やっぱり夢は深層心理を反映しているのだろうか

昨日見た夢。高校と浪人時代の同級生と一緒に、海外映画で観るような白の大理石の明るいパーティ会場にいた。外には広いプールがあって、中には白の長い高価なソファがあり、そこに自分は座っていた。横には同級生がいて、彼がパーティを主催したのかもしれない。他にも人がいて、みんな社会で成功している人だった。同級生も成功していた。ただ、まだ若いのに、ザビエルのようにてっぺんがはげていた。でも彼は成功者で、その会場にいる人間で、唯一自分だけが何者でもなかった。劣等感と居心地の悪さと恥ずかしさをずっと感じていた。小説家の伊坂幸太郎もいて、彼と話したが、朗らかな彼の、謙遜した話を聞きながら、自分はずっと劣等感に苛まれていた。

ヤフオクに40万で出品した自分の商品が、反応がなさすぎてショックを受けている。知り合いの一級建築士が、100万はいくと言っていたが、それどころか入札が入りそうな気配すらない。自分も自信があっただけに、現実は厳しいなと思っている。デザインだけみれば、世界に一つしかないと思うんだけどなぁ。やっぱり普通のやつがいいのかなとか、誰かも分からん人間から高価なものは買えないのかなとか考えている。

おそらく人はみな、何ではなく、誰を見ているのだろう。どんなに優れているものでも無名の者の作ったものには興味がなく、一方で有名な地位のある人間が作ったものはみんな欲しがる。同じストリートアートの作品なのに、ある者は逮捕され、バンクシーだと保護され高値で取り引きされる。分かるけどね、保護しとかないと、誰かが壁を壊し作品を盗んで売り払うのだから。でも、これがおかしいことはみんなわかっているはずだ。同じことをしているのに、一方は逮捕され、もう一方はむしろその作品が保護されるのだから。

自分が有名人や成功者なら作品は必ず売れるだろう。でもそうじゃない。仮に自分が有名になるチャンスをつかんでも有名人にはなりたくない。有名税はあまりにも高すぎるから。ここらへんの屈折した思いが、ああいった夢となったのだろうか。

最近は他にも、卒業式とか同窓会みたいな近しい人が集まる機会に、他の人たちはめいめいに集まって談笑しているのに、自分一人だけその合間をウロウロと彷徨っている夢を見る。こういう、自分だけ一人異質に浮いているという夢をよく見る。孤独なのだ。

でも、現実で自分は自ら一人でいることを選んでいる。最近分かったが、自分は一人でないと何もアイデアがわかないし、行動力も生まれない。他人といると人任せにして何もしなくなるのだ。そして、一人でいることが全く苦にならない。

でもこういう孤独感に苛まれる夢を見るということは、深層では一人でいると孤独を感じているのかもしれない。表層では分からないけど。