うーむ、はまってしまいましたなぁ。
『天気の子』を2回観て、『君の名は。』を3回観て、『言の葉の庭』を観て、小説『君の名は。』を読み終わった。
僕はあまり誰か特定の作家にはまることはないのだけど、この方の世界にははまってしまったねぇ。
映像が美しいというのはあるけど、小説も十分に面白かった。
新海さんの世界ではどうやら、年下の男の子が、年上の女の子に恋するようだ。
『天気の子』は本当は下だけど、主人公の穂高はずっと陽菜のことを年上と思ってたわけだし。
小説にしろ、映画にしろ、物語というのは現実に起こったことではないから、嘘ということになる。だから、そこには現実との乖離があって、物語は大なり小なり矛盾を抱えることになる。
『君の名は。』では、三葉と瀧が入れ替わっているとき3年のずれがあって、瀧も三葉もそのずれにはすぐに気づくはずである。スマホを見れば今日が何年の何月何日かすぐ分かるから。お互い、未来と過去を行き来しているから、三葉は自分の死が分かるわけで、あんな大がかりなことをせずとも町の人の命を救えたはずなのだ。
物語の抱えるおかしな矛盾に辟易してのめりこめないこともあれば、『君の名は。』のようにそうした矛盾をもぶちこわすくらいのめりこんでしまうこともある。
この違いが僕にはよく分からない。
物語の持つ力は、何によって定められるのだろう?
聖書なんか、ふざけたことや矛盾ばかり描かれているのに、どうしてこんなにも力のある物語になったのだろうな。