朝井リョウ『正欲』感想

素晴らしい作品だった。

新垣結衣が水に性的興奮を抱く役をやった映画という番宣をテレビで観て、へぇ~と思っただけだったのだが、なんか本のほうを読んでみようと読んでみたらすごい作品だった。今度映画も観てみようと思ったほどの作品。

自分自身も、アセクシャルというマイノリティなんじゃないかと思っているし、価値観にしても思考にしてもマイノリティの自覚がある。だからこそ、心にかなり響くような描写や人物の思考が至る所にあって、でも、本にでてくる人物たちは、水に性的興奮を抱くという、認められはじめたLGBTなどの多様性の網の目さえもこぼれ落ちてしまう人たちで、この物語を読むことで、自分自身の生きづらさを理解し、そして自分には想像もできなかった他者の生きづらさに思いをはせることができた。

登場人物がすべて、物語のなかで機能している。諸橋大也が神戸八重子へ感じるうっとおしさ、すごくよく分かる。お前に何が分かる!というね。神戸にも神戸の生きづらさがあって、だからこそ諸橋に寄り添おうとするのだが、神戸の想像する諸橋の生きづらさはあくまで神戸が想像するもので、諸橋の生きづらさはその想像の外側にあるのだ。諸橋もそれを自覚しているからこそ、誰とも打ち解けることができない。でもこういうの描かれると、現実で他人に安易に寄り添うことができなくなるよなぁ。

生きるために手を組む。それは佳道と夏月の結婚で、このカップルはふたりとも水に性的興奮を感じ、異性に対する性的興奮は一切抱かない。性的対象がいっしょという点のみ共有し、それ以外はお互いを全く知らない。ただ明日を死なずに迎えるという目標のために結婚した二人。ある件で佳道は逮捕されるが、お互いが「いなくならないから」という。それは愛とは違うのだが、固い絆である。一方で、普通に恋愛結婚した検察の啓喜と妻の由美は、子供の不登校を巡る考えの違いから夫婦仲に亀裂が入る。この対比を、おそらく著者の朝井は戦略的に仕込んだのだと思う。素晴らしいなと思った。

佳道と夏月は、自分と同じ水に性的興奮を抱き生きづらさを抱える人とつながるためSNSで仲間を募る。これが誤認?逮捕につながる。集った仲間と公園で水鉄砲を使い性的興奮を満たしていたところに、たまたま佳道の同僚とその子どもが来てしまい、ポルノ疑惑がかかってしまったのだ。

この件を読んでいて、側溝から盗撮していて逮捕された男を思い出した。彼は側溝の中からスカートの中を見たり盗撮していたことで逮捕されたわけだが、彼はそこに性的興奮を抱く人間だったのだろうか。彼がもし側溝にはまることに性的興奮を抱く人間だったのであれば、それは水に性的興奮を抱きポルノには興味のない佳道たちと同じ誤認?逮捕だったことになる。でもそれは分からない。わからないからこそマジョリティは、我々がいけないことだとみなすポルノとか盗撮という枠組みで判断し排除する。排除される方も、自分のことは誰にも理解されないと分かっているからこそマジョリティの押し付ける枠組みに自らおさまる。本のなかで何度も何度も、「顔面の肉が、重力に負けていく」という表現がなされる。この身体的表現が見事に、大きな諦めを形容していて素晴らしい。

佳道たちは逮捕されたものの、明日死なないために、結婚やパーティを組むというのは生きづらさを乗り越えるための戦略としてとても正しいと思った。こういう結婚はありだと思ったし、性的対象以外お互いを知らない佳道と夏月の絆が、恋愛結婚した啓喜と由美の絆よりも固いというのがとても興味深かった。自分は恋愛結婚は出来なさそうだが、佳道と夏月のような特殊な結婚ならできるかもしれないなと思った。

にしても、朝井リョウという作家はすごいなと思った。経歴だけみれば、マジョリティのトップ、学校のイケてるグループに所属しているような感じなのに、なぜ教室の隅っこにいるような仲間外れの視点を持っているのだろう。しかも、それを仲間外れの本人でさえも気づいていないような、心の底にある澱みを鮮やかに言語化しているから、あ〜分かるとなる。

この物語は、生きづらさを抱えて生きている多くの人に新たな気づきを与えてくれるすばらしい物語だと思う。一人でも多くの人に読んでほしい作品。