最近読んだマンガや本の感想

日本のマンガってどうしてこう面白いものが多いんだろうなって考える。マンガ家って小説家ほど表にでてこない人が多いが、それってけっこう重要なことなんじゃないかと思う。鬼滅の刃とか呪術廻戦、ワンピースの作者をメディアで見かけることはない。進撃の諫山さんはけっこう見るが、それでも小説家のようにコメンテーターとかタレントとしてテレビ番組に出るみたいなことはない。

個人的に、創造性は暇と孤独のうちに宿ると考えている。有名になると忙しくなるし、街を歩いていても声をかけられるみたいな面倒くさい状況に巻き込まれる。たとえば散歩しているときってアイデアがけっこう湧く時間で、物思いに耽りながら散歩することは楽しい。そういうときは自分の世界に入り込んでいるわけで、それはいわば自分の孤独に潜っている。そんなときに、「もしかして〜さんですか?ファンなんですぅ」と声をかけられたら、とたんに自分の世界から引っ張り出されるわけで、想像(創造)の時間は吹っ飛んでしまう。

多くの世界的マンガ家が日本にいて、だいたいが顔もわからないし名前もわからない。舞城王太郎っていう芥川賞作家が授賞式にでなくて、審査員が怒ったみたいな出来事があったらしいけど、マンガ家の場合はなぜか表にでてこなくても許される。フランスのマクロン大統領が鬼滅の作者とかに会いたいとオファーしたけど断られたみたいな話を聞いたことがあるが、それが許されるってすばらしいと思う。マンガ業界が作者の匿名性を守ってくれているのは、作品の質の担保と関係があると思う。

それに付随して、だからこそ多様性のある人材がマンガ家になれているというのもあるかもしれない。ファブルが好きで何回も読み返しているのだが、作者の南先生は昔大阪環状線で暴走族をやっていたらしい。それがマンガに生かされている。犯罪はもちろん許されないわけだが、こういった多様な背景を持つ人間を、マンガ家という職業は受け入れているわけで、だからこそマンガは面白くなるのだといえる。

 

最近読んだマンガで一番面白かったのは、『カモのネギには毒がある』。

新聞でよく紹介されているので読んでみたらとても面白かった。そしてめちゃくちゃ勉強になる。

この社会は、カモる者とカモられる者で構成されている「カモリズム社会」だと主人公の大学教授加茂教授は言う。経済学者加茂教授は、さまざまなカモる者を行動経済学の実験と称して打ち破り、カモられる者を救っていく。

一番面白かったのは、マルチ商法のエピソード。師匠のように金持ちになりたいと、搾取されながらシェアハウスで貧乏生活を送るカモられる者。その頂点にはマルチのシステムを構築した素性が明かされない男がいて…という話。カモられる者は師匠に陶酔していて、周りの人間の説得には耳を貸さない。信者と書いて儲けると読むのは本当にそのとおりで、カモられる者はオウム真理教統一教会の信者と同じで視野が狭くなっている。そうしてマインドコントロールされて夢見ながら泥沼のなかでもがいている。そのもがきさえも、これは夢を叶えるための試練なんだと合理化している。救いようのない地獄。加茂教授はその地獄に挑む。

 

原案は夏原武さんという人で、『クロサギ』や『正直不動産』も手掛けているヒットメーカー。夏原さんの見た目けっこういかつくてアッチ側の人に見えるのだが、世間の悪を徹底取材し、それがマンガに活かされている。『正直不動産』も『カモのネギには毒がある』も、その巻で扱ったテーマを巻末で現実の犯罪のやりくちとリンクさせながら解説してくれているのでめちゃくちゃ勉強になる。不動産業界のやりくちがいかにあくどいかよくわかるし、世間で表向きはとてもすばらしい人助けをしているように見えるビジネスがどのようにして弱者をカモっているかとかもよく分かる。不動産にしても、アムウェイなどのマルチにしても、その構図を知っていて絶対に損はない。本だと何やら難しい話だなと思うことが、マンガだとよく理解できる。本当におすすめ。

 

僕だけがいない街

いやー面白いね。まだ4巻までしか読んでいないけど。主人公は、なにか事件や事故などが起こりそうな場面に出くわすと、「再上映」が起こる。事故が起こりそうな場面に出くわして何もせずにいると、巻き戻しされてまた同じことが起こる。主人公が推測して事故に巻き込まれそうな人を救うと再上映は終わり時が進む。

主人公は28歳で、それまで再上映は少しの時間しか巻き戻されなかったのに、ある日一気に小学生にまで戻ってしまう。それは子どものころに自分のまわりで起こった子どもの誘拐事件と関わりがあって、母親を殺された28の現在ともつながりがあったのだった。

これ『東京リベンジャーズ』とも似たような構造の話だな。過去と現在を行き来して、現在を変えようとする話。おおもとは『バック・トゥ・ザ・フューチャー』だろうか。

 

ヒマチの嬢王

作者の地元愛にあふれた作品。地元が同じなので読み始めたのがきっかけだが、普通に面白かった。最新刊の19巻で完結した。

都会でナンバーワンだったキャバ嬢が疲れ果てて鳥取県米子市に帰ってくる。で、米子で日本一のキャバクラを作ろうと奮闘する。

文春の記事でこのマンガを知って読み始めたのだが、最初地域経済×キャバクラという異色の組み合わせを推していたような気がする。だけど、その路線はいつのまにか変更されてて、途中から新宿でかつて世話になっていた姉さん的先輩を、彼女を搾取する黒服?から救い出す的なストーリーになっていた。それはそれで面白かったけど。まぁ地域経済のほうはネタが尽きたのかもしれない。作者はまだだいぶ若い感じだろうし。

そういえば最近米子図書館に行ったが、このマンガは置いてなかったなぁ。ゲゲゲの鬼太郎は全集置いてあるのに。鳥取まんが王国を打ち出していて、県出身のマンガ家のマンガはだいたい置いてある。ゲゲゲの鬼太郎とかコナンはたいてい置いてある。だけどこのマンガはキャバ嬢を扱うマンガだからなのか置いてなかった。でも、ゲゲゲでも「チンポ」とかいうさチンポが三本ある妖怪がいて、チンポからビームを出すという、これ水木しげる絶対ふざけて描いただろ的なのもいるからキャバ嬢のマンガくらい置いててもいいだろと思うがね。ちなみに、近所にあるグッドブレスガーデンに宿泊したときには、個室に『ヒマチの嬢王』が置いてあった。太っ腹である。

 

『異端の祝祭』『漆黒の慕情』『聖者の落角』

新聞かなんかの書評で『聖者の落角』が紹介されていて面白そうと思って読んだ。シリーズ物、個人的には『異端の祝祭』が一番面白かった。民俗学カルトホラーってだけで読みたくなる。あちらがわの世界を扱っているわけだから。

実際どうなのかわからないが、なんだか作者の自意識というかコンプレックス的な部分が文章で垣間見えてなんだかそれはちょっと余計だなと思った。ストーリーは面白いのだけど。まだ作者が相当に若いと思いたい、これがおっさんかおばさんによって書かれているのだとしたら相当痛い。もっと純度をあげてくれると嬉しい、偉そうなこと言って申し訳ないが。

他の人には見えないはずのものが見えてまともな生活を送れないというのはやっぱり一般的には病気で、最近「クレイジージャーニー」という松本人志とかが出てる番組でエクソシストを扱っていてとても興味深かった。イタリアという先進国にはエクソシストがいて、悪魔のしわざによって起こっている病は病院ではなく教会で治してもらう。悪魔というのが存在している、それは妄想ではなく、実際に存在していて危害を加えるのだと社会で共有されている。興味深い。

番組には、京大で講師をしているイタリア人の宗教学者が水先案内人として出演していて、たしか高知の寺だか神社には、犬に取り憑かれて困っている人が年間に2万人も訪れて祓ってもらっていると言っていた。犬に取り憑かれて困っている日本人が年間に2万人もいることにまずびっくりしたし、多くの日本人がそういった霊的なものを信じているということになぜか安堵した。で、そのイタリア人研究者によれば、たくさんの参拝者が祓ってもらったことで実際に楽になる、治るのだという。

番組出演者のバナナマン設楽も、犬に取り憑かれているらしいが、特に困ったことは起きてないらしい。実際、取り憑かれているからって、何も悪いことばかりが起こっているわけではないはずで、守護霊という言葉があるように、守ってくれる存在もあるのだろう。『怖い間取り』で有名な芸人の松原タニシは事故物件に好んで住んでいて、女性の悪霊に取り憑かれているのだが、風呂でシャワーを浴びているとき鏡に「シャンプー」とか書かれたらしい。シャンプーのボトルを見たら切れていて替えを用意したという。こういう、情報を与えてくれる悪霊も存在しているのだ。

自分にはそういうのはよく見えないし、感じることもないのだが、なんとなく守ってくれるなにかが憑いているような気はする。

上の小説も、高知に最強の祓いがいるという設定で、たしかに高知とか四国の真ん中の方って得体の知れない何かがありそうだもんなぁ。

 

ユーチューバー

まじでつまらなかった。

村上龍は何が書きたかったのだろう。この人の各小説は本当にすごいと思うものが多くて、特に『ストレンジ・デイズ』が好きだ。他の有名所もやっぱりすごくて、村上龍のあの、時代の社会の病理を小説という形式を使って描く才能がえげつない。それも、特定の事件とか犯罪ではなくて、社会を覆っている雰囲気、あるいは闇のような茫漠としたものを、言葉にはできないけど薄々みんな感じているような気持ち悪さを、見事に表現してしまう手腕にすさまじさを感じる。村上春樹は、彼の才能を、すぐ下に油田があると称していて、本当にそのとおりだと思う。

だけど、この『ユーチューバー』はつまらん。もちろん、過去の作品でもなんだこれはと思うものもあったし、自分の感性や理解力が足りてないからかもしれない。にしても、まぁこの作品は糞だ、あるいは彼が実際のユーチューバーやその界隈の陳腐さを表現するために、この小説を陳腐にしたのかもしれない。しょうもないコンテンツが異様にもてはやされていて、そういった現象を皮肉るためにあのような陳腐な小説を書いたのだと思うことにする。

 

これは完全に自分の偏見だと前置きしたうえで書くが、村上春樹大谷翔平のようで、村上龍藤浪晋太郎のように見える。

村上春樹はストイックで小説のために生活をすべて捧げているように見える。それは大谷翔平のようで、彼もまた野球のためにすべてを捧げている。ただ、捧げているというのは、他のことを犠牲にしている、我慢しているという意味ではない。すべてが小説に、野球に注がれ、すべてが糧になっているからこそ年を追うごとに深化していっている感じがある。

村上龍藤浪晋太郎の対比は、春樹と大谷との対比ほど一致してはいないけど、なんというのかな、いろんなことに手を出してはいるが、それが小説や野球に還元されていない感じがする。だから春樹や大谷ほどの深化が生まれない。もっとも、普通はもっとみんなあがいてあがいてうまくいかないものだと思うけど。春樹や大谷のほうがむしろ異常なのだ。

もったいないと思うけど、本人の性格とかその他もろもろのことも含めて仕方ないのかなと思う。自分の知り合いにとても才能がある人がいて、たくさんやりたいことがあるというが、結局何一つ最後までできない人間で、中途半端にいろいろと手を出して周りの人間の信用を失っている。彼は何をしてもたいていのことはかなりのレベルにまでいくだろうし、それを極めれば一角の人物にもなれただろうが、飽きっぽいし人の信用を失っては関係がその都度切れていくので、どうしようもない。もったいないなーと思うが、まぁそれも彼の業なのでどうしようもないのだろう。

 

けっこう新聞の記事や書評で、これ読みたいなというのが見つかる。発行部数が減り続けてオワコン扱いされているけど自分にとっては価値があるし、なんだかんだラジオとかミクシィみたいに生き残ると思うよ。