草野球を本気でやろうとするイチローさんを見て思うこと

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 現役を引退されたイチローさんが、今度は草野球をやろうとしている。

 今年の冬に、イチローさんがつくったチームと、高校野球の名門智辯和歌山が神戸で試合をするらしい。観戦できるものなら、ぜひ神戸に行きたいところです。

 

 イチローさんは将来草野球の全国大会をひらきたいとのこと。各支部に分かれて、勝ち上がったチームが神戸で日本一を決める。そうしたリーグをつくりたいと語る。

 

 どうして草野球をやるのかという問いにイチローさんは、ただ純粋に楽しく野球をやっていたころに戻りたいからという。

 

 「プロの世界でここまでやって来ると純粋に楽しい、子どもみたいに楽しめるかと言えば、それは責任を伴うので出来なくなる。だから、そういうものがなくなって、もう一度純粋に楽しい野球がしたい。ある程度プロの世界でやった人間、時間をかけて結果を残してきた人間はみんなじゃないと思うけど、そこに戻りたいという人は結構いると思うんです」

 

 プロになれば責任が伴い、野球を純粋に楽しめなくなる。

 凡人の僕には想像できないけど、イチローさんは毎年200本安打が近づくたび、吐き気を抑えながら打席に向かっていたというから、半端じゃない重圧と戦っていたんだと思う。

 

 

 この記事を読んでいて思ったのは、純粋に楽しめなくなったのはプロだけじゃないよなということ。

 

 この前U18高校野球の世界大会が韓国であったんだけど、日本代表の選手たちはあまり楽しくなさそうに試合をやっていた。

 もちろん日の丸を背負っているという重圧があったわけだけど、他の国の子たちはもっとのびのびと楽しくやっているようにも見えた。

 高校野球に限らずだけど、多くの部活で、楽しむことよりも勝利が優先されているからかもしれない。

 

 というか、これはスポーツだけの話でもない。

 勉強も同じだと思う。

 本当は学ぶことそれ自体が楽しいはずなのに、学校で優劣をつけられると、学ぶ楽しさよりもテストの点数が優先されるようになる。

 テストの点数が悪いと、自分は勉強ができないと思い込み、学ぶことを放棄してしまう。逆に、点数が良くても、点をとるために勉強するようになるので、大学に入れば学ぶことを放棄してしまう。とてももったいないことだ。

 

 村上春樹さんがエッセイで書いていたことだけど、大人になってランニングを始めると自分は走ることが好きだったことに気づいたという。体育の授業が嫌いだったから走ることも嫌いなんだと思いこんでいたけど、それは違ったのだと。

 

 学校に通っていると、本当は好きだったものが好きでなくなってしまうことがある。  

 楽しくやっていたことが楽しくなくなってしまうことがある。

 もちろん、学校のおかげで自分の好きなものを発見できることもあるのだけど。

 

 

 イチローさんはプロの世界で野球をやってきた人たちのことを言っているけど、たぶん高校生(もしかしたら中学生も?)も純粋に楽しく白球を追っていたころに戻りたいと思っているはず。

 そういう人たちがもう一度純粋に楽しく野球できる環境が身近にあれば、とても幸せなことだ。

 高校野球や中学野球の人口が減っているのが大きな問題になっているけど、大人が楽しそうに野球をやっている姿を見せれば、自然と野球人口は増えていくと思う。

 

 

 イチローさんは、草野球の全国大会決勝を神戸でやりたいと言っている。

 よっぽど神戸が好きなんだろうけど、もし草野球の聖地が神戸になったら面白い。

 甲子園がある西宮は高校野球の聖地だし、明石トーカロ球場がある明石は軟式野球の聖地だ。

 

 兵庫にまた野球の聖地が一つ増えるかもしれない。