偉大な人間は遅れて開花するというのが大器晩成の意味だけど、どうして大器は晩成するのか。
内田樹、釈徹宗の『日本霊性論』を読んでいると、面白い話が紹介されていた。
自分があることを達成した後になって初めて、その達成のために自分がどんな行程をたどってきたのか、そのプロセスひとつひとつの必然性が分かる。これはあらかじめ工程表を作成して、出発点から到着点までを一望俯瞰して、このプロセスにはこういう意味がありますとあらかじめ言えるという知性の働きとはまったく違うものです。言ってもいいけれど、自分が今していることと未来の自分の達成の間の相関を今ぺらぺらとしゃべれるような人間は決してスティーブ・ジョブズのような人間にはなれません。今のような研究計画の書き方を強制している限り、そのような大学からはほんとうにイノベーティブな才能は絶対に出てきません。
将来のある地点から逆算して計画されたものよりも、将来のことはよく分からないけれど大事そうだからやっておくほうがイノベーティブなものが生まれやすい。
その例としてスティーブ・ジョブズがあげられている。
彼は大学を中退後、友人の家に居候して、もぐりで大学を聴講していたらしい。そのとき選んだ授業が習字の授業。そこで習ったことが、後にパソコンのフォントの選択機能の誕生に活きた。
彼は、将来パソコンのフォントの選択機能に活きるから、今習字の授業を受けておこうと思っていたわけではない。なぜ習字の授業を受けているのか、自分でも分からなかった。それが十数年後に、マッキントッシュを設計するときに当時の知識が役に立ち、「あぁ、こういうことだったのか」と腑に落ちた。
これが、自分があることを達成した後になって初めて、その達成のために自分がどんな行程をたどってきたのか、そのプロセスひとつひとつの必然性が分かるということだ。
どうしてかは分からないけれど、今やっておくべきだと思うからする。将来何に活かされるか読めないけど、大事そうだからやっておく。
このような心の持ちようが創造性を生むようだ。
たしかに、将来の目標なり目的なりに向かって計画を組んでやれば、無駄がない分効率的に成長できる。しかし逆にいえば、無駄がないゆえに、斜め上の成長は見込めないのだ。
以上のことをふまえると、どうして大器が晩成するのかが分かる。
なぜ遅れるのかといえば、傍からみれば無駄なことばかりして遠回りしているからだ。しかしそれは後から振り返ってみたときに必然的なことだったことが分かる。無駄のない努力は効率的だが、誰も発想できないような知性の跳躍は起こらない。
そういえば、イチローも似たようなことを言っていた。
キャンプでいろいろと試すことは、ムダではありません。
ムダなことを考えて、ムダなことをしないと、伸びません。