読んだ小説の感想

雪がすごくて、雪かきと読書に励む。

劉慈欣『超新星紀元』と鈴木涼美『ギフテッド』を読む。

宇宙の彼方で星が爆発し、放射線がばらまかれ、それが地球に到達する。13歳以上の大人は染色体が複製できなくなり、数ヶ月以内に死ぬ。残された子どもだけの世界で、どうサバイブするのか。

『三体』シリーズがあまりにも壮大で素晴らしい作品だったのでこの小説にも期待していたが、途中からつまらなくなってしまった。

子どもだけの世界になって、でも大人たちが量子コンピュータのような子どもたちの意見をまとめるAIを残しておいてくれたおかげで議論ができるようになる。子どもだけの世界になったということで、大人たちの作った世界とは異なる新しい価値観で運営されるオルタナティブな世界を期待したが、うまくいかなかったなという印象。

大人が残してくれた食料やお菓子を食い荒らす子どもたち。現実では実現出来なさそうな300万階のマンションとかを夢想する子どもたち。子どもだけの世界になったら、ありそうだなぁ。

本を読んでて、お!ってなったのが、子どもたちは社会を維持するための労働で疲弊しながらも、仕事後にネット上で議論しながら、みんなで300万階だてのビルをイメージ化したところ。子どもたちにとって、それは「遊び」であり、遊びだからこそ一生懸命になれた。大人にとって遊びとは、仕事に勤しむためのカンフル剤にすぎない。しかし、子どもにとってそれは生活の中心であり、背骨なのだ。ここが子どもと大人の最も大きな違いの一つと言える。

だからこそ、遊んでいるというと、大人は怠けているだとか、やる気がないと否定的な受け取り方をする。でも、子どもにとっての遊びとはそういうものではなく、作品中でのみんなで300万階だてのマンションを作るモデルを構想するというような、建築家や芸術家の仕事と同じなのだ。

資本主義を乗り越えた先にある世界は、遊びが骨格となる世界であるべきだ。だからこそ、子どもの価値観を尊重すべきだし、子どもを小さい大人とみなすべきでない。

作品で、遊びが生活や人生の中心となった新たな世界を垣間見せてくれるかなと期待しながら読んだが、うーんなんだかちょっと期待外れな展開で終わってしまった。

 

『ギフテッド』

この人の本は何冊か読んでて、小説は今回が初めて。千葉雅也とか古市憲寿とか、若手の研究者が小説を書いていたりするが、こういうの個人的にはいいなと思っていて、普段はべつのジャンルにいる人たちが、小説という枠組みの中で何をどう描くのだろうと興味がある。論文という形式では描けないこと、挑戦できないことを、小説というスタイルで描けるのであれば、べつに研究者に限らずいろんなジャンルにいる人たちがやってみてほしいなと思う。

キャバ嬢や風俗など夜の女たちの生態を鈴木涼美は描いていて、鈴木自身もAV女優であった。なんかのエッセイで彼女と母親のやり取りがけっこう描かれていて、『ギフテッド』ではエッセイで描けないような、小説という虚構の力を借りて、夜の女とその母親のやり取りを描いている。

鈴木のエッセイを読んでいると、鈴木はもちろんだが、母親もとても知性と教養がある人物であることが分かる。母親はたぶん普通の知性と教養がある人物で、鈴木は知性と教養がありながらも、夜の世界にどっぷり浸かっているから異端だといえる(夜の世界の人間を知性と教養がないとみなすのは炎上案件なのだろうか?)夜の世界の生態を、エッジの効いた表現で描くのが鈴木の真骨頂で、とはいえ小説は、夜の世界を描きながらも、タイトルのギフテッドは主人公ではなく、その母であり、夜の世界が本題として選ばれているわけではない。だからこそ鈴木は小説という形を採用したのだろう。彼女が描きたかったのは、夜の世界そのものではなく、母親、あるいは娘と母親の関係性であって、小説という枠組みを使って、彼女は母親を理解したかったのかもしれない。

個人的には、あのエッジの効いた表現で夜の世界を描いたエッセイが好きだから、そういうのを小説でも書いてみてほしいなと思うが、事実は小説より奇なりだから、小説ではエッセイを超えられないかもしれない。あるいは鈴木本人も、エッセイで書けることをわざわざ小説で書くまでもないと思っているかもしれない。