コロナ後は百姓が増えると推測する

 世界中にコロナウイルスが蔓延している。

 わがふるさと山陰はいまだに感染者0という快挙を達成し続けているが、東京はどんどん感染者が増えているし、イギリスの首相もコロナにかかって病院送りになった。

 コロナがいつ収束するか分からないし、もしかしたらインフルエンザみたいに風物詩的なものになっていくのかもしれない。

 いずれにせよ、今回のコロナで、こんなに技術が発展した現代でも、システムってのは意外ともろいものだということがよく分かった。日常がスムーズに運営されていると決して気づけないことでも、非日常になるとあっさりと顔を現す。

 

 仮にコロナが今月中にピークを迎え夏あたりには収束したとしても、経済的な打撃は計り知れない。個人で商売をやっているところから大企業まで、けっこうな数が倒産するのではないか。

 システムが平常運転している日常でさえ将来に不安を抱える人が多い昨今、今回のコロナは多くの人をさらなる不安に陥れ発狂させただろう。

 何より恐ろしいのは、今回のコロナが降ってわいたような災害だったことだ。

 南海トラフ地震は今から数十年以内に高い確率で起こると予想されている。こちらも甚大な経済打撃をもたらすだろうが、くると分かっているだけで心への打撃はだいぶ抑えられる。

 一方コロナは、去年の12月に中国で感染者が見つかってから、たった数ヶ月で世界中に広まりあらゆるシステムを麻痺させた。人々は何の備えもしていないなかで、心と身体に大きな打撃を受けている。

 

 

 コロナが収まったら、あるいはコロナが収まる前から、僕は百姓が増えていくと予想している。

 百姓というのは農家と言う意味ではなく、百のなりわいを持つという意味の百姓だ。なりわいというとお金を稼ぐ手段のように聞こえるが、ここではもっとレベルを落として、日曜大工みたいな趣味レベルのなりわいを指す。

 要は、誰かに頼るのではなく、自分でやろうというDIY精神を持った人が増えていくと思う。自給自足を目指す人が増えていくと思う。

 このように考える理由は至極単純で、システムが思いのほか脆弱だったことにみんな気づいたからだ。普段寄りかかっているシステムが、いざとなるともろいことにみんな気づいたからだ。だからシステムに頼るのではなく、自分でどうにかしようという人々が増えていくと思う。たぶんこの傾向は、体力や時間のある若者において顕著になっていくと思う。

 

 まぁ、コロナの前から、システムはもろいんじゃないかということにうすうす気づいていた人は多かったと思うし、システム側も気づいていたから、本業の他に副業もどうぞという流れができはじめていたのだろう。

 ただ、今回のコロナで、本業+副業でお金を稼いで将来への不安をなくすよりもむしろ、自給自足それはつまり自分でやって支出を抑えるということだけど、それによって将来への不安をなくすほうがいいんじゃないかと思う人が増えるのではないかな。特に若者は。

 

 収入を増やすってけっこう大変なことだけど、それに比べて支出を減らすというのはけっこう楽だ。

 ベランダのプランターにネギ植えるだけでもうネギ買わなくていいからネギ代が減る。一駅くらいなら歩いて帰る。もうそれだけで交通費が減る。

 お金っていくらあってもやっぱり不安だからどうしても将来への不安というのはぬぐいきれないけど、自分でできることが増えていって支出が減ってくると不安は激減される。あと生きることそのものへの自信がどんどんついていく。

 

 個人的な例でいえば、僕は自転車で旅するのが好きで北海道を自転車で一周したことがあるけど、そのときは自分でパンク修理ができなかったから、もし途中でパンクしたらどうしようと不安でしかたなかった。北海道って町と町のあいだがめちゃくちゃ離れているから、パンクすると大変なのだ。自分で何十キロも引いていくか、トラックの運ちゃんにのっけてもらうしかない。幸いパンクすることはなかったんだけど。パンクを非常に恐れていたから、函館とか札幌の自転車屋でしっかり点検整備してもらってから稚内のほうに向かっていったのを今でも覚えている。

 途中でパンクしたらお金を持っていたってどうしようもない。でも自分でパンク修理できるならまったく不安にならない。100均で買った修理キットだけ持っていればいいのだ。今ではもう自分でパンク修理できるので、長旅に出ても不安にならないし、町の修理屋にもっていくと何千円かかかる修理代をタダにおさえることができる。

 

 

 コロナ一発でこれだけ経済が疲弊してしまうのだから、これから起こる予測不能な何かにおびえて毎日仕事に向かうよりも、自分でできることを少しずつ増やしていったほうが合理的だと思う。

 この社会はお金がなければ生きていけないように設計されているから、仕事をやめるとかそういうことではなくて、副業をやってもっとお金を稼ごうとするよりも、百姓を目指してお金への依存を減らすことのほうが、人生への不安は軽減されるのではないか。

 ロシア人は前々からこういうことを実践していて、平日は街で仕事をし、週末になると郊外にあるダーチヤと呼ばれる庭付き一軒小屋で畑仕事など自給自足の生活を送っている。

 システムに全体重を預けて寄りかかるよりも、できるだけ自分の足でたとうする人のほうが足腰が強くなるし、健全で健康的だと思う。