運動しなければならない進化上の理由

 

【テーマ】人間の身体は運動しなければならないよう進化したのに、逆に運動しなく

     なっているという皮肉について

 

日経サイエンス2019年4月号

日経サイエンス2019年4月号

 

 今月の日経サイエンスは面白いテーマがそろっている。

 

 特集は「走る動物 ヒト」。人類は100メートルで9秒を切ることができるのか!?

 人類の進化の観点から「走る」が考察されている。

 他に人の関係を断ち切るSNSという記事もある。 

 

 そんななか僕が興味を持ったのは、「運動しなければならない進化上の理由」という記事。

 まずはこの記事を要約し、それをうけて「でも人間の社会は運動しない方向に“進化”しているよね」という事実を示したい。

 

1 人間の身体は運動しなければならないように進化した

 人間は、オランウータンやゴリラ、チンパンジーボノボとDNAの97%以上を共有している。

 しかしこのたった3%以下の違いが、人間と類人猿のとるべき生活スタイルに大きな違いをもたらしている。

 大型類人猿は一日のうち8~10時間を休息やグルーミング、食事にあて、9~10時間を睡眠に費やす。

 運動に関しては、チンパンジーボノボは一日3㎞しか歩かない。ゴリラやオランウータンはそれよりも少ない。

 

 人間が類人猿と同じ生活をしていたら、必ず健康を害する。人間は一日一万歩(身長170㎝の人で約7㎞)歩かないと、心疾患や血管の病気、代謝疾患のリスクを高める。しかしアメリカ人はその半分の5000歩しか歩かない。

 机やテレビに向かって長時間座っているのは疾患リスクがあり、短命と関連づけられている。また、身体運動の低下は喫煙と同じくらいのリスクがあり、これが原因で毎年世界で500万人の命を奪っている。

 

 類人猿は、運動不足の人間よりも運動しない。それでもチンパンジーは、心臓病や糖尿病をわずらうことはない。ゴリラやオランウータンの体脂肪率は14~23%で、チンパンジーはなんと10%以下である。10%以下というのはオリンピック選手並みの数字だ。

 

 人間だけがのけ者なのだ。人間は類人猿と違って、運動しなければならない身体になっている。それはどうしてなのか?

 

 進化の運命を決めるのは、食事である。

 人間は二足歩行を始め、樹上の生活を地上の生活へとシフトさせた。

 手が自由になったことで石器づくりを始め、採集狩猟によって肉も食べるようになた。

 肉食に移行したことで、以下の変化が起きた。

・移動距離が増えた

・結束力が高まった

・認知機能が向上し知能が進化した

 

順番に説明しよう。

・獲物である動物を追いかけるようになったことで移動距離がのび歩数が増えた。距離にして9~14㎞、一万二千~一万八千歩歩くようになった。

・シマウマなどの獲物は、複数でないと捕まえられないので必然的に協力するようになった。

・そこらへんの草や木の実ではなく、逃げる動物を追うので認知機能が高まった。これが武器の技術革新や創造につながった。

 

 数百万年かけて人間の身体は細胞レベルで進化していった。

 人間の脳は長時間の運動に対して報酬を与える仕組みへと変化していった。

 たとえばランナーズハイ。

 ランナーズハイとは、長時間走っているとふつう呼吸が乱れ筋肉が疲れるはずなのに、それをまったく感じなくなる錯覚のことだ。ランナーズハイのとき脳内で何が起こっているかというと、脳がベータエンドルフィンという麻薬を流しているのである。これは末期がん患者に使われるモルヒネの約6.5倍の強さを持っている。

 

 以上の変化を通して、人間の身体は運動しなければ健康を維持できないように進化していった。

 

 以上が記事の要約。

 

2 人間は逆に運動しなくなっているという皮肉

 人間の身体は数百万年かけて、運動しなければ健康を維持できないように進化した。

 

 しかし人間、特に社会システムの発達した先進国の人間ほど運動しなくなっている。

 先に書いたように、アメリカ人は5000歩しか歩かない。

 日本人も運動しない。

 サラリーマンで5000~7500歩、主婦はたったの2000歩しか歩かない。

 

 一日一万歩歩かなければ疾患リスクを高めるというのに、先進国の人間はまったく歩かない。 

 もともと歩かなかったわけではない。たとえば江戸時代の人たちは平民で毎日三万歩も歩いていたのだ。

 

 ではなぜ運動しなくなったのか?それは社会システムの変化にある。

 

 江戸時代の移動手段といえば基本的に足だった。どこに行くにしても自分の足で行く。お伊勢参りだって自分の足で江戸から何日もかけて行ったのだ。

 じゃあ現代人が東京から伊勢まで歩いていくか。

 そんなはずはない。現代人は車かバスか電車で行くだろう。

 交通システムの変化が歩数を激減させたのだ。

 

 交通システムだけではない。家電も歩数を激減させた。

 かつておじいさんは山へしばかりに、おばあさんは川へ洗濯しに行っていた。

 山や川に行って作業をすれば必然的に歩数は増える。

 対して現代人は家事のために山や川へ行くだろうか?

 そんなはずはない。現代人は山や川へ行くかわりに家電のボタンを押すだけだ。

 

 技術の発展による社会システムの変化は明らかに、ぼくたちを運動しない方向へ導いている。

 そのためにメタボやら糖尿病やらといった生活習慣病にかかる人が増えているのだ。

 

3 人間の歴史の大きな皮肉

 人間は二足歩行を始め採集狩猟生活へと移行することで、類人猿とはべつの道を歩き始めた。

 肉食によって移動距離が増え運動しなければ健康を維持できない身体へと進化した。同時に知能や創造性が高まり武器をつくる技術が向上した。

 

 人間の歴史は、技術の発展の歴史でもある。

 歴史のなかで技術は少しずつ発展し、ここ200年の資本主義というシステムのもと短期間で飛躍的に発展した。

 それによって社会システムは進化した。

 自分の足を使わなくても車や電車でどこにでも行けるようになった。山や川へ行かなくても家電のボタンを押すだけで家事が済むようになった。

 それはつまり運動しなくなったということである。

 

 運動しなければならない身体に進化してしまったのにもかかわらず、運動しなくてもいい社会システムへと進化させてしまったという皮肉!

 

 人間は賢いのだろうか、それともとんでもなくバカなのだろうか?