードを持っているはずはない。だから「スタンプカードを持っていますか?」という質問はしない。

 もし、スマホに「Do you want a stampcard? 」と表示されていれば、彼らは「yes」といっていたかもしれない。

 

 機械が文脈を理解できる日は来るのだろうか?

 

 

今日も井筒俊彦の『意味の深みへ』を読む。

 

意味の深みへ: 東洋哲学の水位 (岩波文庫)

意味の深みへ: 東洋哲学の水位 (岩波文庫)

 

  

 二章「文化と言語アラヤ識」を読む。

 

 井筒は、文化をある人間共同体の成員が共有する、行動・感情・認識・思考の基本的諸パターンの有機システムであると定義して話をすすめる。

 

 現実は、一つのテキストである。

 ぼくたちは、言葉をとおして世界を認識する。

 じつは現実なんてものは幻影で、言葉がなければ世界を認識できない。

 

 ぼくたち日本人がお互いに日々コミュニケーションをとれるのは、文化という基本的諸パターンの有機システムを「インストール」しているからだ。

 

 では、異文化圏の人とのコミュニケーションはどうなのか?

 

 花は英語でflowerだ。

 このように、対応する言葉さえ知っていればコミュニケーションはとれる。

 井筒はこの意味では異文化コミュニケーションは可能だと言う。

 

 しかし、これは言語の表層レベルの話だと井筒は言う。

 

 「花」という語、「flower」という語の意味を深く深く下りていくと、花とflowerは一致しない。

 

 唯識派によれば、人間の意識の奥底はアラヤ識という構造になっている。

 アーラヤとは貯蔵庫という意味で、意味を生み出すカオス。

 ここは意味さえ生まれていない「無」なのだ。

 

 このような深層意識のレベルからみれば、異文化コミュニケーションははたして可能なのかどうか。自分には分からないと井筒は言う。

 

 日頃ぼくたちは深層レベルでコミュニケーションについて考えることはない。

 しかし異文化と出合って、自分の文化が揺さぶられたとき、異文化に対して開いた姿勢をとっていければ、理想的な世界が生まれるのではないかと井筒は期待する。

 

 グローバル化した世界で、人間は前述したロボットのような意味を理解できない存在になり下がるのか、それともロボットとは違い深層レベルで意味を理解できる存在になれるのか。

 

 人間の今後に期待。