あっという間に時間が流れていく。それはどうしてなのか?
それは、脳が新鮮さを感じなくなっているからだ。ぼくたちの脳みそは新しいことをしなくなると時間が早く流れさるように感じるよう設計されているらしい。
毎日が同じことのくりかえし。これが一番時間が早くすぎさるように感じる過ごしかただ。
これはつまり、習慣で固められた生活ということではないか。
習慣=長い間繰り返し行われていて、そうすることが決まりのようになっている事柄。(大辞林 第三版より)
習慣化することって一般的にいいことだと思われている。たしかにそうだと思う。継続は力なり。継続すれば、それは習慣となり、自らの力となる。
多くの人は、自分の続けたいことを習慣化できず三日坊主になるから悩んでいる。
ダイエットとか英語の勉強とか、筋トレとか・・・。
まぁ、こういうのを習慣化する方法を僕は知らない。頑張って続けるしかない。
僕は、すでに習慣になってしまったものについて考えてみたい。
習慣に少し変化をもたらしてやると時間がゆっくり流れるようになると僕は思う。習慣のなかに少しアクセントを加えて新鮮さをもたらしてやる。
そうすれば脳は習慣となった行動にも新鮮さを見出し、それによって時間の流れがゆっくりになるはずだ。
僕はよく図書館や本屋に行く。それは習慣になっている。基本的に同じ本棚しか見ない。本屋であれば新書や文庫とか教養系の棚、図書館であれば哲学や社会学系の棚に足に運ぶ。
でもたまに、自分の全く興味のない分野の棚に行ってみると、意外と「お、面白そうな本だ」と手に取ることがある。それで、ためしに読んでみた本が今まで読んできた本とつながったりして「おお!まったく違う分野の知識がつながった!」となることがある。
僕はいつも電車で通勤する。歩いて通える距離ではないので、これは変えようがない。でも、僕はよく仕事の帰りに道草を食う。大学に寄って学食で夕飯を食べて帰ったり、途中の駅で降りて散歩したりしてから帰る。けっこう楽しい。
駅から家までは歩いて10分なんだけど、前の日に通った道は歩かない。路地裏を見つけたらそこを通って帰る。かわいい子猫に出会えたり、こんなところにこんな店があるのかと驚く。
僕の行動に僕の脳みそは喜んでいるはずだ。僕の時間はわりとゆっくり流れているから。通勤ひとつとっても、毎日同じルートを通っている人は、道一本変えてみるだけで面白い発見があるかもしれない。
ぼくたちは子どものころ、毎日のように道草を食っていたはずだ。帰り道はいつも冒険で、友達とわいわいはしゃいでいた人も多いのではないかな。たまには童心に帰って、道草を食ってみれば、時間がゆっくり流れるきっかけが道端に転がっているかもしれない。それは決して時間の無駄ではなく、逆に時間にゆとりを与えてくれるものになるだろう。