ニートに戻ったら思考が豊かになったからやっぱりベーシックインカムは導入すべきだ

 

 解体の仕事も一段落したのでニートになった。

 

 これは自分だけなのかそうでないのか分からないけど、働いていないときはお金のことをまったく考えなくてよくなるから思考のリソースをいろいろなことに使えるんだわ。

 

 逆に働いているときはお金のことばっかり考えている。で、すごく不安になってくる。そしてその不安は絶対に解消されない。なぜならお金を稼ぐことに際限はないからだ。

 

 不思議なもので、お金を稼いでいるときほど、収入があるのにお金に関する不安にずっとつきまとわれ、逆にニートのときはお金に関して不安に思うことがない。それはべつに不安から逃避しているわけではなくて、単に不安感がないのだ。

 それはちょうど南の島の、のほほんと暮らしている人と同じで、彼らは日本人であるわれわれより全く金がないのにも関わらず、日本人よりお金や将来への不安を抱いていないのと同じことなのだ。

 

 働いているときの自分は一般的な日本人と同じでつねにお金の不安に苛まれ、ニートのときの自分は南の島の人のようにのほほんとしている。

 

 

 働いているときは、どうやったらお金をもっと稼げるか、今月はいくら稼げるか、これを売ればどれくらい儲かるか、そういうことをずっと考えていた。

 自分は金銭欲や物欲があまりない人間なのだが、働ているときはなぜかずっとこういうことを考えずにはいられなくなる。お金というのは本当に不気味だ。時給800円で働いていると、時給1000円の仕事ないかなと思い、時給1000円で働いていると時給1500円の仕事ないかなと思う。際限がないのだ。

 

 ニートになってしばらくすると霧が晴れたようにお金のことを考えなくなる。

 それは自分にとってとてもいい状態である。お金のことなんて本当はどうでもいいことだから。

 映画観て、本読んで、バイオリン弾いて、昼寝して、DIYして、サウナ入って、あとはポケッーと思考をくゆらせる。どうだ、いいだろう!

 

 

 ニートになると思考が豊かになるのは自分だけかもしれないが、お金のことを考える必要がないとき思考が豊かになるのは自分だけではないだろう。

 

 国から国立大学への基金が毎年減っているせいで、研究費を自身で稼がないといけなくなっている。研究もすぐに成果が分かるものでないと、資金が降りなくなっている。そういう状況のなかで、研究者はまったり研究できなくなっている。常に、成果や利益を考えないといけないという状況は、思考を貧困にさせてしまっている。

 

 寺院も檀家が減っているせいで廃寺になりそうな寺がたくさんある。経営が厳しいせいで、MBAをとる坊主やカフェを運営する坊主が出現している。

 

 思考のリソースをお金に注がないといけないせいで、研究が思うように進まない研究者はたくさんいるだろうし、悟りを開けない坊主はたくさんいると思う。それはあまり芳しくないと自分は思う。

 

 そしてこれは研究者や坊主に限った話ではなく、国民全員に当てはまると思う。

 芸術家なんて特にそうで、芸術家はクリエイティブなものを作る才能はあっても、それをうまくお金に換える能力はない者が多いのだ。天は二物を与えず。お金の心配をする必要がないというのは、クリエイティブな行為をする者にとってはとても重要な要素だと思う。

 

 もうすでに言われているように、今は新しいアイデアとか発想が重要な時代で、それはすべての人に求められている。

 思考のリソースを、お金ではなくクリエイティブなことに注ごうと思ったら、お金の心配をしなくてよいという状況が必要だ。ということで、ベーシックインカムを導入すべきだ。以上。