今日は美術手帖1987年5月号。
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ポール・ゴーギャンはフランス生まれ、1848年誕生1903年没。
フランスのポスト印象派画家。代表作は『われわれはどこから来たのか、われわれとは何者か、われわれはどこへ行くのか』。
ゴーギャンの生い立ちを見ると、絵を描き始めたのは1873年ごろ。だいたい25歳くらいから、暇つぶしに書き始めたらしい。よくある天才と違って、小さいころからとんでもない才能を見せつける神童ではなかったのだ。
絵描きになるまでは、商船の水先案内人になったり、海軍に入隊したり、証券マンになったりと、絵画とは無縁の仕事をしていた。
1876年にサロンで絵が入選するものの、81、82年に出品した作品は不評。
その後市場の暴落もあって、生活が困難になる。
その後いろいろあって、あのゴッホと共同生活をはじめる。しかし、そりが合わずゴッホは自分の耳をカミソリで切り落とす。そして決別。
どうしてタヒチへ行ったのか。
それは野蛮人をとおして生の輝きを見出すためだ。彼はパリという都会の、文明の腐敗に辟易していた。
「文明の影響から解放されて、心静かに暮らすためにゆくんです。私は単純な、ごく単純な芸術しか作りたくないんです。そのためには、汚れない自然の中で自分をきたえなおし、野蛮人にしか会わず、彼等と同じように生き、子供がするように原始芸術の諸手段をかりて、頭の中にある観念を表現するだけにつとめなければなりません。こうした手段だけが、すぐれたものであり、真実のものなのです。」 (P47)
都会人は、日々の単調さのなかで失われていく生の欠落を自らの手で覆い隠す。それは普通に行われていることであるが、ある種の人間にはむしろその単調さによって生の欠落が浮き彫りになる。
彼は都会人でありながら、都会人が自らの心に覆い隠している生の輝きの欠如に苛まれていた。
そうしてタヒチへと飛びだっていった。
生存への気遣いは、欠落を養い育てさえする。なぜなら、この欠落は、自らがいまここに在ることにつきまとうからである。自分がこの世界に生きること自体がかかえている齟齬、不完全であり調和を欠いた存在としての自分に対する意識が、ある種の人びとには、内部の欠落感を発生させ、しかも増大させる。 (P42)
ゴーギャンの絵がぼくたちを魅了するのは、ぼくたち都会人を野蛮人の持つ生の輝きに導いてくれるからだろうか。